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七本目は変革を
「なっちゃん、明日から一緒に四信先輩の自主練見に行かない?」
おうちゃんはきっと知らない。優しい気遣いがちくちくと俺の心臓に刺さっているということを。
必死に口角だけは上げ、笑顔を保つ。笑え、笑うんだ本郷七緒。おうちゃんにあやしまれたらいけない。おうちゃんは元気のない俺に気を遣ってくれているんだぞ。
「えー、それはだめっしょ! ちゃんしーパイセンはバスケと向き合って、おうちゃんはそのちゃんしーパイセンを描くんだよね? 俺がいたら二人のやる気がそがれちゃうよ、念だけ送っとく! あ、でもたまにはちゃんしーパイセンだけじゃなくて俺たちも構ってよー絵とかも描いてほしーな」
にっこりと笑い、おうちゃんの肩に腕を回す。おうちゃんはすこし困ったように笑う。
どうしよう、不自然だったか? でも、いつもみたいに笑って、チャラケて、『なっちゃん』らしくふるまったつもりだ。
「うん、なっちゃんの絵もたくさん描きたい」
「おっ、言ったな! 真面目に授業を受けてる俺とか描いてよ!」
「それどこのなっちゃん?」
「もーおうちゃんったらなに言ってるのかなー本郷のなっちゃんだよ! ねぇ、このあとタピるんだけどおうちゃんも行こうよ」
よし、これでいつもどおりだ。
大丈夫、大丈夫。口の中で唱えながら、二人で教室をでる。放課後の廊下は騒がしい。部活に行く人たち、掃除をする人たち、集まってがやがやと騒ぐ人たち――四信先輩とあゆさんが二人並んで歩いている。これから部活に行くのだろう。二人が歩くだけで女の子たちがきゃあきゃあと黄色い声を上げた。
ああ、遠いなぁ。四信先輩がどこまでも遠い。きっと俺がいくら手を伸ばしても届かない。そんなことはずっと前からわかっていたはずなのに。四信先輩と急速に距離を縮めているおうちゃんを見て、ますます心が軋む。
あゆさんと笑いながら話していた四信先輩がこちらに視線を移す。ばちりと黒い瞳と目が合い、大きく手を振ろうとした。
「なーシノブ、あそこにいるの本郷に神谷じゃね?」
「マジだ、旺二郎じゃねえか! 七緒も!」
きっと四信先輩にとっては些細なこと。だけど、七緒『も』という言葉が思った以上に俺の心臓を抉る。
先に旺二郎の名前を呼んだことも、ついでのように呼ばれることも、すべてがつらい。それなのに、俺は笑っている。へらへらと笑って、ひらひらと手を振る。
「ちゃんしーパイセーン! あゆさーん! 今から部活っすかー? ファーイト! ほら、おうちゃんもなにか言いなよー」
わざとらしい猫なで声で言いながら、おうちゃんの顔を覗き込む。明るいこげ茶の瞳は四信先輩しか映していなかった。まだおうちゃんは自覚していない。だけど、その瞳は恋をしている男のそれ。
「え、あ、四信先輩、どうも」
「どーもってなんだよ! 旺二郎らしいわー」
「どこらへんが俺らしいんですか?」
「ぜんぶだよ、ぜんぶ! 歩六もそー思わねえ?」
「俺神谷のことよく知らねーからなー。つーかシノブと神谷仲良しすぎじゃね?」
「よーやく旺二郎が俺に懐いてくれたんだよ!」
四信先輩の腕がおうちゃんの肩に回る。少年のように笑う四信先輩におうちゃんは照れくさげに微笑むと「俺は珍獣かなにかですか」と呟いた。ますます四信先輩が笑って、あゆさんも手を叩いて笑っている。
ああ、もうだめだ。心がポキっと折れる音がする。それでも、笑うことは止めなかった。そうすることでしか、自分を守れない。やっぱり俺はなにも変わっていない。
「あ、俺ちょっと用事あるんで、先帰りまーす!」
へらへら笑い、おうちゃんの肩を叩く。おうちゃんは「えっ、なっちゃん、タピオカは」驚いたように目を見開く。ごめんおうちゃん、今はおうちゃんと楽しくタピれそうにないや。
「おい七緒!」
四信先輩はおうちゃんの肩に回していた腕を退け、俺の腕を掴もうとする。だけど、今は四信先輩にだって触れられたくなかった。その手をするりと避け、逃げるように廊下を走った。
「……うっわーー、やばい」
目覚めの一発に『あるオトコのウタ』を聞いて、ベッドから起き上がろうと思った。だけど、力がまるで湧いてこない。へなへなとベッドに倒れこんでしまう。
廊下で四信先輩とあゆさんに会ってからの記憶がものすごくおぼろげだ。四信先輩とおうちゃんがなにか話すたび、きしきしと心が音を立てていたことだけはよく覚えている。
このまま学校に行ったら俺はまたへらへら笑うはめになる。徐々に心を殺すようなものだ――よし、今日は学校を休もう。そうしよう。好きに生きてやる!
「七緒ー、遅刻するよー」
決意した瞬間、部屋の扉が開く。
母さんマジそういうとこあるよね! 空気読んで!
「今日は休むから!」
布団を思いきり被り、すべてをシャットアウトする。「具合悪いの?」「どうしたの」「病院行ったほうがいいやつ?」母さんはそういう煩わしいことは言わず、布団の上から俺の頭をぽんぽんと叩いてから、部屋を出て行った。
母さん、マジ空気読めるわ。さすが俺の母さん。
さっきと真逆なことを頭の中で呟きながら、スマホを握りしめる。
最近四信先輩とあまり連絡をとっていない。四信先輩からメッセージが来ないと、こちらから送れない。うっとうしいと思われたくないからだ。いや、ただ臆病者なだけ。
とりあえずちるちるにラインをしよう。今日休むことをちるちるには知らせておかないと。
『今日は学校休むけど心配しないでね!』
まるで心配してくれと言っているようなものだ。もっと心配かけない感じの文章にしなければ。
『したいように生きるために、とりあえず今日学校を休むことから始めてみる!』
なんだろう、自分探しの旅に行きますから探さないでください並の寒さは。でもある意味自分探しの旅だしな、寒くていいか。ちるちるなら温かく見守ってくれるはず。たぶん。きっと!
勢いよくメッセージを送信して、スマホの電源を切る。電源が入っているだけで返信が気になってしょうがないし、すぐに返信しなければと空気を読んでしまう。今日はそういうのをやめよう。バイトまでまだ時間はある、しっかり休もうと目をつむる――学校は行けないけど、バイトは行きたい自分に気がついて笑った。
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