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櫻人1
鳥の声が聴こえる。続いて、川のせせらぎだろうか。穏やかな気持ちになりながら、ゆっくりと目を開いていくと、緑が生い茂る山の中にいた。
現実と比べても遜色のない草木の臭いと肌触りに、一瞬あの集団にここまで連れてこられたのかと考えたが、こうして野放しにするはずがないと思い直す。
恐らくこれもまた夢なのだ。あるいは、記憶とも言える。ここまで忠実に再現できるならば、なぜこれまで思い出せなかったのだろうか。
上空を見上げると、やはりいつもより空が遠くに感じた。見回しても、人の気配もない。
確かもう少し奥まった場所に、父と母と3人で暮らしていた。幼い頃はこうして人里離れた場所ばかりにいたことを思い出していく。はっきりとした理由は分からなかったが、各地を転々としてきた。父と母以外の人と接する機会はほとんどなかった。学校にも通わせてもらった記憶はない。
まるで何かから逃げるようにしていた。その何かの正体を今ならば分かる気がする。
過去に思いを馳せながら山の中を歩いていくと、小屋が見えてきた。あそこに父と母がいる。そして、あの会話を聞くのだ。
あの時は特に理由があって盗み聞きしたわけではなかった。ただ、本当に偶然だった。それを再現するようにして、二人に気付かれないようにそっと戸口に近付いていくと、男女の会話が漏れ聞こえてくる。
「奴らがサクラビトを追っている理由は分かっているつもりだが、もうそろそろ逃げ続けるのも限界じゃないか。君ももう長くはないんだろう。せめて最期ぐらいは不安の種を無くしてしまえたらいいんだが」
「それが出来れば苦労しないわ。彼らに話が通じるとは思えない。何より、今まで私たちサクラビトが受けてきた仕打ちを考えれば、決して許すことはできない」
「だからって、あの子のことを考えると、友達も一人もいないのは不憫だ。そもそもどうして、奴らは今になって君を狙ってくるんだろう。君は学生時代までは普通に生活できていたと聞いたんだが」
「きっと私以外のサクラビトがほとんどいなくなったのよ。私がいなくなったら、あの子のことをお願いね。たぶんあの子もあなたより先にいなくなってしまうだろうけれど」
「言わないでくれ。君を長生きさせる方法さえ見付けられていないというのに」
奴らというのが、あの集団を指していることは間違いなかった。しかし、サクラビトというのは何なのだろう。そのまま当てはめると、「櫻」と「人」を合わせて「櫻人」か。
身内の欲目を除いても、母が常人離れして美しかったのも、そのサクラビトとやらだからと当時はすんなり納得したように思う。今も疑問は残るが、母がただの人ではないという点に関して言えば不思議と疑いの余地はない。
それならば自分もそのサクラビトというものなのか。そして、長く生きられないというのか。生まれ落ちた瞬間から寿命を決められているのは、何て理不尽なのだろう。
もやもやとした思いを抱えながら辺りを見回すと、再び突然に景色が変わっていった。季節が早送りされたようにあっという間に移り変わり、あの瞬間が訪れる。
濃厚な花の香りが鼻腔を刺激し、それに埋もれるようにして突っ伏していると、肩を揺さぶられた。
ゆっくりと顔を上げると、父が辛そうに顔を歪めて見下ろしていた。
「宵娯、母さんはもう……」
その言葉を最後まで聞くことができずに、首を降り、突っ伏していたところにある冷たい人形を未練がましく見つめた。
生きていた頃も誰よりも美しかった母は、死してなお、より一層美しさを増し、それは一瞬の神々しささえ纏っていた。母の名前と同じ桜の花弁に抱かれて、安らかに眠り、今にも動き出しそうな気配を漂わせている。そのあまりに生々しく、若々しい有り様に自分の未来が透けて見えた。
「父さん、僕もあまり生きられないの?」
その台詞に、父が息を呑む気配がした。長い沈黙が流れて、父は何も返事をしないだろうと思われた時に、独り言のような言葉が降ってきた。
「知らないままでいさせたかったんだがな」
弱々しく微笑む父を見上げて、胸が痛んだが、問いを止めることはできない。
それを止めれば、母の死からも目を逸らすことになると感じた。
「父さんと母さんが話しているのを聞いたんだ。サクラビトって何?」
「それは――」
父が答えようとした時、その背後からあの白衣の集団が現れた。さっと強張る父の顔を見て、咄嗟に父の背中に隠れる。
「彼女はもうこの世にいない。残念だったな」
「その少年を差し出せ。息子なのだろう。サクラビトと人間のハーフとは、貴重なサンプルが取れそうだ」
白衣の男が手を伸ばしてくるのを、父が叩き落とした。
「ふざけるな!彼女から話は聞いている。貴様らの行いは全て法で裁いてもらう。この子に手出しはさせないぞ」
父が必死で自分を守ろうとするが、彼らは鼻で笑った。
「法がなんだと言うんだ。この研究が成功すれば、我々の正当性は間違いなく認められ、国は味方してくれるに違いないのだ。どうだ、お前もこちらに来ないか。彼女を蘇らせる手段が見付けられるかもしれない」
その言葉に目が眩んだのか、父はそれまでの抵抗を忘れ、彼らに従ってしまう。
それまでの鮮明な記憶に比べ、その後の出来事は断片的になった。あまりに衝撃が酷すぎたのか、ただただ血と薬品の臭いと絶叫を伴う痛みばかりが襲いかかる。
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