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序章1
いつからだろうか。
こんなに記憶が曖昧になるのは。
僕汀 相楽 は、あまり羽振りのよくない花屋を営んでいる。稼ぎがなくても父と母が支えてくれているらしいので、なんとか生活は成り立っている。
三十五歳にもなって親に頼っているというのは、情けない話だけれど。
彼らの話によると、僕は子どもの頃から花屋に憧れていたようだ。ちょうど引退時期だった伯父がこのまま潰すのは勿体ないからと、高卒の僕に店を譲ってくれたのだ。
しかし問題は当人である僕が、そのときのやりとりを全く覚えていないということだ。店の受け渡しなんて、考えなくてもわかるくらい重要なことなのに。
いつからかなのか元々なのかは分からないけれど僕は忘れやすい性質で、昨日の客の顔もまともに覚えていない。客商売だというのに、困ったものだ。そもそも数える程の客は来ないのだが。
まあ周りは常連さんばかりでこの店もやって長いため、僕が忘れっぽいことへの理解はある。それが救いだった。
とはいえ、改善できるものなら改善したい。せっかく手塩にかけて育てた大切な花 たちを買い取ってくれるのだ。常連さんの顔と名前を一致させるくらいは礼儀だろう。
そう思っているのだが、思うことは簡単でも実行するのは難しい。
一応常連さんが来たときは、手帳にその人の名前とその人が何の花を買って行ったかメモしている。しているが、それで改善されるかどうかは別の話だ。
顔写真でも貼っておけばいいのだろうが警察じゃあるまいし、いくら常連さんでも「写真を撮らせてくれ」なんてそう軽々しく言えたもんじゃない。
故に名前は覚えても、それを顔と一致させるということがなかなかできない。お客様には申し訳ないが、常連さんでも初対面のような対応になってしまう。
そんな毎日のように考える悩みを携えて、僕は朝食の鮭を口に放り込んだ。
いつも通り、一人の食卓。 だが寂しいと思ったことは一度もない。
僕は気がついたらこの店で花屋を営んでいて、親元から離れていた。幼い頃の記憶が曖昧なのはまだわかるが、昨日のことも満足に覚えていない。
いや、生活に多大なる支障を来すほどではない。その証拠に、昨夜食べた白身魚フライが美味しかったことをよく覚えている。タルタルソースはつけなかった。
それと節約のために極力調味料は使わないようにしている。そのおかげでほうれん草のおひたしに醤油をかけなくても食べられるようになったくらいだ。
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