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第3話④
昔のことを思い出しながらベッドに横になっていると、いつの間にか眠っていたらしい。
気がついたら待ち合わせの30分前になっていた。
「やばっ」
慌てて準備し、店へと向かう。
店へ到着すると、まだカズさんを含めたスタッフの人達は控え室で着替えをしているところだった。
城崎さんの姿はない。
まだ来てないのかな?
「カズさん、城崎さんはまだですか?」
「彼方ならちょっと前までここにいたけど、ふらっとどっか行ったな。カウンター席の方じゃないか?」
カズさん達の準備ができるまでもう少しかかりそうだったので、その間城崎さんを探すことにする。
カズさんの言っていた通り、カウンター席を探してみるが、いない。
外もさっき俺が着いた時いなかったはずだ。
一体どこにいったんだろうと思っていると奥からポーン、とピアノの音がした。
音に導かれるまま奥へ進むと、城崎さんがピアノを鳴らしていた。
恐らく今から演奏を始めるところなのだろう。
声をかけるのが憚られて、音を立てないようすぐ後ろにあった椅子に腰掛ける。
目を閉じ、耳を傾ける。
前にも本人に言ったことがあるが、城崎さんの奏でる音は生きている人間の感情みたいだ。
城崎さんが今までに感じてきた喜びや悲しみ、怒り、寂しさなどが音と共に流れ身体の中へ入ってくる。
そんな感覚に陥る。
大勢の人達の前で演奏する時は、曲調に合わせて感情をコントロールするように弾いている。
聴いている者はその感情を無意識のうちに感じとり、惹き込まれる。
だが、今の演奏は違った。
ただただ寂しい、悲しいと音が叫んでいる気がした。
感情を音に叩きつけているような、少し荒々しい演奏。
城崎さんは、俺がいることを知らない。
ということは、これは城崎さんが自分自身のために弾いているのだ。
この演奏は、城崎さんの気持ち。
心の奥に抑え込んでいる、本当の気持ち。
こんなのは全部俺の勝手な推測でしかないのだけれど。
今の城崎さんがとても痛々しく見えて。
何故だか胸がぎゅっと締め付けられた。
どうしてそんなに悲しそうなの?
城崎さんは、寂しいの?
演奏は、それから数分続いた。
俺は黙って聴き続けた。
やがて演奏が終わり、室内が一気に静かになる。
城崎さんが、こちらを振り返った。
急に後ろにいるのがわかったら、びっくりしてしまうだろうか。
そう思い、話をしようとするが上手く言葉がでてこず、顔もよく見えなかった。
「…淳。何泣いてるの。」
「…っ」
俺は訳も分からず涙を流していた。
城崎さんが、少し困惑した声色で俺に声を掛ける。
「すみ、ませんっ、盗み聞きしてっ…泣くつもりじゃなかっ、たんですけど…しろ、さきさんの演奏聴いてたら、なんか、悲しく、なって…とまら、ないんですっ…」
「…」
ああ、情けない。
なんで泣くんだよ。
城崎さんが、ゆっくりと立ち上がり近づいてくる。
俺の前までくると、屈んで涙を拭ってくれた。
その仕草が優しくて、さらに涙が溢れてきた。
「なに、面倒くさいな…」
「ゔゔ…」
城崎さんを困らせている。
当然だ、俺だって逆の立場だったら女の子みたいに急に泣かれても困る。
涙を止めなければ、と思うのに中々止まらない。
「ず、ずびばぜんっ」
「…汚い顔…」
城崎さんは、呆れたような様子だったが、そう言って頭を撫でる手はどこまでも優しかった。
「ゔぅーいま、とめまずんで…」
「全く…変なやつ」
城崎さんは、そのまま俺の肩にとん、と頭を乗せた。
「ノクターン第2番」
「…え?」
「さっきの曲。とてもきれいな曲だと美弥子が教えてくれた。この曲だけじゃない。俺が店で弾いている他の曲も。」
「日本のこともよく教えてくれた。日本はいいところだ、また一緒に行こう。あっちには弟がいる、歳が近いから俺ときっと仲良くなれる。そうしたら花火もみんなで見に行けるねって。」
「…」
城崎さんは、独り言かと思うくらい小さな声で話した。
正直、いまのこの状況で城崎さんがどんな気持ちで、どんな顔をしてそんな話をしてくれるのか俺には分からない。
でもその背中が泣いているように見えて、安易に返事ができなかった。
以前もこんな風に昔のことを話してくれた。
城崎さんが自分のことを話す時は、必ずといっていいほど姉ちゃんがついてまわる。
それだけ城崎さんにとって姉ちゃんが大きな存在なんだ。
そう思うと、胸がヅキリ、と痛んだ。
俺、傷ついてる?
姉ちゃんの話をされて寂しい?
どうして?
俺は自分の気持ちに疑問を抱くが、答えは出てこない。
こんなのおかしい。
俺が傷ついてどうする。
しっかりしろ、と自分に言い聞かせる。
もやもやとした気持ちを振り払うと、俺はそっと城崎さんの背中に手を添え、子供をあやすように軽く叩いた。
いつもなら怒られそうだが、今日はなにもいわれなかった。
カズさん達の支度が終わり、花火会場まで向かう。
どれくらいあの状態でいたのか分からない。
城崎さんは普段と変わらぬ顔でカズさんと話している。
会場に着くと、出店へ行き軽食を買う。
お祭りなだけあってかなりの人がおり、店も混雑していた。
各々好きな物を買って食べながら花火が上がるのを待機する。
「お、上がるぞ」
カズさんの声を合図に花火の上がるドーンという音がした。
色とりどりの花火に、歓声が上がる。
俺も待ちに待った花火に見とれていたが、さっきまでの城崎さんの様子がふと頭に浮かび、隣にいる城崎さんの方を伺う。
城崎さんは空を見上げ、花火を見ている。
ただ花火をみている。
それだけなのに。
俺は不安になった。
城崎さんがどこかに行ってしまいそうで。
寂しい背中。
寂しい、悲しい、演奏。
咄嗟に城崎さんの手を握った。
城崎さんがこちらを見ていたが、俺は手を握ったまま再び花火を見上げる。
城崎さんが姉ちゃんへ向ける感情が何なのか、はっきりとは分からない。
俺の城崎さんへの感情もまた友情なのか、それとも別の感情なのかまだ分からない。
でも城崎さんの隣にいたい。
一緒にふざけ合って、笑い合っていたい。
そんな思いでいっぱいだった。
そっと握り返してきた手を離さないよう俺は強く握り直した。
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