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16.永夜の享楽街

 ゆっくりと道の先から現れたのは対照的な二つだった。  一つはギチギチと音を立てる顎と鋭い無数の足が地を踏みしめるきしみを発し、固い殻が(うごめ)き合って発生する摩擦音を響かせるもの。よく見ればそれは毒を持つ百足達の塊だった。  そしてもう一つは百足達の黒の中でよく目立つ白い体。数多の毒虫を(まと)い従えていたのは、豊満な体を隠しもしない女だった。こんな状況じゃなければ、何もしていなくてもその風貌と体から香る色香は雄達を誘惑するだろう。  警戒する雨月に対してキシキシと音を立てる百足達に対して、女は口元の赤を拭いながらきょとんとした顔で動きを止めた。その表情を見ると、雨月に気付いたのは本当に今らしい。 「あら、いやでありんすえ。こんな姿で恥ずかしい」  雨月の姿を目に留めた女が恥ずかしがりながら慌てて手を横に差しのべる。すると百足達が動き、その手から這い上がってその豊満な体を動き回る。気付けば女はしっかりと真っ黒な着物を着ていた。 「許しておくんなまし、こんな裏道に誰か様が入られるなんて思っておりんせんで…」 「裏道…?」  謝罪から頭を下げた女に雨月は少しだけ刀を持つ手から力を抜く。もしかしたらあまり良くないどこかに迷い混んでしまったのかもしれないと危惧したが、その不安は続いた女の言葉で散った。 「ええ、ここは夜の城と呼ばれる場所の半分忘れられた裏道の一つ…あちきは少しばかりお仕事をしていただけですえ」 「ここは、すでに夜の城の領域、なのか…?」 「ええ。ここは夜の城。夜を従える者の統べる常盤の地。望む者しか辿り着けんせん。ここにいるという事はお前様はここに来たかったのと違いんすかえ?」  女の言葉に雨月は頷く。いつの間にか目的の地に足を踏み入れていたようだ。女は艶のある笑みを浮かべて雨月を手招く。 「ここで会ったのも何かの(えにし)…大通りまで案内しんしょ。なに、心配はいりんせん。あちきは今お腹が膨れておりんすから、取って喰いやしんせんえ」  コロコロと笑って軽口を言いながら自然に手を重ねた女を、雨月は思わずはね除けそうになるがすんでの所で堪えた。ここで一人にされたら二度とこの暗い道から出る事はかなわないのではないかと頭のどこかが警鐘を鳴らしている。 「ふふ、お前様はよく分かっていんすな。この場所の主様はあちきらに悪い事をするお方には容赦ありんせんえ。でも、大丈夫…あちきはお前様の事をちゃんと連れて行くざんす」  女に導かれるまま、二人は道を進んだ。暗い道を歩き、やがて現れた光景に雨月は思わず息を飲む。  空は暗く、大きすぎる月が真ん丸と浮かんでいる。まるで穴の底から天を見上げているようだ。しかし、この穴の底で生きる者達は地上に羨望を走らせる事は無い。女、男、酒、料理、賭博、上げたらキリがないほどありとあらゆる享楽がそこには揃っていた。煌々と照らされる灯りは仄かに紅を含んだものから白、挙げ句は青や緑の灯りすら街を彩っている。初めて訪れたならばまずは戸惑いがその足を止め、やがて興味が手を引いて最後は享楽に飲まれていくに違いない。  そこはそんな街だった。 「す、ごい…」 「ええ。すごいでしょう?ここは夜。ずっと夜。だからこそ夜の楽しみだけが溢れていんす」  しかしその楽しみの中にも決まり事はある。それを守れなければあとは決まっている。だが、決まりさえ守れば二度とここを出たくないと思うほどの(よろこ)びに呑まれるだろう。  そんな話を雨月は静かに女から聞いていた。 「もも」  ふと女の低く落ち着いた声が、女と雨月の間に割って入る。声の出所に目を向ければ、そこには三対の腕を持つ女がいた。どちらかといえば落ち着いた服飾だが、中々見ない服の形でそれが目を引く。 「あら、くぅ。どうしんしたか?」 「新しい客?」 「いいえ、裏道でお会いしんしたんで連れて来たんですえ」 「そう。ももはあと四半刻もすれば次の客がいる」 「それは普通の方かしら?」 「今のところは」 「それなら…」  ほろほろと笑いながら雨月を案内してきた女が、声をかけてきた女に答える。ももとくぅと呼ばれた二人は親しげに話し、その会話から二人はこの街の遊女だとなんとなく分かった。  口も挟まずにぼんやりと辺りを見回していた雨月はいつの間にかももとくぅの会話が止んでいる事に気付く。それにに気付いて二人に視線を戻すと、雨月を見ていた二人の女がおかしそうにふわりと笑った。  どうやら雨月ですらも、この街に呑まれかけていたらしい。

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