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第3話

 大公は結婚するまではあまり公に出てこない。それは彼らもアルファであるためにオメガが意図して彼らの前で発情すると危険だという理由もあり、結婚するまでは国民のほとんどが姿かたちを知らない状態だ。ただ年齢くらいの差しさわりのない情報は流れている。たしか志摩大公は楓よりも五つほど年上の三十二歳だったように記憶している。流石にまだ彼の番が生まれていないということはないはずなのだが、国の血液検査で彼の番として引っかかったオメガは存在しない。そのことで本人はどうか知らないが、周りは血相を変えているようだ。現に今も駿河大公のニュースでアナウンサーの女が志摩大公の番について触れている。だがやはりまだ見つかっていないようだと楓は着替えながらぼんやりと見ていた。  シャツを着てネクタイを締める。ノットの形を整えて適当に鏡の前で髪に櫛を通した。瓶の中から真っ白な錠剤を三粒取り出し口に放り込む。苦い味が舌に残るが、構わず水で流し込んだ。  鏡に映るのは日に焼けない白い肌を持つ、男にしては貧相な人間だ。真っ黒の瞳は切れ長でノンフレームの眼鏡がより一層冷たい印象を見る人に与えるが、瞳と同じ漆黒の髪は艶やかで卵型の顔は年齢を曖昧にさせた。筋肉のつかない細身の身体は身長も百七十と平均的で、オメガとベータのどちらともとれる身体をしている。だが顔はオメガ寄りだろう。  一つため息をついて、楓はベストを羽織り鞄を持った。胸元にタブレットケースが入っているのを上から握りしめて確認する。  容姿がどうであれ、楓はオメガだ。その事実を覆すことはできない。だが幸いにもヒートと呼ばれる発情期は軽い方で、抑制剤で対処できるほどだ。ゆえに楓は誰とも肌を合わせたことはない。アルファの人間は何人か知っているが、彼らに近づいても理性が無くなることはなく、身体が熱くなることもなかった。そのおかげか、楓がオメガだと知っているのは、今は亡き両親と薬を処方してくれる主治医・それから無二の友くらいだろう。友人たちも、会社の同僚も、皆が皆楓はベータだと思っている。その勘違いを正そうとも思わなかった。オメガは何かと不便だ。勘違いしてくれているなら、そのままの方が都合が良い。  革靴を履いてドアノブに手をかける。 「……いってきます」  それに返してくれる声はない。シンと静まった室内を残して、楓は外からガチャリと鍵をかけた。 今日から1話ずつの更新です。すみません(ToT)

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