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恵みの雨2

 午後になると、いよいよ嵐でも来たのかと思うほど雨風が強くなってきた。電車通学に限らず、徒歩の生徒も一斉に帰宅を促され、皆親や友人の親に送ってもらおうとしている。念のため宵娯も電車の運行状況を調べたが、やはり運転見合わせとなっていた。 「宵娯、俺の親に送らせようか」  烏山が申し出てくれるが、取りあえず義母にメールを送り、5分と経たずに了解の意が来たことを伝えると、非常に残念がった。 「じゃあ、せめて親が来るまで」  と、無駄に必死に懇願されたので、揶揄うつもりで肩を抱き寄せてやると、分かりやすく赤面する。調子に乗ってそのまま顔を近づけた時、誰かが廊下を歩いてきた。 「桜庭」  鋭い声が飛んできたかと思うと、その声の主はずかずかと教室に入って来て、宵娯の目の前に仁王立ちした。何故か苛立った様子で烏山を見るので、烏山と距離を取ってから侑惺に問うような視線を送る。 「桜庭、俺を送ってくれないか。親は出張でいないんだ」  それはわざわざふんぞり返って言うことだろうかという突っ込みを入れたい気持ちもあったが、それよりも侑惺と帰れるという状況が嬉しくて、雨に感謝したい気持ちで溢れた。 「何だよ、羨ましいな」  と文句を垂れながら、烏山は親が来たらしく、手を降って帰っていく。  教室にはまだ何人かの生徒が迎えを待っていたが、宵娯は侑惺と二人きりになりたかった。それを口にしようとしかけたところで、侑惺が図書室に行こうと言う。宵娯は即座に頷いた。  まだ開いているか心配だったが、司書の先生が図書委員の代わりに残っていたらしく、あと三十分で閉めるから、君たちも早く帰りなさいとだけ言った。期待通り他には誰も図書室にはおらず、外で稲光りが走ると、続いて強風が窓を揺らした。 「桜庭、ここに来たのは他でもない」  唐突に切り出した侑惺は、いつの間にか手にしていた勉強道具を広げる。そして時計をかくにんしたので、あと一時間はかかると伝えた。 「一時間、いや三十分あれば十分だ。桜庭の勉強を見るためには」 「俺の勉強を?」 「だって今朝、桜庭が言っていただろう。次の試験は赤点は取らない自信があると」 「ああ、それが?」 「俺が勉強を見てやるからには、赤点どころかクラスのトップにしてやる」  そう言ったかと思うと、にやりと口元に笑みを浮かべながら、早く席に着くように宵娯を促す。この状況は素直に喜んでいいものか悩むところだった。何故なら、もし侑惺の成績を越えてしまえば、宵娯の言うことを何でも一つ聞いてやるというあの言葉が有効かどうか分からなかったからだ。 「何を躊躇っている」  怪訝そうに聞かれて、侑惺は今朝のことは綺麗に忘れているのだと判断した。落胆のために思わず溜息が出ると、侑惺が何かに気付いた顔をして、ああと呟く。 「今朝のことだけど、後でその話をしよう」  まさか切り出してくれるとは思わなかったので、抑えようと思っても喜びで顔が緩んだ。それを見て、侑惺は早く座るようにと目で促してくる。それに従って素直に着席すると、早速問いかけてきた。 「桜庭、まずはどれが一番苦手か教えて」 「理数かな」  本当はどれも同じぐらいできないのだが、敢えて侑惺が得意なものを選んだ。  こうして三十分の間勉強を教えてもらうことになったのだが、侑惺は教え方が上手くて、教師よりも分かりやすかったので随分と捗った。  司書の先生に追い出されるまで真面目に取り組んだ後、誰もいない廊下を二人で歩いている時に侑惺が言った。 「まず桜庭、言い捨てて逃げるのはやめてほしい。せめて俺の返事を待ってくれ」 「ああ……」  だが、侑惺の返事を聞くのが怖かったんだと、臆病な自分の声を無視して平気なふりを取り繕う。侑惺に本気になった途端、目まぐるしく自分の性格まで変わってしまうようで、今は以前のように余裕をもってこの状況を楽しめず、少し怖かった。 「俺は前にも言ったように、桜庭の気持ちには応えられない。それは変わらない」 「……分かっている」  それでもいいと言ったのは自分だ。友人という関係をようやく手に入れ、傍にいる権利をもらっただけでも満足しなければいけないのに、どんどん欲深くなっている。  相手に受け入れられないと知っているからこそ苦しいのだが、少しでも可能性を見出すと調子に乗ってしまいそうになる。  気まずい沈黙が流れ、侑惺の言葉はそれで終わりかと思われたが、まだ続きがあった。 「でも、俺は桜庭の気持ちが嫌なわけではない。それだけは伝えておきたかったんだ。だから、俺が桜庭を好きになるという願い以外なら、何でも」 「お前はずるいな」  思わず、苦笑とともに呟いていた。侑惺が動きを止める。その目を真っ直ぐに見つめながら、泣き出しそうな声を絞り出した。 「そう言われたら、諦められないじゃないか」  中途半端に優しくしないで欲しい。いっそ自分を詰ってくれたら。嫌いだと、可能性は一ミリもないのだともっと拒んでくれたなら。 「桜庭」  泣きそうになったのは本当だが、心配そうに声をかける侑惺の顔を見ているのが辛くて、顔を俯かせる。 「ごめん、桜庭。俺――」  困ったように謝る侑惺の声を聞いていると、辛さよりも次第に悪戯心が沸いてきた。侑惺が覗き込むように見てきた瞬間、頬を捉えて素早く口付ける。 「なっ、おい桜庭!」 「いいだろうこれくらい。仕返しのつもりだ」 「し、仕返しって」 「どうした、顔が赤いぞ。熱でもあるのか」 「やめろ、近付くな!」  慌てふためく様子を見て笑いながら、いつか合意の上でキスができる日を雨に願う。ちょうど聞き届けられたように雷鳴がした。これも叶えられそうな気がした。

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