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第3話

 2  月日は平穏に流れ、言葉を覚えているうちに二週間が過ぎた。  鏡に映る姿には違和感しかなかったが、ライラと呼ばれる美形暮らしも板についてきた。  単語もかなりの数を覚え、意思疎通に問題はない。  相手からすればたどたどしく聞こえるだろうが、言語習得の始まりはそんなモノだ。  日本語をわざと英語らしく発音して、さらに歌うような抑揚をつけるといいこともわかってきた。歌うような節で単語を連続させるので、接続詞があるのかどうかは不明だ。  世話を焼いてくれる老婆が親切で、話に付き合ってくれるのもありがたい。  外見に似合わない粗雑な振る舞いをすると、悲しげに眉をひそめ、さりげなく直してくれる。大股開きで座らないとか、頬杖をついたまま口を開けないとか、そういう程度のことだ。  しかし、おしとやかに振る舞う気は微塵もないので、直されてもすぐに元へ戻ってしまう。ライラ自身が、自分の姿を見ることができないのだから、仕方がない。 「パーティーを開くことにしたんだよ」  昼下がりのお茶の時間に、フェルディナンドが言った。  彼は、この世界の貴族で、王の乳兄弟だ。  仕事は、近衛兵の中でも貴族だけで構成されている親衛隊の副隊長。隊長は名の通った年寄り貴族のための栄誉職だから、実質は彼、フェルディナンドがリーダーだった。  親衛隊の任務は、王のそばに控え、護衛することだ。他にも、剣術や馬術の稽古、国内外の視察同行、各自での巡回任務もある。  フェルディナンドは現在、ラレテイ家の領地付近を巡回する任務中で、国民の暮らしぶりを観察して王へ報告するのだ。貴族にとっては、自分たちの領地を管理する仕事も兼ねている。 「なにの、パーティーですか?」  ライラが聞き返すと、知った単語と知らない単語が入り交じった。 「芽吹きを祝う祭りだよ。ミッラーの」  テラスから見える木々を指さし、枝から葉の生えてくるジェスチャーを見せられた。それから、ダンスをするような仕草だ。 「ミッラー?」  首を傾げて、斜め上を見る。  ライラが身につけているのは、生成りのシャツに焦げ茶色の綿パンツ。ゆったりとしていてリラックスできる。足元は素足につっかけるだけのサンダルだ。木を削り、革が打ちつけてある。 「ミッラーは暑い季節のことだ」  繰り返し発音してくれるのを聞いていると、やがて、『ミッドサマー』に近く聞こえてくる。 「ルブローデの『季節』はふたつ。『芽吹き』と『落葉』。向こうにある高い山を越えた国へ行けば、『静けさ』が加わる」 「よっつ、は?」 「あるとも」  フェルディナンドは嬉しそうに眉を跳ねあげた。 「よっつめは『静けさ』の後に来る『目覚め』だ。そして『芽吹き』がまた来る。ライラ、きみはとっても頭が良いね。もう、だいたいのことはわかっているようだ」  にっこりと微笑みかけられたが、ライラは褒められることにも興味ない振りで視線をそらした。カップ&ソーサーに入れられた、ベリー風味のハーブティーを見る。  この世界にはいくつか国があるらしく、ここはルブローデという名前の国だ。広さは単位が違うので、聞いてもわからない。ようやく意思疎通ができるレベルの語学力になったばかりで、少し込み入った話になると、途端につまずいてしまう。  ただ、生活様式はほとんど変わらなかった。ガスと電気はないが、上下水道は整備されているし、衛生面も悪くない。  独特な習慣もあるが、驚くようなことはほとんどなかった。  衣服も含めて、中世のヨーロッパに近い印象だ。 「相変わらず、つれないんだな。命の恩人に、微笑みぐらい、向けてくれないか?」  フェルディナンドの口調が途端に甘くなる。ライラはうんざりした。  ここで暮らして一週間が経った頃、『飛び出た性器同士ではキスも抱擁もしない』とジェスチャーしたライラに対して、フェルディナンドは力説をふるった。  ありとあらゆるジェスチャーと言葉を使い、ここでは異性愛と同性愛に違いがないということを、しつこく説明された。  その根気強さは、恐れを感じさせるぐらいに熱烈だった。 (ヤリたかったんだなぁ……。いまもか……)  フェルディナンドは基本的に育ちがよく、物腰も柔らかだ。目を欲情でギラつかせたり、襲ってくることはない。  恩を売るような素振りを見せることも、冗談でしかなかった。 「感謝してます」  ライラが答えると、フェルディナンドの表情がパッと華やいだ。 「きみの声は本当に美しい。小鳥のさえずりのようだ」  意味を取ろうと聞き入っていたライラは、歯が浮くようなセリフにがっかりした。  フェルディナンドの話は、真剣に聞くだけ疲れてしまう。大半は口説き文句だ。 「庭で行うパーティーだ。気も紛れるだろう」 「楽しみです」  浮かんだ言葉で適当に答える。まだ難しい言い回しはできない。  ライラが異世界の人間だと見抜いたヘルヤールは、そのことをフェルディナンドに説明しなかったようだ。崖から落ちて記憶を失ったと誤解されている。  ヘルヤールと会ったのは、その日限りだ。  もう来ないのかとフェルディナンドに尋ねたが、同じヘルヤールには会えないという返事だった。  嘘か本当かはわからない。フェルディナンドの言うことも、ヘルヤールの言うことも。  しかし、この世界で生きていることは現実だ。毎日は変わりなく巡ってくる。  昼下がりになり、空から降り注ぐ日差しは弱まっていた。真昼ほどの強さはない。  この国の夏は、湿気もなく、からりとしていて、三日に一度の割合で降る霧雨が辺りを潤す。  ライラは、その景色が好きになっていた。         ***  身の回りの世話をしてくれる老婆からは褒めちぎられたが、ライラはパーティー用の衣装に満足していなかった。  フェルディナンドが用意した服は、あまりにもヒラヒラしすぎている。  襟元にも袖にもフリルが施され、下半身はぴったりのサイズで作られたズボンだ。編み上げのブーツには低いけれど華奢なヒールもついている。  鏡に映ったライラは、確かにきれいだった。  しかし、派手すぎる。悪目立ちしそうだと思ったが、衣装を替えたいという申し出は却下された。フェルディナンドの強引さで、夕暮れの庭へ連れ出された。  彼は仕立てのいいロングコートジャケットを着ている。  ガーデンパーティーは盛況だった。テーブルとイスも出されているが、立食のスタイルだ。楽団の奏でる音楽に人々のざわめきが入り交じり、初夏の心地よい夜だ。  次々に招待客を紹介され、教えられた通りに挨拶をする。そのうちに、フェルディナンドの思惑が見えてきた。  記憶を失っているライラを知っている人間がいないか、顔を見せることで確認しているのだ。それはありがたい。もしもライラがこの世界の人間で、魂だけが入れ替わったのだとしたら、生活基盤に沿った生き方も選べる。  フェルディナンドに囲われ続けるよりは、マシな暮らしだろうと思えた。  女性のように優しく扱われ、チヤホヤされるのには慣れない。 「向こうの、テーブルへ」  立て続けの挨拶に疲れ、ライラは、色とりどりのクッキーが置かれたテーブルを指差す。  ライラの腰に、フェルディナンドの手が回った。  ごく当然のようにエスコートされる。 「ひとりで」  と言った先から、笑顔に拒まれる。 「なにを言ってるんだ。わたしが、きみをひとりにさせるわけがないだろう」  顔が近い。 「……平気です」  冷たい視線を投げたが、いつになく頑強な態度でアハハと笑われた。  なんとしても『いい仲』に見せたいのだろう。  ライラの素性を知る目的の他に、自分のものだと知らしめる狙いがある。  欲望が透けすぎていると思いながら、ライラはフェルディナンドに連れられてテーブルへ近づいた。色のついた粉をまぶしたクッキーは、塩味が効いていて好みの味だ。 「やぁ、フェルディナンド。この別荘でパーティーだなんて……、来てみるものだ」  若い男が近づいてきて、フェルディナンドに声をかけた。  二人は気安い仲らしく、肩をぶつけるような抱擁を交わす。引き合わされたが、相手の名前は聞き取れなかった。  同じ親衛隊に所属していることだけ、それらしき単語で理解できた。 「どこで出会ったんだ。みんな、そればっかり話題にしてるよ。この前まで付き合ってた彼女とはどうなった?」 「あれはすっかり振られたんだ」  フェルディナンドが悲しげな表情を浮かべると、男はにやりと笑って肩をすくめた。 「これほどの美貌と出会えば、心変わりも仕方なしか」 「振られたのはわたしの方だ」 「そういうことにしておくよ、色男が……。王の乳兄弟にして親衛隊。遊んでいても暮らせるのだから、必要なのは眺めて飽きない恋人だ。実にうらやましい」 「そうだろう」  腰をキュッと抱かれ、身体がフェルディナンドの胸にぶつかる。手にした皿からクッキーが落ちそうになり、ライラは慌ててバランスを取った。  ネイティブの口調は、とにかく早い。ライラはところどころ単語を聞き取り、話の筋を想像するばかりだ。  二人を交互に見ていると、フェルディナンドの指に引き寄せられた。  自分を見つめてくれと言わんばかりの視線で覗き込まれ、足のひとつでも踏んでやりたくなる。  友人を前に深い仲を演出したいのだろうが、付き合いきれない。 「疲れました」  じっと見つめ返し、手のひらで胸を押し返す。 「送っていこう」  逃がすまいと掴まれたが、振りほどくまでもなく友人の男が言った。 「おまえはここを離れない方がいい。ジェフロワさまがおいでになる」 「え?」  ライラの手を握ったまま、フェルナンドが大きく目を見開いた。 「お忍びで夜狩りをする予定だったらしい。パーティーの噂が耳に入ったんだろう。彼は隠しておいた方がいいな」  男がグラスを揺らして言うのを聞き、フェルディナンドは会場の隅に控えていた老婆を招き寄せた。 「少し、部屋で休んでおいでよ、ライラ」  男と別れ、ライラを老婆のもとへと促した口調は、わずかに苛立って聞こえる。 「どうしたの?」  振り向いて尋ねると、 「いや、招かれざる客だ」  ほんのわずかに口元が歪んだ。印象のいい表情ではない。  よほど気に入らない相手が来るのだと察したライラは、それ以上の詳細を、フェルディナンドには尋ねなかった。  老婆と一緒に屋敷の中へ戻ると、喧噪が遠のき、心が落ちつく。 「窓を、開けましょうか」  楽団の奏でる音楽が聞こえるからと、老婆が気を利かせてくれた。パーティーの様子は見えないが、窓から入ってくる風に花の匂いが混じって心地が良い。 「嫌いな人が来るみたい」  部屋に置かれた肘掛け椅子に座り、持ってきたクッキーを摘まむ。 「フェルディナンドさまのですか? はて、どなたでしょう?」  老婆は穏やかに微笑んだ。 「えぇっと……、ジェ、……ロゥ?」  記憶をたどってみたが、うまく発音できない。  いくつか名前を挙げてくれたが、どれも同じに聞こえた。 「まさか、ジェフロワさまではないでしょう」 「それは、誰ですか」 「この国の王ですよ。十年前、十八歳の若さで王位を継がれた方です。お父上を急な病で亡くされて……。立派な方ですよ。フェルディナンドさまも、親衛隊として忠誠を誓っておられます」 「王さま……」  単語をなぞって繰り返す。意味は知っている。 「その人ではありませんね」  クッキーをかじりながら答え、お茶の用意してくれている老婆にも勧めた。  二人でほのぼのと向かい合っている方が、会話を理解しようと頑張らなくていい分、気が楽だ。  フェルディナンドの思惑にも巻き込まれずに済む。 「ライラは、フェルディナンドさまが嫌いなの?」  老婆に聞かれ、小さく唸った。 「友達なら、いいのだけど……」 「おやおや、まぁまぁ。あんたの顔で言われたら、フェルディナンドさまもショックだろうね。しばらくはなにも言わないでおいて」  同情するように顔をしかめ、老婆は手元で割ったクッキーを口へ入れた。

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