「やっぱり空くんの言うとおりだね、ナナくんは音エアの敏腕ジャーマネだ！　これからも音エアをよろしくお願いしまーす！」 　明るく泣かせにかかるのやめてほしい。 　鼻をぐずっと啜り、泣くまいと歯を食いしばる。どうにか誤魔化そうと「やっぱあかりちゃんは空さん推しだから音エア呼びなんだね」どうでもよすぎることを口にしていた。 　音速エアラインは推しメンによって呼び名が変わる。隼人さん推しなら『音速』、空さん推しなら『音エア』、ちいちゃん推しなら『音ライン』となる。じゃあ音八先輩推しならどうしたらいいんだ？　なんて素朴な疑問。 「ナナくんは音くん推しでしょ？　全力で名前叫ばなきゃねー」 「あ、やっぱり音八パイセン推しは名前叫ばなきゃいけない系？　ていうか俺箱推しだからー」 「またまたー！　ナナくんは音くんとちょう仲良しだって空くんから聞いてるよ――来た！　空くん！！」 　あかりちゃんから黄色い声が上がり、客席がぐわんぐわんと揺れる。思い思いに推しメンの名前を叫ぶ客、いきなり泣き始める女の子、野太い声を上げるおっさんたち、音速エアラインはいろんな人に愛されているのだと熱気を肌で感じて、視線を舞台へと向ける。 　スティックをくるくる回していつもの笑顔を浮かべる空さん、クールに決めている隼人さん、まったく媚びる気がないちいちゃん。 　空さんと隼人さんはいつもと同じだけど、ちいちゃんから漂うオーラはいつもとまるで違う。対ちるちるのちいちゃんはいつもにこにこ笑って甘い台詞を囁いていたけど、客に対しては媚びる気ゼロスタンスだとは知らなかった。美形であることを抜きにして、一番女性ファンが多いのも納得できるドSオーラ全開だ。「あの赤い瞳に殺されたーい」「それな！」大きな声ではしゃぐ女性ファンたちからは、過激さを感じて若干引く。さすがちいちゃんのファンだ。 　三人が舞台に上がったということは、そろそろライブが始まる。それなのに、いまだちるちるは顔を見せていない。大丈夫かなと視線を彷徨わせていると「どうしたのナナくん」あかりちゃんが首を傾げる。 「ちるちるいないんだけど、大丈夫かな。とっくに着いていると思うんだけど」 「ミチちゃんなら袖で見るって！」 「えー！　特等席じゃん！　ずるい！」 「まー、ミチちゃんは音エアの運営側みたいなものだし。ちいくんファンって一番過激だからねー、ミチちゃんになにかあったら大変だもん」 「あー、ちいちゃんファンマジ過激だよね、わかりみ！　そーいう空さんファンはどうなの？」 「わたしはファン公認彼女だし、空くん推しは心が広いんだよね」 　あかりちゃんはどやっと誇らしげに胸を張る。確かにあかりちゃんはファンの間で有名なのか「あかりさんだー！」「あの人が空さんの彼女？　ちょーお似合い」「やっぱ空さんにはあかりさんしかいねーわ」二人の仲を応援する声が聞こえてくる。 　ファン公認彼女なんて架空の存在かと思ったけど、実在することに驚いた。空さんのファンがちいちゃんのファンのように過激ではないから、ありえる話だ。ちいちゃんのファンならマジでちるちるを刺しかねないと思ってしまう――カルメンさんとは和解したらしいけど、ちいちゃんとちるちるは事実殺されかけたのだから。 「来た――我らがエースのおでましだよ！」 　会場が一気に赤く染まる。スポットライトが音八先輩のカラーになっているのだと俺が気づくより早く、ファンたちからは音八コールが上がった。 　今日の俺様は俺だとばかりに音八先輩がゆっくりスタンドマイクの前に立つ。目さえ合っていないのに、ばくばくと心臓が音を立てた。ライブ映像で何度も舞台に上がる音八先輩は見てきたけれど、やっぱり生は違う。音八先輩の佇まいに心臓を鷲掴みにされてしまった。 　音八先輩がスタンドマイクを握る。その視線は舞台袖を見つめ、すぐに客席へと移した。きっとちるちるを見ていたのだろう、びっくりするほど優しい目をしていたのに客席へ向けた瞬間、獣じみた目に変わっていた。 「今日はとことん愛してやるよ。だから、お前は俺について来い」 　勘違いかもしれない。ファンありがちな「私のこと見てた！」「私に言ってたんだよ！」的なあれかもしれない。だけど、今の言葉は確かに俺の目を見て言った気がした。ファンに向けての言葉なら『お前』じゃなくて『お前たち』のはずだ。 　ぶわっと全身が熱くなり、壁に背中を預けなければ立っていられる気がしなかった。痺れるほどカッコいいとはまさにこのことだ。 　立ち振る舞いはいつもと同じで気だるげなのに、今日の音八先輩からはカリスマ性が溢れている。音速エアラインのエースが復活したのだと、ファンにも伝わったのかもしれない。まだ一曲目すら始まっていないのに、泣いている人がいる。ああ、音速エアラインはたくさんの人に愛されて、支えられている。低迷期に離れていったファンもきっとたくさんいる。だけど、今日を機に音速エアラインは復活する。泣いているファンの姿を、鼻を啜らせるあかりちゃんの姿を見て、思った。