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七本目は変革を_09

「おはよーございまー……」  ちるちるの家での勉強会を終え、向かったのはバイト先。先輩たちにシフトをかわってもらって、ぎちぎちに入れたのは音八先輩が今月末でバイトを辞めると言ったからだ。少しでも、音八先輩と一緒に過ごして考えるために。俺が音八先輩とどうなりたいのか、音八先輩は俺とどうなりたいのか。  元気よくロッカールームに入った瞬間、音八先輩とばっちり目が合った。いつものことだというのに、音八先輩がシャツを脱いでいる姿にドキッとしてしまった。不覚すぎる。四信先輩じゃない男相手にドキッとするとかなんなの。俺ホモなの。 「あっ! 音八パイセン! ちるちると家族ってどーいうことすか?!」 「は? 白金の坊ちゃんが言ったわけ?」 「そうっすよ。あれっすか、母親違いの義母兄弟ってやつっすか?」  白金家あるあるっすよねーとのん気に言いながら、ロッカーを開けた。  音八先輩のことながら軽い言葉が返ってくると思ったのに、気まずげに眉を寄せている。あれ、もしかして俺また地雷踏んだ系? 「……俺、地雷踏みました?」 「踏んだ。特大のやつ」 「マジかー、サーセン」 「軽いなおい」 「重たく考えるのやめたんで!」 「へぇ、なんかあったわけ」  音八先輩は制服に着替えると、パイプ椅子に腰を下ろす。大きくて厚ぼったい音八先輩の唇はにやにやと緩んでいる。きっと、音八先輩はわかっているくせに言わせたいのだ。それなら、言ってやろうじゃないか。 「ちゃんしーパイセンに振られました」 「おめ」 「軽い!」 「それが俺の売りだから。で、踏み出せたわけ」 「そうっすねぇー……これから、もっと踏み出します」  さっさと制服に着替え、ロッカーを閉める。今日は優しく閉められたなと笑い、音八先輩のとなりに腰を下ろした。  特大の地雷。空気を読める男なら笑って避けるべきだろう。でも、俺が今後も音八先輩と関わるのなら、ぜったいに避けては通れない道だ。 「特大の地雷ってやつ、聞いていいですか」 「聞きてぇの」 「はい。音八パイセンのこと、もっと知りたいんで」 「へぇ。俺のこと口説いてるわけ」 「口説かないっすよ。だって、口説かなくても音八パイセンは俺のこと好きなんでしょ」  今の発言、完全にクズなそれだ。  自分で言っといて、ものすごく引いたのに音八先輩は手を叩いて笑っている。この人のツボ、謎すぎる。 「はー……マジでお前サイコー。俺と白金の坊ちゃん――もう三千留でいいか、三千留は血の繋がりはなんもねぇよ」 「えっ? そうなんすか? でも家族なんでしょ」 「そうだな、家族だ。三千留は俺の弟だし、三千留は俺を兄と慕ってくれている。生まれたばっかの三千留を抱き上げた時、こいつは俺が守るって決めた」  生まれたばかりのちるちるを抱き上げる音八先輩を想像すると、どこからどう見ても家族に思える。生まれたばかりの白金家の御曹司を、他人が抱けるはずもない。許されるわけがない。 「俺の母親は政治家とか社長とかそーいうおエライさんが集まるバーで歌姫をやってたんだよ。そこで三千留の父親、光王(みつお)さんと出会った。二人は一目で恋に落ちて、俺が生まれた――って、俺は母親に散々聞かされてきた。中学生くらいまでは、まぁ律儀に信じてたぜ。俺と母親がなに不自由なく生活出来たのは光王さんが生活費をくれたおかげだし、俺の誕生日とか、祝い事があれば駆けつけてくれるし、白金家に遊びに行った時も三千留は俺に懐いてくるし、離れて暮らしていても俺は光王さんの子で白金の人間なんだって、思ってた」  音八先輩は煙草を口に咥え、ライターで火をつける。ゆらりと煙が上がり、音八先輩は顔を歪める。煙の匂いで歪めたわけではない。俺が特大の地雷を話させてしまっているからだ。  せめて、音八先輩に寄り添いたい。そっと音八先輩の手を握る。音八先輩は俺の目を見るでもなく、ただ握り返してきた。少し可愛い、不覚にも思ってしまった。 「中三の誕生日、光王さんに言われたんだ。俺たちには血の繋がりはないけれど、俺は音八を本当の家族だと思っているってさ。あー、マジか、俺血繋がってねぇのかってちょっとショック受けたけど、納得もしたんだよ。俺マジで光王さん要素ゼロだから。で、そうなると、本当の父親って誰? ってなるじゃん。あんまキモチイイ話じゃねぇけど、聞く気あるか」  ゆっくり、音八先輩は俺を見る。深くて黒い闇に似た瞳は、どこか悲しみを帯びていた。そんな顔しないでよ、眉を寄せてぎゅっと音八先輩の手を強く握る。 「音八パイセンの過去でしょ、キモチイイも気持ち悪いもないっすよ。聞かせて」  音八先輩は少し笑い、ふぅーと煙を吐いた。セブンスターの匂いがロッカールームに広がる。今はこの匂いだけで涙がでそうだ。 「俺の顔見てればわかると思うんだけど、俺の母親はなかなかの美人で光王さんと知り合った頃はストーカー被害に苦しんでた。真摯に話を聞いてくれる光王さんに母親はころっと恋に落ちた。ストーカー男はそんな母親を見て激昂して、店を出て一人で歩いていた母親に乱暴した。激しく乱暴された母親は気を失ってたみてぇで、偶然通りかかって介抱してくれたのが光王さんなんだ。母親はショックで乱暴された時の記憶がなくて、光王さんと体の関係を持ったことがないのに、俺は光王さんの子だって言っていた……本当は乱暴された時に出来たのが俺なのに。光王さんの子じゃねぇってどこかでわかりながらも、そう言う母親に俺はなにも言えなかった」  あ、だめだ。泣く。また俺が泣くべきタイミングじゃないのに。バイト前だというのに。  ぽろり、涙が一滴落ちる。そうなると、もう止まらなかった。音八先輩の手にもぼたぼたこぼれるから、あっさり気づかれてしまう。

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