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第5話④
姉ちゃんが帰ってから数週間が過ぎた。
もうすぐ10月だというのに日差しは強く、少し歩いただけで汗が額から溢れ落ちてくる。
MILKEYには、変わらず週に何度か顔を見せている。
10月から秋メニューを出すとかで、カズさんはいつも以上に忙しそうだ。
たまに開発途中のメニューを試食させてもらえるから、俺からしたらラッキーだけど。
でも今日の目的地はMILKEYではない。
「ふー、ついた…」
汗をタオルで拭き、手で仰ぎながらロビーへ入る。
住宅街の中で一際目立つ高級マンション。
前に一度忘れ物を届けにいった場所。
城崎さんの家だ。
カズさんも忙しいが、この頃は城崎さんも忙しい。
横澤音大は毎年11月の初旬に学祭があり、学生は自分が専攻している楽器で演奏を披露するらしい。城崎さんも例に違わず、11月の学祭に向けて練習の日々に追われている。
1週間前、急に城崎さんに「明日暇?」と聞かれ連れられたのが城崎さんの家だ。
家に入ると、城崎さんの演奏が始まって「どう思う?」と感想を求められた。
俺みたいな素人では「すごい」とか「いいと思います」とか、本当に分かっているのかみたいなコメントしかできないのに、城崎さんは素人目線からのアドバイスも欲しいらしく「何でも感じたことをいって」と真剣な表情で聞いてくる。
そんな音楽の勉強会?のようなものが城崎さんから呼び出しがあればこのマンションで開かれるようになった。
エレベーターで7階まで上がると城崎さんの部屋番を探す。
城崎さんの家にはロビーと部屋の前とで2つインターフォンがあるが、いちいち2つ押すのも邪魔くさいからとロビーで声をかけた後は勝手に入っていいように鍵を開けてくれている。
「お邪魔しまーす」
家の主人は玄関にいないが、一応挨拶をして中に入る。
初めて来た時にびっくりした長い廊下を進んで、リビングを覗く。
城崎さんがいる気配はないのでもう練習を始めているのだろう。
リビングの隣にある防音室の扉を開く。
開いた瞬間、ピアノの音色が部屋から漏れ出てくる。
演奏中の城崎さんは、俺が入ったことに気がついていないみたいだ。
入り口近くにあった椅子に座って演奏を聞く。
城崎さんが今回演奏するのは2曲だ。
1つは城崎さんが前からこの学祭で演奏しようと決めていた曲、もう1つは何故だか数曲の中から俺に「どれがいい」と選曲権を与えられた。
そんな大事なことを俺個人の意見で決定できない、と断ったのだが「淳が選んで」と真剣な表情でいわれたら選ばざるを得ない。
結局、その中で1番馴染みやすかった某映画のテーマ曲を俺が選んで本当に採用になってしまった。
城崎さんの人選ってよく分からない。
選曲も感想も俺で大丈夫!?
演奏が終わったのを見計らって壁をコンコンと叩き、声をかける。
「…きてたの。」
城崎さんは、一度振り返るとまた楽譜に視線を戻し、パラパラとページをめくる。
練習中の城崎さんの集中力はすごい。
曲の合間であろうが練習が終わるまでは、曲の話以外のことはほぼ話さない。
俺は、大体いつも練習を邪魔しないように感想をいっては椅子に座ってその様子を眺めている。
役に立っているのか、立っていないのか。
…俺的には、そんなに役に立ってないと思う。
城崎さんは、「じゃあ、最初から弾くから。」というと演奏を再開した。
これは感想を求められるやつだ。
ちゃんと集中して聞いておかないと怒られる。
今演奏している曲は、さっきも言ったように恐れ多くも俺が選んだ曲だ。
大好きな映画で、結構ヒットもした。
映画を見たことがない人でも曲だけは知っている人も多い。
多くの人が耳にしたことがある分、その曲の良いところを活かして自分の演奏にするのはなかなか難しいらしい。
「…どんな感じ?」
演奏が終わるとすぐにこんな風に質問される。
何回か繰り返してきたとはいえ、ちょっと緊張する時間だ。
「ぇえっと…盛り上がってから静かなメロディになる時に、もう少ししっとりした感じになってもいいのかなと思いました。この曲は、主人公がヒロインを想うシーンで流れるので…」
自分で話しながら、なんだこの感想はとつっこみたくなる。
けれど、城崎さんは俺の話を真剣に聞いて時々楽譜にメモまでしている。
わあぁー!ちょっと待ってちょっと待って!と言いたくなるが、俺のこんな薄っぺらい意見でも真面目に受け止めて、何度も修正を加えている姿をみると本当に音楽が好きなんだなと思う。
一生懸命音楽と向き合っている城崎さんを見るのは好きだ。
見ていると、こっちまでパワーをもらえるような気がする。
俺が来てから2時間くらいで練習は終わった。
いつも何時間練習しているのか知らないが、俺がいなかったら食事も忘れて一日中練習しそうな勢いだ。
努力なくして、成功なし。
まさにそれを実感する。
防音室をでるとリビングで座っているように促される。
大人しく座って待っていると、フルーツののったシフォンケーキを持ってきてくれた。
「おいしそうですね!これ…城崎さんが?」
「フルーツをもらったから。作ってみた。」
いつも練習が終わると、こうしてお菓子とお茶を出してくれる。お菓子は大抵が城崎さん手作りのものだ。
CDから飛び出してきたような演奏が聞けて、平凡な意見を言っただけで手作りのデザートまで頂ける。そのお茶の相手は城崎さん。
俺が女だったら周りの女子が発狂しそうだ。
「ん〜!おいしい!」
フルーツと生地をフォークに刺して口いっぱいに頬張る。フルーツは新鮮だし、生地はふわふわだ。
「どうしてこんなに美味しく作れるんですか?」
「カズさんにコツを聞いたの。結構上手くできてるでしょ。」
「それはもう!完璧です!」
スイーツにテンションが上がってグッと親指を立てて絶賛する。城崎さんは、俺の反応が面白かったのかくくく、と笑っている。
城崎さんの料理はおいしい。
カズさんみたいに店を開けるんじゃないかと思うくらいだ。
ケーキは、城崎さんと話している内にいつもあっという間に完食してしまう。
デザートを食べた後は出してくれたお茶を飲みながらまったりするのがいつもの流れだ。
で、その後は。
「ふぅ。」
「…!!」
…きた。
膝にずしっと重みを感じる。
「あの…城崎さん」
「ちょっとだけ休ませて。」
「……。」
最近、城崎さんは俺の膝を枕にして横になる。
何がきっかけなのかも分からない、急に今日みたいに「休ませて」といっては俺の膝で休むようになった。
女の子の柔らかい膝でもない男の膝を枕にして休めるのだろうか、と思うがこちらからしたら緊張して仕方がない。
視線をどこにやって良いのかも分からず、挙動不審になってしまう。
心臓がドキドキと鳴って落ち着かない。
恐る恐る城崎さんの顔に視線を移す。
目は閉じていて、規則的な呼吸音が聞こえてくる。
白い肌。
長い睫毛。
赤く色づいた唇。
って!なにじっくり見てるんだ、俺は!
無意識に城崎さんの顔をまじまじと見ていたことに気がつき、心臓の音がより一層速くなる。
慌てて視線を逸らすと、城崎さんが「うん…」と身じろぎをしてさらにびくりとする。
ね、寝てる?よな?
もう一度城崎さんの顔を見て目が閉じていることを確認する。
姉ちゃんへの気持ちを話してくれたあの日。
あの日は悲しそうな寝顔だったけど、最近みる寝顔は随分と柔らかくなったように思う。
膝枕という状況に恥ずかしくなる気持ちと同時に、顔を見るとほっとする気持ちもある。
こんな風に俺の近くで休んでくれるのは、少しでも心の支えになれてるってことなのかな。
城崎さんの髪に吸い寄せられるように、手で軽く触れる。
城崎さん…
しばらく髪をとくように触れていると、手に俺とは別の手が重なった。
「!!」
びっくりして膝の上にある顔を見ると、閉じていたはずの目とばっちり目が合った。
「し、城崎さ…」
下からじっと見つめられ、起きてたんですか、という余裕もなくなる。
城崎さんは何をいうでもなく手を伸ばし俺の頬に触れる。
「……!」
ばくばくとさっきよりも激しく心臓の音が聞こえてくる。
触れられているところにばかり意識がいく。
あぁもう勘弁してくれ。
俺を見つめる城崎さんの顔が近づいてくる。
も、もう無理…
「しろさきさっ…いひぇひぇひぇひぇひぇっ!」
恥ずかしい空気に耐えられず再び名前を呼ぼうとした時、思いっきり横に頬を引っ張られた。
「休憩終わり。ありがと」
「…普通に起きて下さいよ。」
引っ張られた頬をさすりながら城崎さんを睨みつける。
そんな俺を見て城崎さんは笑いながら頭を撫でてくる。
「……。」
最近の城崎さんの行動は予測ができない。
何を思って俺と一緒にいてくれるのか。
どうして優しい笑顔で笑いかけてくれるのか。
深い意味なんてないのだと思う。
でもどうしても勘違いしてしまいそうになる。
ありえない、と思うのに期待してしまいそうになる。
城崎さんといると、日に日に気持ちが大きくなって。
心の内に秘めておこう、としている気持ちを打ち明けてしまいたくなる。
「俺、どうしたらいいのかな…」
家に着いた後、"また明後日"と送られてきたメッセージを見て小さく呟いた。
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