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第5話③

「よし、と。」 タンスに備えつけの鏡を見ながら身なりを整える。 鏡の端からサメのキーホルダーがちらりと見える。 城崎さんに買ってもらったキーホルダーは鞄につけようか、鍵につけようかと散々悩んだ挙句結局決められなくて机に飾っている。 昨日からサメの人形を見る度に、城崎さんの顔が浮かぶ。 城崎さんと水族館、楽しかったな。 鞄を肩にかけていると、コンコンとドアが鳴る。 「淳、準備できた?」 「うん、もう行けるよ。」 ドアから顔を出して様子を見にきた姉ちゃんに返事をして部屋を出る。 明日は姉ちゃんがニューヨークへ戻る日。 今日は、その前に結婚祝いも兼ねてMILKEYで食事会をすることになっている。 メンバーは、カズさんと姉ちゃん、城崎さんに俺だ。 姉ちゃんのお祝いが目的だけど、カズさんが「ご馳走作らないとな」と張り切っていたので今から料理が楽しみだ。 「いらっしゃい」 店に入ると、カズさんが入り口で迎えてくれた。 城崎さんも既に来ていて、席に着いている。 俺と姉ちゃんもカズさんに促され席に座る。今日はカズさんの計らいで夜は他のお客さんの予約を入れないようにしているため、貸切状態だ。 席に着くと、カズさんが飲み物の注文を聞きグラスに入れてくれる。 「美弥子ちゃんの結婚を祝って、乾杯!」 「乾杯!!」 カズさんの乾杯の音頭の後、カチンとグラスを鳴らして各々にワインやジュースを飲む。 城崎さんと俺はジュース、カズさんと姉ちゃんはワインだ。 「ぷはー!ありがとうー!!」 「…」 城崎さんが、ワインをぐびぐびと飲む姉ちゃんを怪物を見るような目で見ている。 いやほんと、そうなるよね。 俺も成人してお酒を飲めるようになったらこうなるのか? こわい。 「彼方も飲みなさいよ。」 「俺は、いい。」 視線に気づいた姉ちゃんが城崎さんにワインを勧めてくるが、背を向けるようにしてコップを死守している。 うん。城崎さん、あなたは飲まないほうがいい。 数日前の酔っ払った城崎さんが頭に浮かぶ。 …まぁ、あれは姉ちゃんのこともあったからだけど。 今日は祝いの席だけど、城崎さん大丈夫かな。 あれから何度も姉ちゃんと話しているところを見ているのに、毎回ハラハラしてしまう。 「…あ」 いらぬ心配をしていると、城崎さんと目が合う。 「なに変な顔してるの」 よっぽど変な顔をしていたのか、俺の顔真似をしてからかってくる。 手まで使って。 ていうかそんな顔さすがにしてない。 「あははははっ!似てるー!!」 横で姉ちゃんが爆笑している。2人ともバカにしすぎでしょ。 3人でわちゃわちゃとしている間に、カズさんが料理を持ってきてくれる。 肉料理にパスタ、スープとどれも大好きなものばかりだ。 「今日はいつも以上に張り切って作ったからなあ。いっぱい食べてよ。」 「「おー!おいしそう!」」 テーブルいっぱいに並べられた料理にテンションが上がる。姉ちゃんと歓声がはもったな、と思っていたらフォークとナイフを持つタイミングも同時だった。 「…ぷっ」 「あんたたちって、本当兄弟だね。」 吹きだすカズさんと突っ込みを入れてくる城崎さん。 2人の反応に、思わず姉ちゃんと俺で顔を見合わせる。 俺と姉ちゃんはカズさんの料理を小さい頃から食べてきた。 身体の何%かはカズさんの料理でできているといっても過言じゃない。 とにかくカズさんの料理には目がないのだ。 城崎さんに若干引かれても、料理を食べる手は止められない。 カズさんの料理をデザートまで楽しみ、紅茶を飲んで一息つく。いっぱい食べて少し苦しいお腹を休ませていると、城崎さんがおもむろに立ち上がる。 トイレかと思ったが、そのままピアノ椅子に座りいつものように音を鳴らし出した。 「演奏?」 サプライズ演奏かな? 俺と姉ちゃんは何が始まるのかと城崎さんの姿を見守る。 カズさんは最初から知っていたのかその様子を見ながらニコニコとしている。 流れてきたメロディーは、ピアノを弾いたことのない人でも分かる有名な曲だった。 俺も小さい頃、母さんや姉ちゃんと一緒に歌った記憶がある。 「きらきら星?」 「…」 聞き慣れたメロディはタイトルを思い出すのも苦じゃない。 でも何でこの曲? 姉ちゃんは、どこか昔を懐かしむように演奏に聴き入っている。 その音はただただ優しくて。 俺の頭を撫でる優しい手を思い出した。 心地の良い音。 いつも城崎さんが弾いている曲より単調な感じだが、丁寧に一音一音演奏されているのが分かった。 演奏が終わると城崎さんは、また静かに立ち上がって姉ちゃんの前まで歩いてきた。 姉ちゃんと城崎さんが向かい合わせになる。 「美弥子。」 「…うん。」 ふざけることの多い姉ちゃんがいつになく真剣な表情で、城崎さんの言葉を待っている。 俺も自分のことではないのに緊張して唾をごくりと飲む。 「ありがとう。…それと、おめでとう。」 緊張した空気を打ち払うように城崎さんが笑った。 たった2言だったけど、何年もの想いを吐き出したかの様な重みが感じられた。 伝えたかった言葉は他にもあったはずだけど。 「…ありがとう。」 涙をこらえながらそう返事をする姉ちゃんには、全て伝わっているように見えた。 しばらく談笑して、食事会はお開きとなった。 姉ちゃんはもう少しカズさんと話してから帰ると言って、帰りは城崎さんと俺の2人になった。 「カズさんの料理、おいしかったですね。」 「うん。山本兄弟は、取り憑かれたように食べてたね。」 「…はは。つい。」 今日のメニューや会話の内容を思い出しながら並んで歩く。肌に当たる風が気持ち良い。 「今日の演奏、あれってキラキラ星ですよね。童謡でもピアノでアレンジするとまた違った雰囲気になるんですね。」 「ピアノは音の組み合わせで色々表現できるからね。」 ピアノの話をすると、城崎さんはちょっと得意気になる。音楽に興味がないわけではなかったけど、城崎さんと知り合ってからはこういう話も前よりよくするようになった気がする。 ピアノってすごいなあ。 それを弾きこなす城崎さんもすごい。 「あれは、美弥子に初めて教えてもらった曲なんだ。」 「…姉ちゃんに?」 姉ちゃんの名前がでてきて、それまでお花畑だった頭がはっきりとしてくる。 そうか、だからあの曲を… いつも有名なクラシック曲やお客さんからリクエストされやすい曲を弾くことの多い城崎さんが、なぜ今日はあの曲を選んだんだろうと思っていたけれどその一言で納得した。 「そうだったんですね…」 演奏を聞いている時の姉ちゃんのあの表情。 あれは、城崎さんと姉ちゃんの想い出の曲だったんだ。 その大切な曲をお祝いの席で弾いて、お祝いの言葉を言って… 「好き」とは言わずに…笑って。 自分がその立場だったらと思うと、辛い気持ちが込み上げてくる。 「美弥子といられる時間がずっと続けばいいのにって思ってた。…でも」 思い出をなぞるように話していた城崎さんが、言葉の区切りと同時に立ち止まった。 俺も反射的に歩みを止める。 こちらを振り返ったかと思うと、俯く俺の頭にぽんっと手を置いた。 「今は、そうじゃない時間もいいのかなって思う。」 「…え?」 見上げた先に見えた城崎さんの顔は、暗い顔ではなく晴々とした顔だった。 どういうことだ? 姉ちゃん以外に没頭できる別のものを見つけたってこと? よく分からないけど、いいこと、なのか? 「く、詳しく…?」 「教えない。」 全く意味のわかっていない俺を無視して、城崎さんはまた歩き出してしまった。 「あ、待って下さい!」 慌ててその背中を追いかける。 俺にとって大切な時間って何だろう? 想像したら、きっといっぱいあるけど。 城崎さんとの時間がどんどん大きく占めていく。 想いを伝えられなくても。 いまの時間が大切だ。

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