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理由3
新緑の季節は過ぎ去り、梅雨入りを迎えつつある頃、宵娯は成績や生活態度のことで呼びだされた。普通に生活を送る分には支障はないが、昏睡状態で長く入院していたこともあり、それも記憶の方は未だに治る兆しもないために、体調のことはこれまでもしばしば聞かれてきた。
成績について苦言をもらったところで、そもそもが他の者のように学校に通っていたこともない宵娯は、ついていくことが出来るはずもなかった。そんな状態では進級も危ないと頭を悩ませていた教師が、空いた時間に補習をしてくれてはいるが、それでもようやく中学生レベルに行くか行かないかのレベルだ。
自宅での自習をこれまで以上に真面目に取り組むようにということと、それよりもこちらが本題というように切り出されたのが、不純異性(同性)交遊についてだった。さほど厳しい校風ではなく、本来ならば学生の恋愛事に口を出すことはないらしいのだが、勉強が同級生に追い付くまでは、極力そういったことを控えるようにと言われる。
その教師も色目を使えばすぐに言いなりに出来ると知っていたが、ひとまずそれに従うことにした。どちらにしろ、このところは誰と行為に及んだところで心底楽しめず、常に侑惺の姿がちらついていたために、これはいい機会だった。
教師と挨拶を交わして職員室を出る際に、長身の白衣の男が目の前を通り過ぎた。すぐにそれが体育祭の時に見かけた男だと気が付き、何気ない風を装って視線を送る。すると、男はわざわざ立ち止まり、宵娯の顔を凝視したかと思うと、驚きで目を見開き、続いて苦悶に満ちた顔つきをし、声をかけてこようとする。
「君は――」
ところが、男が何かを言う前に職員室から誰かに呼ばれ、そのまま名残惜しそうに宵娯を振り返りながら入って行った。
「あの男は……」
宵娯には目覚めてからの短い記憶しかなく、いくら手繰り寄せようとしたところで、男に関する情報は出て来ない。以前の自分を知っている人物にも会ったことがなかったが、もしかしたら、男は宵娯の過去を知る唯一の手掛かりかもしれなかった。
今まで自分の失った記憶に興味は抱かなかったが、突然現れた過去の残滓に戸惑い、感情を持て余す。ここで待っていれば男と話ができるかもしれないが、今更過去のことを知ったところで、自分はどうするというのだろう。
宵娯はしばしの間逡巡し、チャイムが鳴るまでの間と決めて待ってみたが、男が出てくることはなかった。
諦めて踵を返しながら、教室に駆け込む生徒の流れに逆らってゆったりと廊下を歩いて行くと、誰かにつけられていると感じた。
後ろを振り返って確かめる前に、トイレに差し掛かったところで腕を引っ張られ、そのまま中に連れ込まれる。
「水無月」
呼びかけると、その相手は僅かに笑って見せて、そのまま身体に密着してきた。水無月の意図を察して身を捩らせると、強く腕を掴まれ、壁に縫いとめるようにされる。
「すまないが、我はもうこのようなことは控えるようにと言われたんだ」
「どうして」
「勉強が追い付いていないからだ」
その答えに対し、水無月は不満そうに鼻を鳴らしたが、腕の力を緩めた。解放されるかと思いきや、壁に手をついて囲い込まれる。
「じゃあさ、最後に一回だけしてくれてもいいでしょ」
「水無月」
珍しく食い下がられたかと思うと、水無月は肩口に顔を乗せ、耳元で囁いた。
「交換条件。わざと体育祭の日から避けてたけど、いい加減、焦らしプレイにも飽きてき
ちゃってさ。本人たちで解決させるつもりもあったんだけど、あいつが口を割る素振りもないし。宵娯が清水に嫌われている理由を知りたい?」
「それは何だ」
餌に食いついて即座に問いかけると、水無月は笑いながら宵娯の唇を掠め取った。こちらが先だということらしい。
宵娯はいつになく気が乗らなかったが、この際水無月を侑惺だと思おうと決め込み、早々に事を済ませることにした。
「それで、理由とは何だ」
少しの余韻も残さずに尋ねると、水無月は乱れた服装もそのままに、髪を掻き上げながら告げる。
「清水は、親が不仲らしいんだ。というより、父親に忘れられない相手がいるとかで、母親はそれを知りながら結婚したくせに、後になって耐えられなくなって他所の男に走ったらしい。あとは憶測だけど、清水はそれを見せられていたから、宵娯が母親と重なるというか、そもそも肉体関係みたいなのがダメなんじゃないかなって」
宵娯はざっと血の気が引くような感覚を覚えながら、初めて怒りのような感情を滲ませた。
「そなた、それが分かっていてわざと、今我と抱き合ったんだな」
「その怒りも筋違いだよ。宵娯、君がいくら今更こういうことをやめたところで意味はない。それどころか、彼に対して想いを告げたところで不毛なだけだよ」
宵娯が黙り込むと、忠告はしたからねと言い置いて水無月は出ていった。
どうにか前向きに考えようとするが、いい案は今のところ浮かばない。呆れるほど侑惺のことを考え、自分がその隣にいられる可能性を渇望し、これが恋だと今更のように自分の気持ちに名前を付けた。
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