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七本目は変革を_03
「えっ?! バイトやめるんすか」
「反応うすーって思ったら急に濃いな」
「だって、えっ、マジすか」
まだまだ教えてもらいたいことあったのにと言おうとして、それは嘘だなと頭の中で冷静な俺が言った。
バイト先で音八先輩に助けられたことは一度だってない。むしろ俺がフォローしている。すぐに気に入った客とヤって、バイトを放棄する音八先輩の分まで俺が働いている。俺の給料上げてくれと言いたくなるレベル。
「白金の坊ちゃんが事務所設立するって知ってるか」
いっくんの誕生パーティー、将来はどうするよ? とほんの少しだけ三人で真面目に話し合った。その時、ちるちるは今年中には事務所を設立すると話していた。
へらへら後ろを向いて生きている俺と違い、ちるちるはいつだって前しか見ていない。振り返る時間なんておしいと全力疾走。
「あ、今年中に始動したいって聞きましたけど」
「今月末に設立してぇんだと。それで、俺たちがサイコーの曲を仕上げたらデビューさせたいって言われて」
ああ、そうか。ちるちるは音速エアラインのために、事務所を設立したいと考えたのかもしれない。
ちるちるが事務所を設立すると言った時は、音八先輩がバンドマンだということを知らなかったから「さすがちるちる、やること違うなー」くらいしか思わなかったけど。それにしても、今月末に設立するってすごい。正直言って俺たちは高校生だし、社長なんて無理でしょと思っていた。だけど、ちるちるは実現してしまう。俺の予想をあっさり超えていく。
「サイコーの曲は出来たんですか」
「まだ」
「えっできてないのにやめるんすか」
「できてねぇからやめるんだよ。今まではバイト先に逃げてた。逃げる場所をなくすんだよ。もう俺には前しかねぇって言い聞かせるために」
音八先輩はしっかり俺の目を見て言う。お前はいつまで逃げているつもりなんだ? そう俺に言っている。
「……俺も、逃げるのはやめます」
「どうせ口だけじゃねぇの」
「ちがう、口だけじゃない」
制服に着替え、ロッカーを勢いよく閉める。思いのほか大きな音がしたと驚きながら、音八先輩のほうへと歩き出す。
口で言うのは簡単だ。そんなこと知っている。『あるオトコのウタ』でいやになるほど聞いたし、俺自身実感している。
「どう口だけじゃねぇわけ。ちゃんしーパイセンに告白でもすんの?」
「告白しますよ! もちろん! 振られるってわかってるけど、そうしないと俺前にも後ろにもいけないんで!」
振られるために告白する。どう考えてもみじめだ。だけど、そうでもしないとこの恋を終わらせることができない。始まってさえいない恋だ。終わらせるにはそうするほかない。
音八先輩は黒い瞳を見開いて「へぇ」楽しげに笑っていた。その笑顔で音八先輩が俺に『告白する』と言わせるために煽ったのだろうとすぐにわかる。
「振られたら慰めてやるよ」
「ノーセンキューっす! そもそも振られても落ち込まないんで。むしろスッキリする」
「スッキリ? 振られてスッキリするとか変態かよ」
意味がわからないと音八先輩は肩を竦める。
恋愛なんて興味なさそうな音八先輩に俺の気持ちがわかるのだろうか。そもそも音八先輩って恋愛経験あるのか? 性には奔放だけど、恋愛をしたことなさそうだ。
「音八パイセンって恋愛したことあるんすか」
「お前、俺をなんだと思ってんだ。歌詞を書くオトコは恋してナンボだろ」
「音速エアラインは恋愛ソングほぼないくせに」
青少年たちの心の葛藤、悩み、迷いを振り払う泥くさいロックサウンドばかりだ。
恋愛ソングなんて、この間ちいちゃんがちるちるのために書いた『Sing for the king』くらいだ。悪戦苦闘していたけれど、その分ちるちるへの愛が、カルメンさんへの気持ちがぎゅっと詰まっていた。
王様の盾になりたい
一人で泣いている夜 嬉しいことがあった朝
王様に寄り添う青い鳥になりたい
本当は恋人になりたい 王様を独り占めしたい
俺のことを自由で我儘だと笑ってほしい
サイコーにちいちゃんらしい歌詞だ。あのライブだけの曲にするにはもったいないラブバラード。ライブで披露したらちいちゃん推しがときめく――いや、嫉妬するかもしれない。きっと音速エアラインのファンにちるちるの存在は知れ渡っているだろうから。
「まぁ確かに俺は恋だの愛だのそんなことよりヤろうやって押し倒すけど」
「音八パイセンのすけべー」
「オトコはみんなすけべだろ。本郷だってちゃんしーパイセンで抜いてるくせに。俺で抜いてもいいんだぜ」
「えー萎えますわー」
「は? 俺のフェラでイったオトコが言うことかぁ?」
にやにや口角を上げた音八先輩に股間をさすさすと撫でられる。そんなこともありましたね! 乾いた笑い声を上げながら、音八先輩の手を払いのけた。
「もーあれは事故みたいなもんでしょ!」
「事故ぉ? はー、本郷てめぇヤり逃げするタイプか」
「それ音八パイセンに言われたくないっす! 音八パイセンこそ、一回したら終わりなタイプでしょ」
「んなことねぇよ。一回して相性良ければもう一回。キモチイイって思えるセックスがサイコーだろ」
ぐっと音八先輩に胸ぐらを掴まれ、距離が縮まる。あっという間もなく、唇が触れ合っていた。まるで事故みたいなキス。
「さっき恋愛したことあるかって聞いたよな、今してるぜ。本郷に」
音八先輩は本気とも冗談ともとれる言葉を俺の耳元に囁くと、ロッカールームからあっさりと出て行く。
音八先輩が俺に恋? まさか。冗談でしょ。だって、みじめでクソダサい俺だよ? 好きになる理由なんてないでしょ。ほんと、意味わかんない。
ずるずる、その場に崩れ落ちる。今日も音八先輩のキスはセブンスターの香りがした。
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