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〜Yusuke's Story〜③
「入れ。」
「…うぃっす…」
促されるまま玄関に入ると、谷センががちゃりとドアを閉める。
どうしよう。
むちゃくちゃ緊張する。
谷センが家に泊めてくれるといってから、車に乗ったまではよかった。
緊張よりもむしろテンションMAXで、チャンスだなんて思ったりもしてた。
だが、いざ谷センの住むマンションにつくと、部屋に近づいていくにつれて変に緊張してきてしまい、いまは緊張がMAXだ。
「…なにしてんだ、はやくあがれ。」
玄関で立った状態のままの俺を見て、谷センが呆れたように声をかける。
なにを緊張してるんだ、俺は。
図々しさが強みの俺はどうした。
せっかくの2人きりだ。
緊張している場合じゃない!
「お邪魔しまっす!!」
緊張に負けそうになっている自分に気合いを入れると、靴を脱ぎ玄関から足を踏み出す。
リビングは、黒と白を基調としたシンプルな家具で揃えられていた。
生活感はあるが、ひとり暮らしの男性の家にしては整頓されている。
谷センは、テレビをつけ俺にソファで休むよう勧めると、冷蔵庫の中を確認し始めた。
「簡単なものしか作れないが、いいか?」
そういうと、いくつか野菜をだして切り出す。
何だか落ち着かなくて、谷センの周りをなにつくんの?なにつくんの?とちょろちょろうろついていたらすぐできるから待ってろ、とキッチンから追い出された。
挙句の果てには、暇なら今日の復習をしろと言われる始末。
プライベートでまで教師をしてくるなんて。
さすが数学の鬼。
勉強をしたくない俺は、大人しくテレビを見て食事ができるのを待つ。
しばらくすると、炒める音と共に香ばしい香りが漂ってきた。
その香りに誘われて、お腹が食物を求めて音を鳴らす。
「ん、できたぞ」
犬の待て状態の俺に、谷センが出来上がったばかりの料理を持ってきてくれる。
器にこんもりと盛られたそれは、野菜たっぷりのチャーハンだった。
「うんめっ!!谷セン天才だな!」
「チャーハンでそんなに褒められるとはな。」
先程までの緊張はなんとやら、ほくほくのチャーハンを目前にして、いつの間にか食事のことしか頭になくなっていた。
食欲に任せ、がっつく俺を見て谷センが成長期はすごいな、と感心したように呟く。
一足先に完食すると、皿洗いを名乗り出て食器をシンクへと運ぶ。
テレビから流れてくる音楽に合わせ鼻歌を歌いながら、スポンジで汚れを落としていく。
自分の使った食器をあらかた洗い終えた頃に、谷センがこれも頼む、と追加の洗い物をもってきた。
なんか一緒に住んでるみたいだ。
そんなあるあるなことを考えて、顔が緩む。
「よし、おわりっ」
水道の蛇口を閉め、リビングに戻ると谷センがココアをいれてくれた。
甘い湯気がたちこめるマグカップを受け取り、一緒にソファに座る。
熱々のココアをちびちびと少しず口に含む。
あ、これいつも見てるやつだ。
面白いんだよな。
テレビからリズミカルなテーマ曲が流れ、毎週見ているお馴染みのタイトル画面がでてくる。
谷センはしばらくテレビを眺めていたが、カップを机に置きノートパソコンを開いたかと思うと、仕事モードに入ってしまった。
帰ってきてまで仕事なんて、大人は大変だな。
番組が一旦CMに入ったところで、改めて部屋の中をぐるりと見渡す。
飾り気はやはり少ないが、ソファの側にあるキャビネットの上に花柄のフォトフレームが置いてあるのが見えた。
谷センの趣味…にしては可愛すぎるな。
写真にうつってるのは、今より若い頃の谷センと…女の子?
なんとなく雰囲気が谷センに似ている気がする。
スーツ姿で学校の門の前に立っている。
大学の入学式かなにかだろうか。
「この写真の女の子って、前に谷センがいってた妹?」
俺の唐突な質問に谷センは一瞬作業の手を止めるが、写真を見るよりも先にああ、とすぐに納得する。
「妹の入学式のときに一緒に撮ってくれとせがまれてな。」
「谷センも入学式行ったんだ。」
「同じ大学だったからな。この写真を撮るために呼ばれた。その写真立ても妹の趣味だ。」
「へぇ…仲良いんだな」
写真で見る限り、なかなかの美人だ。
こんな妹がいたら毎日楽しいだろうな、と思うが谷センにはそんないいものじゃないと苦い顔をされた。
「妹さまは、なんで谷センと同じ大学受けたの?」
「さあな。俺の大学の話を聞いて興味のある分野があったのか、部活に興味があったのか…まぁそんな大それた動機ではないだろ。」
「……」
妹は、谷センの背中を追いかけたということか。
憧れとは少しちがうかもしれないけれど、きっかけとなる存在。
俺の頭の中で、ある人の顔が浮かんでくる。
「…前にさ、大学の話したじゃん…?」
「大学のことか。」
「そう。」
机に置いていたマグカップを取り一口飲む。
慣れない話をする時は、喉が乾く。
「父さんが大学の卒業生でさ。小さい頃、よく大学の話をしてくれたんだ。話してる時の父さん、すげぇ楽しそうでさ。俺もいつか大きくなったら同じ大学に行って父さんに、同じように話をしてやるんだって思ってた。」
話をしていくうちに、昔の記憶が蘇ってくる。
まだまだ先のことなのに、同じ大学行ってやる!そう威張って宣言した俺に、父さんはもしそうなったら面白そうだなと笑っていた。
「…けど、中学にあがってからそんな簡単なことじゃないって分かってきて。高校に入った時には諦めてた。」
スポーツならいくらでもできるのに。
勉強はめっぽうついていけなくて。
通知簿の評価は学年が上がるごとに下がっていってたっけ。
あまりにも分かりやすすぎて、自分でも笑けてくる。
「でも!谷センの言葉で今はやってみようって思ってる!!」
「そうか。」
意気込んで言う俺を見て、谷センが小さく笑う。
よっしゃ。
笑顔頂いたぜ。
…頂いた、けれども。
「でも。」
「まだあるのか。」
俺の「けど」、「でも」続きにすかさずツッコミが入る。
谷セン、ツッコミ向いてるよ。
ナイスツッコミ、とガッツポーズして見せたいところだが今は一応真面目な時間だ。
「俺、やりたいこととかまだよくわかんねぇんだ。なにをしたくて、その大学に行きたいのかって聞かれても説明できねぇし。そんなんで大丈夫なのかなって。」
テレビでは、ちょうど芸能人が夢を叶えるまでの苦悩話が繰り広げられていた。
夢。
小さい頃はいくらでも思いついたのに。
どうして今はこんなにも思いつかないんだろう。
「やりたいこと、ねぇ」
谷センは、少し考えるように呟いたかと思うと、パソコンを閉じタバコを口に咥える。
「この時期にやりたいことが決まっていない奴なんか大勢いる。大体でいいんだよ。」
「鬼教師のくせにそのへん適当だな…」
いつもはちゃんとしろ、マナーを守れとうるさいくせに。
たまに親戚の兄ちゃんぐらい軽い時がある。
吐き出した息と共に、白い煙が細く天井に向かって舞い上がる。
「お前はぐだぐだ考えるより突き進むほうが得意だろ?理由なんか後からいくらでもつけられる。柄にもなく悩むな」
「ひでぇ~」
終わり終わり、とでもいうように話をまとめられ、俺のお悩み相談はものの5分も経たないうちに終了した。
「え〜もうちょいなんかないのー」
あまりにも短い進路相談に、谷センの横腹を指でつつき不満をこぼしていると、赤い小箱をずいっと目の前に差し出される。
「菓子食うか?」
「食う!!」
赤い小箱に入ったチョコ菓子。
幸せをシェアできるという例の国民的お菓子だ。
そんなものでごまかされるか!と思うよりも先に手が伸びる。
俺の好物のひとつ。
食べないわけにはいかない。
上手いようにあしらわれた気もするが、まぁいいや。
谷センからのありがたいお言葉はあきらめ、ポッキーを上機嫌で袋から出す。
その名の通りの音をたてて一口かじると、チョコレートが口いっぱいに広がる。
これこれ。
あー幸せ。
それもう1本と袋に手を伸ばした時、不意に頭に重みを感じた。
「…?谷セン?」
頭に感じた感触が谷センの手なのだと気づいて隣を向くと、さっきよりも真剣な表情の谷センがいた。
「なんでもクラスで1番楽しめるお前なら大学でだって余裕だろ。俺はそこに関して全く心配してないが?」
真っ直ぐと見つめられたかと思えば、迷いもなくそんなことをいわれる。
このタイミングでこの言葉。
…あー、もう…
あーもう!!
なんだよ、それ。
この人はどうして、
「谷セン!!」
「ぉわっ」
谷センの胸にダイブするように抱きつくと勢い余ってそのまま倒れ込む。
どうしてこの人の言葉は、こんなにもしっくりと俺の中に入ってくるんだろう。
谷センが教師だからなのか、
それとも谷センの人柄によるものなのか。
何にせよ、俺が谷センを好きにならないという道はないのだろう。
予期できず軽く腰を打ちつけてしまった谷センが危ねえな、と文句をいっているのが聞こえたが構わず抱きしめる腕に力をこめた。
****
「これ、やっばいな…」
鏡に映った自分の姿を見てそわそわとする。
今日の泊まりはアクシデントによるもの。
当然必要なものは全く持ってきていない。
つまりは、服も借りなければいけなくなるわけで。
今俺が袖を通している服は、谷センがいつも着ている服だ。
ほんのりと香る洗剤の香りや自分よりも少し大きめのサイズがよりそれを実感させる。
谷センは使い古しで悪いな、なんて言ってたけどとんでもない。
鍵を忘れてよかった。
お泊まり会万歳!!
るんるんで部屋に戻ると、ソファで谷センが寝ていた。
先に風呂を勧められていたのだが、俺がテレビに夢中で離れられなかったので後にしてもらった。
手に雑誌が握られているところから見て、読んでいる途中で寝てしまったのだろう。
髪はまだ半乾きだ。
普段着ているカッターシャツよりも首元が大きく空いたスウェットから鎖骨が覗く。
うわー
めっちゃサービス。
今日の俺、運使いすぎじゃね?
「……」
無防備な谷センを前に、下心がむくむくと芽生えてくる。
そっと極力足音を立てないよう近づくと、谷センのを跨ぐように膝立ちになる。
そのまま顔を近づけ…
「こら」
あと少しで唇と唇が触れ合うというところで、制止の声が入る。
いつの間に起きていたのか、さっきまで閉じていたはずの目がこちらを見ていた。
「惜しい!あと少しだったのに〜」
「……」
「??谷セン?」
せっかくのチャンスを逃したことを少し残念に思いながらも、本気で怒られる前に谷センの上から退散しようとする。が、何かがおかしい。
目の焦点が合ってない。
現に、俺がまだ跨った状態なのに何もいってくる気配がない。
寝ぼけてる?
これは…
触り放題じゃないか。
「谷セン〜」
怒られないのをいいことに、すっかり調子に乗って身体を擦り寄せる。
谷センから俺と同じ石鹸の香りがする。
くっ付くだけならいいよな。
さっきも勢いとはいえ、抱きついたし。
まぁ、すぐひっぺがされたけど。
呼吸で上下する胸の動きが心地良い。
首元に鼻を押しつけるように顔をうずめ、より身体を密着させる。
…やっぱり、もうちょっと…
くっ付くだけ、と決めたはずなのに密着すると我慢できなくなってその状態でちゅ、と軽く首筋に口付けてみる。
「……」
身体にキスするのってこんな感じなんだ。
初めての体験にドキドキしてきて鎖骨、耳の後ろ、と順に口付けていく。
これなら唇もいけるかも?なんて懲りずに思い始めた時、急に視界が反転した。
「!?」
「大人をからかうな」
俺の上には、今の今まで好き放題されていたはずの谷セン。
首に回していた腕はソファに固定され、押し倒されているような体勢になる。
俺をうつす目は、さっきの寝ぼけ眼とは異なり、獲物を捕らえる獣のようにぎらりとしている。
「谷、セン?」
「……」
見たことのない谷センの姿に、心臓の鼓動が速まる。
唇の隙間から見える舌がやけに色っぽくて見惚れてしまう。
特に抵抗もせず、大人しくしていると服の隙間から手を差し入れ脇腹を撫でられた。
「ふぁっ…!」
ぞわぞわとする感覚に声が漏れる。
聞いたことのない高い声。
なんだ、これ。
自分で自分の反応に驚く。
谷センの手は止まることなく俺の身体をすーっとなぞるように撫でていく。
「…ぁっ、んっ…」
触れられる度に身体がぞわぞわし、声が出る。
くすぐったいのとは少し違う。
でも嫌じゃない。
「ぁっ…たに、せん…す、き…」
「…っ」
好きな相手に身体を触られている、そのことに気持ちが高ぶり、潤んできた目で愛を伝える。
その瞬間、谷センの唇が俺の唇に押し付けられた。
「…んんっ!」
くちゅ、と音を立て何度も角度を変えて口付けられる。
柔らかく少し湿った唇。
吐息が顔にあたりくらくらする。
「…んっ、はっ…」
口付けられる程に、嬉しい感情と切ない感情が渦巻いていく。
好き。
好きだ。
声になりきらない気持ちを必死に目で訴える。
「はぁっ…たに、せんっ…」
「!!」
慣れないキスに呼吸が荒くなってきた頃、急に谷センががばっと身体を起こした。
「…」
服がめくれ、上半身が半分露わになっている俺を見て頭を抱える。
「谷セン…?」
はぁーと溜息をこぼす谷センに声をかけるが返事はなく、目を合わせずに俺の服を直すとソファから立ち上がる。
「悪い。…もう寝ろ。」
そういうと、背中を向け部屋からでていってしまった。
ドアの閉まる音がむなしくリビングに響く。
え?
え?
えぇっ!?
生殺しかよ!!
叫びにならない叫びが俺の心の中でこだました。
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