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15.昏い暗い道中で

「幾度殺してもなお足らず…次に相見(あいまみ)えたらば、(くび)り殺してやろうか」  雨月は幾度めか分からない呪詛を吐き出して唇を噛み締めた。そしてそのまま憤怒の炎を燃やしながら暗い妖の道を歩く。聞いたままに、気を付けなければ気付けぬほどの僅かな(しるべ)を辿りながら無月が夜の城と呼んだ場所を目指す。  雨月が発つその日の内に無月が夜の城の主たる者に文を出したそうだ。しかしそこはどんな場所か雨月にはわからず、いつ辿り着けるかわからない。無月が伝えた通りの導を辿ってただひたすらに進む。本当に辿り着けるか分からない。  しかしそれでも、雨月は今にも人を射殺さんばかりの目をしたままで、ただ教えられた導を頼りに歩き続けた。  どれくらい歩いたか検討もつかない。しかし、不自然だと感じた雨月は歩を緩める。辺りは何も変わらない。  本当に何も『変わっていない』のだ。人の酌量では測れない鬼は休みなど無く万里を駆ける事もできる。そして雨月は足を止める事無く前へと進んでいた。同じ道など一度も通っていないはずだ。妖の道で幾重にも交じっているとはいえ、同じ交差路に入った覚えもなければ同じ導を見た覚えも無い。だからといって導を見失ったという事も無い。  なのになぜ空は暗いままなのだろうか。  ケモノ道と呼ばれる事もあるこの道だが、常に暗い訳ではない。昼のように太陽が覗く事もあるし黄昏時は人の世と繋がりながら、より長くこの場所を赤く染める。なのに辺りは暗いままだ。発光している虫や妖の目が暗い中で光っているだけで暗闇なのだ。  時間の歩みももちろん人の世とは異なるが、常に暗いままの場所はごく一部に限られる。そういった場所は少なくとも、そう簡単に入り込めるような所ではない。雨月が何とはなしに空を見上げると、たった一つの月と目が合った気がした。暗い夜空の中で穴がぽっかりと開いたように丸い月は、冷たく白銀に輝きながら雨月のいる場所を見下ろしている。鬼の月はどんな場所でもただただ、鬼たる者を無感情に見下ろす。  だが、月と睨み合っていても何も変わらない。  雨月が再び歩を進めようとすると、小さな音が耳に入ってくる。先の見えない闇の中で小さく小さく聞こえるのは押し殺されている誰かの声と何かの音だ。声を持つモノならばここがどこか分かるかもしれない。雨月の最優先事項は夜の城に辿り着く事だ。もし話の通じない(あやかし)ならば切り捨ててしまえばいい。一つ頷いた雨月の足は、その声に引き寄せられるように方向を変えた。  しかし、押し殺されていた声の内容がはっきりするにつれて雨月は少しだけ後悔した。 「ああ、ああ…!そこでありんすぇ…もっと、もっと欲しい…!」  粘りけのある水音と肉同士がぶつかり合う音、そして艶かしく甘ったるい女の声を聞けばこの先にいる者達が何をしているか想像に難くない。そして何をしているか分からないほど雨月は初でもない。  だからといって先に進むのも憚られる。音を立てずにそっと踵を返した雨月だが、目の前に広がる光景に目を見開いた。  先ほどまで足元くらいは見える仄かな灯りが月から降り注いでいたにも関わらず、振り向いた先には闇しか無い。暗く佇む闇は、己の足元すらその深淵へ飲み込んでいた。それこそ、一歩踏み出せば二度と戻れないのではないかと錯覚するほどに先は(くら)い。  そんな状況で仕方なく振り返れば、足元から闇に飲まれるどころか幾分か先の道まで見えた。わざとらしすぎる程の一歩通行のという事が分かって雨月は思わず嘆息する。しかし進むであろう先には睦み合う男女がいるらしい。邪魔になりたくもなければ、こんな場所で睦み合う二人だからこそ厄介事に足を突っ込むのもさらさらごめんである。  いかがなものかと考えていた雨月に先ほどまでは異なる音がそっと耳打ちした。  ぴちゃり、という大きな水滴が落ちる音。  ぐちゃり、という水分を含んだ何かが潰れる音。  じゅるり、という何かを(すす)り取る音。  カリカリと小さく囁くのは固い何かを削る音ではないだろうか。  いつの間にか女の声も、睦み合う熱に熟れた音も(つい)えていた。代わりに聞こえてくるのは何かを滴らせながら()んで(すす)り、刷り削る音だ。ふわりと向かって吹いてきた(やわ)い風は甘く濃厚で、()せ返りそうな香りをたっぷりと含んでいる。  そして雨月はその香りをよく知っていた。それは刀を振るう度に辺りに散らばる香りだ。なにより、雨月は幾千とそれを浴びてきた。 「人喰いだったか…」  吐息のように吐いた言葉に合わせて何かを咀嚼(そしゃく)する音は止む。そして刀を構えようとする雨月に向かって、暗い道の先から先ほどまで食事をしていた何かが蠢きながらやってきた。

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