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第6話

 悠もまた、と軽く手を振って楓を見送る。思わず口元に笑みを浮かべた瞬間、悠よりも背の高い影が近づいた。悠は振り返り、その影にゆっくりと頭を下げる。 「お帰りなさいませ。もう会食は終わられましたか?」  言いながら悠は車のドアを開けて影が乗り込むのを待つ。影は無言のまま車に乗り込んだ。悠が丁寧にドアを閉めて、自らも運転席に乗車する。 「ではこのままご自宅までお送りしますね」  返事が返ってこないことを前提として悠は車を走らせた。会食の後は機嫌が悪いことの方が多い。その理由がわかっているだけに、悠はどうこうと言うつもりはないが。 「さっきの彼は――……」  思いがけず紡がれた言葉に悠はしばし戸惑う。 「彼、とは?」 「先程君が手を振っていた……」  あぁ、と納得して悠は車を運転しながら口を開いた。 「私の古い友人です。お互い時間が合わずなかなか話をする機会もありませんが。先程偶然見かけたもので声をかけたのです。それが、いかがいたしましたか?」 「……――いや」  それ以上を言うつもりはないのか、上司の男は無言で窓の外へ視線を向けた。流れる景色を見ているようで、その実見ていないことを悠は知っている。考え事か、だとするならば何を考えているのだろう。会食の事か、それとも話の流れ的に楓のことか。  楓がオメガであることをアルファである悠はもちろん知っていた。だが発情期と思われる時でもほんのわずかしか匂いはせず、常などはオメガと認識していなければベータと間違うほどだ。元々オメガとしてのフェロモンが薄いのか、抑制剤がよく効く体質なのかはわからないが、楓が近くにいて悠が熱に浮かされたことはない。  だが、と悠は考える。今考えこんでいる上司もまたアルファだ。それも悠など太刀打ちできないほどに強大な力を持つアルファ。そんな彼が楓のことをほんの一瞬でも気にしたことが、どこか悠には引っかかった。  絶対にそうでないといけないというほど悠は凝り固まった考えの持ち主ではないが、それでも長年の友である楓には最良の番を得て幸せになってもらいたいと願う。  楓はどこか潔癖のきらいがある。今まで誰とも肌を交えたことがないように、発情期の間だけアルファと関係を持つという割り切ったことをするだけの器用さとある種の妥協を知らない。だが、オメガの発情期はアルファの精でなければ鎮めることができない。今は抑制剤で抑えられていたとしても、ずっとそうだとは限らない。悠はずっと危惧しているのだ。発情期の症状が薄いオメガが、ある日突然爆発したように強烈なフェロモンを纏い、一度アルファの精を受けただけでは鎮まらないほどに発情の飢餓に苦しむことがある。それは何も一人に限らない。もう何人もそのような事例が上がっている。楓はこれに当てはまるのではないだろうかと悠は思っていた。ならば早く楓を大切にしてくれるアルファを探して番えば、楓のフェロモンは番の相手にしか効力を発しなくなる。  だが、この上司は駄目だ。人間性が駄目だと言うつもりはない。むしろ楓の相手として理想的だともいえるだろう。懐深く、穏やかで、恐らくは一途で誠実。能力があり金銭面でも苦労することはない。顔もなかなかお見掛けしないほどの美丈夫で、背も高い。これ以上ない程の優良物件だが、それでもこの上司は駄目だと悠は判断する。彼自身が駄目なのではない。彼を取り巻く環境が駄目なのだ。  しかし、悠はそれほどまでに危機感を覚えていない。むしろ安心さえもしている。この上司の番が誰だかは知らないが、それでも楓ではないことは既に確かだ。先程一瞬気にかけたのも大した理由ではないのだろう。そう悠は結論付けた。 「もうすぐ到着いたします」  ありもしない心配に頭を使うよりも、どうにか休みを捻出して楓と食事に行く方がよほど効率的だ。そう思って悠は静かに車を走らせ続けた。

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