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第1話①

―カランカラン― 「お。淳じゃないか。いらっしゃい。」 喫茶『MILKY』と書かれたドアを開けると,軽快なドアベルの音がして中から聞き慣れた声がした。 「こんにちはっ。カズさん。」 和臣さん。通称 カズさんは,この喫茶店のオーナーだ。 俺がこっちに引っ越してきたのは小学校3年生の時だ。 転校してきてからまだ日が浅かった俺は,家までの道を覚えていなくて迷子になってしまった。そんな時に,半泣き状態だった俺を見つけ,ランドセルの内側に書かれている住所をみて家まで送ってくれたのがカズさんだった。 このことがあって以来,うちの家族は“先日のお礼に”とカズさんの喫茶店を一度立ち寄ったことをきっかけに,頻繁に通うようになった。元々 歳が近いこともあってか,うちの親とカズさんは話があうことが多く,今では何でも心置きなく話せる親友のような仲だ。それは俺にとっても同じで,歳の差から考えるとどちらかというと 親友よりもお父さんといった感じだが 俺の下らない悩みでも いつも相談にのってくれる よきアドバイザーだ。 だから,俺がここを心の癒しにしてしまうのはカズさんの存在が大きかったりする。 「何かいれようか?」 カズさんがグラスを拭きながら俺に尋ねた。 「うん。じゃぁ,カフェラテで。」 「そういうと思った。お前本当に好きだよな~カフェラテ。」 「俺は,カズさんがいれてくれるカフェラテが好きなんだよ。」 「お~。それは光栄だな。」 どうも甘いものは苦手であまり好きではないのだが,「MILKY」の カフェラテは甘すぎず苦すぎることもなくて本当に美味しい。どこぞのお洒落なメーカーやカフェのものよりも俺はカズさん手製のカフェラテが好きだ。 まぁ…そんなに俺の舌が肥えているという訳ではないのだけれど。 煎れたてのホカホカなカフェラテを冷ましながら少しずつ口に含む。 うん。 やっぱり美味しい。 一口,また一口とゆっくりと大好きな味を噛み締めていく。 店内は広いとはいえず、入ってすぐにカウンター席があり、奥にテーブル席が並んでいる。 昔から経営していることもあり、家具はアンティーク調のものが多い。 常連の客は大体カウンター席に座り、カズさんとあれやこれやと世間話をする。俺もその中の1人だ。 俺はこのカズさんの優しい空気に包まれたお店の雰囲気が気に入っている。 お店の口コミをしようと思えばいくらでもでてくるのだが、その中でも特に印象深いのはピアノだ。 奥のテーブル席を過ぎたところに1台のピアノが置いてある。 この小さな店内にグランドピアノのような大きなものが置けるはずはなく、家庭によくあるごくごく普通の黒いピアノだ。 カズさんがお店を始めたばかりの頃は、時々知人がそのピアノを演奏したりもしていたらしい。 知人が引っ越してしまってからは、演奏が行われることはなくなり、お店の飾りと化してしまっている。 俺はまだ一度もあのピアノの音色を聴いたことがない。 パートナーを失った黒い楽器は、いつもどこか寂しそうに見える。 この表現は、我ながら恥ずかしいと自覚はあるのだが本当にこの言葉がぴったりなのだ。 俺がピアノ弾けたらなあ、、 なんて図々しいことを考えながらピアノの方へ視線を向ける。 「...…あれ?」 俺はたまにこうしてピアノを眺めたりするのだが、今日はいつもと少し違うことに気が付いた。 鍵がかかっているはずのピアノの蓋が開いていたのだ。

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