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第6話⑥

賑やかな音楽。 香ばしい香り。 手描きの看板に白いテント。 普段は静かな並木道に、学生の元気な声が響く。 「よろしくお願いしまーすっ!!」 「あ、どうも…」 年に一度のイベントに、気分が少々高揚している大学生の間を体を縮こませながら歩く。 手には、迫力に押されるまま受け取った演奏会や出し物のチラシが大量に溜まっている。 演奏を聞くだけ… 城崎さんの出番が終わったらすぐ帰ろう。 桐谷さんが学校に会いに来てくれた日から、行くべきか行かざるべきか何度も悩んだ。 最初は行かないつもりだったが、日が近づくにつれて少し顔を見るくらいなら、と気持ちが揺らぎ、結局来てしまった。 意思弱すぎだろ、俺。 「えー…と、第1ホールは、」 桐谷さんからもらったチラシで場所を確認する。 第1ホールは大学内で1番大きなホールで、広い敷地内でも迷うことなくすぐに見つけることができた。 城崎さんの演奏は15:30からだ。 今の時刻は14:40。 まだ少し時間がある。 どうしようか。 何か時間を潰せそうなものはないかとぐるりと辺りを見渡す。 目にとまったのは可愛らしいタコのイラストと共にマジックで「たこ焼き」と書かれた看板。 テントの下では、数人の学生がたこ焼きをくるくると回しながら焼いている。 食欲をそそる良い香りが風に乗って漂ってきて、唾をごくりと飲みこむ。 今日は学祭に行くからと昼食を軽めに済ませてきていたため、お腹にはまだ余裕がある。 たこ焼きでも食べて待つかな。 そう心の中で決めると、早速買いに行くべく出店へと向かう。 4,5組並んでいるが、回転は早くそんなに待たずに受け取れそうだ。 たこ焼きなんて久しぶりだ。 祐介がいたら喜んだだろうな。 学祭があると知れば、開口一番に行くと言っていたに違いない。 だが今日は一応お忍びのため、祐介には内緒だ。 後から知ったら絶対文句をいわれるだろうな。 「いらっしゃい。」 お祭り好きの親友のことを考えている内に、列は進み俺が先頭になっていたらしい。 会計を担当しているのであろう男性に声をかけられ、急いで個数を伝える。 待っている間に予め準備をしていた小銭を手渡す。 会計が済み、お目当てのたこ焼きがくるのを待っていると、奥に桐谷さんがいるのが見えた。 「…あ。」 「まいどあり〜♪」 桐谷さんは俺にすぐに気がつき、手を振りながら袋詰めしたたこ焼きを持ってきてくれた。 俺はありがとうございますと言ってそれを受け取ると、後ろに並んでいる人の邪魔にならないように横へ捌ける。 「出店もされていたんですね。いらっしゃると思わなくてびっくりしました。」 「うん、ゼミで出すことになったんだ。いいでしょ、たこ焼き。」 いつもお洒落なカッターシャツにパンツでぴしっと決めている桐谷さんだが、今はラフな服装にエプロン姿だ。 自分の格好について中々様になってるでしょ、と話す桐谷さんは少し楽しそうだ。 「発表の時間は大丈夫なんですか?」 城崎さんの曲目の中には桐谷さんと演奏するものも入っている。桐谷さんのソロ演奏もその後にあったはずだ。 「ぼちぼちいくつもり。彼方はもうホールにいるはずだよ。」 「…そうですか。楽しみです。」 城崎さんの名前がでてきて一瞬返答に戸惑う。 演奏が楽しみなことに偽りはないが、やはり余計なことを考えてしまう。 「あの、俺が来ていることは、」 「わかってるよー。心配しなくて大丈夫だから。」 連絡を絶っておきながら、学祭に来ているだなんて知られたら気分を悪くさせてしまうかもしれない。 城崎さんには秘密にしておいてほしい。 我ながら自分勝手だと思いながらも桐谷さんにそう頼もうとすると、言い終わる前にわかってるわかってると肩を叩かれる。 「…すみません。発表頑張って下さい。」 ありがとうと手を振る桐谷さんに軽く会釈し別れると、ホール周辺で座れるスペースがないか探す。 今日みたいな日は、当然ベンチは空いていない。 椅子で食べるのは諦めたほうが良さそうだ。 少し歩くと、ホールの向かいにちょうど人が座れるぐらいの幅の石段があった。 ここなら座って飲食をしても大丈夫そうだと判断し、腰をおろす。 桐谷さんがサービスでかけてくれたソースたっぷりのたこ焼きをひとつ口に放り込み、風に揺れる木の葉をぼうっと眺める。 MILKYに行かなくなって2週間経つな。 こんなに日にちが空いたのは初めてだ。 カズさんの作ったスイーツが恋しい。 コーヒーの香りが恋しい。 城崎さんと肩を並べて過ごした、 あの時間が恋しい。 初めて会った時は、こんなに城崎さんとの時間が俺にとって大きなものになるとは思っていなかった。 一緒にいたのはたった数ヶ月なのに。 しんみりとした気分になりながら最後のひとつを食べ終える。 考えるな、俺。 おわりおわりっ! ペットボトルのお茶をぐいっと飲み、暗くなった気持ちを強制終了させる。 空になった容器をまとめ、散策がてらゴミ箱まで捨てにいこうと立ち上がった時、がしっと誰かに腕を掴まれた。 「!!」 振り返った先にいた人物に目を見張る。 それは、 さっきまで俺の胸中にいた人物。 城崎さんだった。 「城崎さんっ!?なんで…」 「守から聞いた」 桐谷さん… 裏切るの速いです。 情報流出の速さに、心の中で城崎さんの親友にツッコミをいれる。 「ちょ、…城崎さんっ!」 話す間もなく腕を強引に引っ張られる。 急なことに驚き、何度も名前を呼ぶが当の本人は俺に背中を向けたままどんどん進んでいく。 城崎さんは俺をホールの隣にある棟の一室まで連れていくと、素早くドアを閉めガチャりと鍵をかける。 そこでようやく俺の方に身体を向けたが、視線は鋭く手も掴んだままだ。 今まで向けられたことのない強い視線に耐えられず目を逸らす。 「城崎さん…あの…手、離してもらえませんか?」 「…嫌。」 恐る恐る声をかけてみるが、俺の頼みはすっぱりと却下され腕を掴む力はより強くなる。 「離したら逃げるでしょ。」 「…逃げませんよ。」 「ずっと避けてたくせに。」 「…ゔ…」 痛いところを突かれ、なにも言えなくなる。 俺を見つめる城崎さんの目は、明らかに怒っている。 城崎さんは何も悪くないのに、俺の都合で勝手に避けられていたのだから当然だろう。 「……」 「……」 お互い口を閉ざしたまま沈黙の時間が続く。 しばらくして、城崎さんが諦めたかのように大きく息を吐いた。 「ほんっと、前からバカだと思ってたけどここまでとはね。正真正銘のバカでしょ。」 「…すみません…」 バカを連発され、いつもなら反抗しているところだが今回ばかりは返す言葉もない。 「淳」 逃げることは許さないとでもいうように、城崎さんが俺の名前を呼ぶ。 そうだ。 逃げてちゃ駄目だ。 城崎さんの気持ちもちゃんと聞かなければ。 俺だって本当は、あんな形で終わりたくなんかない。 ちゃんと聞いて、すっきり終わらせないと。 そう自分に言い聞かせると、ぐっと背筋を伸ばす。どんな言葉も受け入れようと覚悟を決め、城崎さんが話しだすのを待つ。 「……?」 だが、一向に話し出す気配はなく、代わりに腕を引かれたかと思うと城崎さんにふわりと身体を抱きしめられた。 「し、しろさきさん…?」 突然の行動に思考が追いつかず、背中に感じるぬくもりと、耳元にかかる吐息で今自分は城崎さんの胸の中にいるのだと認識する。 咄嗟に城崎さんの腕から逃れようとするが、頭を手で押さえられ、離れることを許してくれない。 「俺が好きでもない相手にこんなことすると思うの?」 「…え…?」 今、なんて? 予想外の言葉に、耳を疑う。 城崎さんが、俺を… …"好き"? 「っ!」 言葉の意味を理解した途端、顔が熱く、心臓の鼓動も速くなっていく。 「…話は最後までききなよ。…ばか。」 口調は相変わらず俺を非難しているのに、その声音は優しい。 俺は抵抗する気を失い、身体に入っていた緊張を緩める。 俺が大人しくなったのを見計らって城崎さんがまた口を開く。 「…俺は小さい頃から、表向きにしか人と関わってこなかった。普段俺の前でにこにこしているくせに、裏では陰口をいってるなんてことがざらにあったから。それなら深い付き合いは必要ない、その方が楽でいいって思ってた。」 人と人との関わり方は単純なようで難しい。 感情というものは複雑だ。 人に注目されやすい人ほど、傷付く場面は多いだろう。 城崎さんの心境を想像して、少し寂しい気持ちになる。 「美弥子と会ってから、その考え方が少しずつ変わっていった。もちろん人の性格はそう簡単には変えられないから、今でも本当に親しいといえる人は少ないけれど。それでも、俺にも本音をストレートに言い合える相手がいるんだと思えるようになった。」 城崎さんは、少し間を置くと今の守みたいに、と付け加える。 「淳のことは正直、初めは美弥子の弟と聞いて厄介だなって思ってた。」 「…どストレートですね。」 「それが、一緒に過ごしていく内に心地よさを感じるようになってた。」 「……」 髪を掬うようにさらりと撫でられる。 城崎さんも同じように感じてくれていたんだ。 その事実に、胸が熱くなる。 「美弥子の弟だからなのかなって思ってたけど、違った。たしかに似ていると思う部分もあるけど似てない部分の方がずっと多い。」 姉ちゃんと俺のことを思い出しながら話していたのか、隣で小さく笑ったのが分かった。 何がおかしいんですか、と無言で訴える俺の額に城崎さんが宥めるように自分の額をくっ付ける。 「真っ直ぐで、嘘がつけなくて、笑ったり、泣いたり…いつも俺に正直な感情をぶつけてくる…そんな淳が…」 髪に触れていた手が頬に添えられ、城崎さんの目が真っ直ぐに俺を捉える。 一つ一つの動作がスローモーションのように感じられ、目が離せない。 「好き」 その言葉と同時に城崎さんの顔が近づいたかと思うと、俺の唇に城崎さんの唇が重ねられた。 あぁ。 城崎さんはやっぱりすごい。 さっきまで真っ暗だったはずなのに。 こんな、一瞬で。 俺の気分を変えてしまう。 こんなの、 離れられないに決まっている。 「俺の演奏聴きにきたんでしょ?」 「はい。」 「ちゃんと聴きなよ。帰ったら、許さない。」 「もちろん。」 城崎さんのことは、まだ姉ちゃんや桐谷さんの方が知っていることは多い。 それは羨ましくもあり、ちょっと悔しくもあるけれど。 ゆっくり ひとつ ひとつ 奏でていくように ゆっくりと…分かり合えたら。 「ちょちょちょちょちょっっ!!城崎さんっ!!?」 「なに」 「…どこ触ってるんですかっ…」 「……続き、したいでしょ?」 否。 ゆっくりは、無理かもしれません。

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