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第4話 偵察隊結成
途中でママがサービスと言って出してくれた三杯目のビールを飲み干して、ふうと溜め息を吐く。隣でゆうが化粧が崩れるほど号泣していた。
「卒業式迎えてすぐ街を出て一人暮らし始めたから、シゲとは七年会ってない。連絡も取らなかったし、専門卒業間近で親にゲイだってばれて絶縁状態になってからは地元にも帰ってないしね」
「……そっか。けーくんも結構大変だったんだ」
専門学校の金は出してもらった後だったから何とかなったけれど、仕送りは止められて大変な思いをした。在学中に美容室でバイトして貯めた金が無かったらホームレスになっていただろう。
「洋子ちゃんも酷いよね、絶対けーくんの気持ち知ってたはずなのに抜け駆けするなんて……」
「いや、それはさ、違うんだよね」
卒業式の前、洋子にどうしても聞かずにはいられなくて、シゲに告白したのかと訊ねた。洋子は「口の軽い男だなあ」とばつの悪い顔をして、
「まあ、あたしもいいなと思った時はあったんだけどね」
と言葉を濁した後、真っ直ぐに俺を見詰めて俺の両手を取り強く握った。
「慧が何か考えてるの分かってたから、もし慧の友達だって知っておきながらあたしに手出す男だったらぶん殴ってやろうと思ってたの。だって、あたしには慧の方が何万倍も大事だから、傷付いて欲しくなかったし」
羨んでいた。洋子のような女の子なら、と何度も思って、もし洋子がシゲに気持ちを伝えたら俺に勝ち目はないと、卑屈になった。友情を何より優先してくれた彼女の想いも知らずに。
「……でもどっちにしろ殴っとけば良かったかな」
洋子は泣き腫らした目をした俺を強く抱き締めて「ごめん」と呟いた。昨日のことを思い出し、また涙が出そうなのを必死に堪えて「ありがとう」とだけ返した。
「洋子とは今も友達だけど、洋子もすぐ地元離れて仕事してるからシゲの話は全然聞いてないな。最近は休みが合わなくて会えてないし」
電話やメールで近況を連絡し合ったりしているので、半年以上会っていなくてもいつも近くにいてくれる友だという感覚がある。洋子はきっと何があっても生涯の友だ。
「あ、ちなみに洋子は、越塚洋子だからな」
「ちょっと待って……越塚洋子って、モデル兼ヨーコ・コシヅカのデザイナーの……?」
ゆうが半信半疑で聞き返してくるので、スマホから前に店に来てくれた時に撮ったツーショット写真を見せる。それを目撃したゆうとママは吃驚し過ぎて声も出ない有り様で、ファッションにも芸能人にも興味のないカズは「綺麗な人だね」とだけ答えていたけれど。
「けーくん、僕ヨーコ・コシヅカ好きなのっ! 今度紹介してよぉ!」
「いいぜ、今度休み合ったらここに呼んでやるよ。このつまんない話に付き合ってくれたし」
さっきまで咽び泣いていたというのに、今度は飛び上がるほど喜んでいる。忙しいやつだ。
「で、けーくんどうすんの? その呪いの元凶の男が店で働くんだろ。今日は気を張ってられたかもしれないけど、毎日だと辛くない?」
カズの言う通りだ。今日は雪菜が相手をしていてくれたから、会話することもほとんど無かった。でも、本格的に業務を一緒にやるようになったら、会話をしないのもまして顔を見ないようにするのも無理だ。救いなのは子供を保育園へ迎えに行かなければならないから、五時で帰ってしまうということ。それでも、八時間は一緒にいなければならない。
「そのシゲってやつだって、まさかけーちゃんとのこと忘れてるってことはないでしょうし、今日はけーちゃんが他人の振りするから合わせただけなんでしょうから」
明日からどういう顔をして会うべきなのか、検討もつかない。会話もしてないから向こうの出方もよく分からなかった。
「とりあえずなんともないって感じで接してみようかな。俺が一方的に気にしてて馬鹿みたいだし」
ママがいつも俺がシメに飲む梅酒サワーを出す。ちょっと一気に飲み過ぎたので気を利かせてくれたようだ。
「じゃあ、俺暇だし髪切りにいこっか? 探り入れてやるよ」
「残念、うちメンズカットはやってないんだよね」
本当はできないこともないのだが、これ以上余計なことをして掻き回されては堪らない。
「じゃ僕が女の子の振りしていくー! カズくん僕の彼氏設定でついてきてよぉ!」
「いいね、それでいこう!」
勝手に外野で盛り上がっているが、シゲの方は俺のことをちょっと若気の至りで変なことした昔の友達くらいにしか思っていない。結婚して離婚して、一児の父になったシゲが、ゲイの俺のことを今更掘り返す理由があるだろうか。きっと、あの時の話なんてしようものなら迷惑でしかないだろう。
「ちょうど明日のお昼キャンセル入ってたからカラーで入れちゃった」
梅酒サワーを飲んでさっさと退散しようとしていた俺に、ゆうがスマホを印籠のように見せつける。俺の勤務する美容室の名前と予約完了の文字が目に入った。
「ふふふ、楽しみー」
「……おいおい、人で遊ぶなよ」
今日話して即明日とは機動力が高過ぎて面食らう。こんな風にできるのは二人とも休みの融通が利く自由業だからだろうか。二人が何の仕事をしているのか、一度も聞いたことがないので全く分からない。特にゆうは高級ブランドの服をたくさん身に付けているから、金持ちではあるようだが。
会計を済ませ、カズも帰るというので二人で店を後にした。駅までの道すがら他愛ない会話をし、改札前で分かれる時真剣な顔で肩を叩かれた。
「勝手なこと言うけどさ。セフレ切った方がいいよ。なんか、良くないじゃん」
そう言って去っていく後ろ姿を見送り、改札を通ってホームへの階段を上る。そしてちょうど来た電車に乗り込み、少し考えてスマホを取り出した。いつも会う時に使うSNSのダイレクトメッセージで、「もう関係をやめようと思う」と書いて送信する。
気軽に身体の関係を持つ相手がいるということが、保険のようになっている。もう燻っていた恋心を綺麗さっぱり終わらせるには、砕けてしまうくらいの痛みが必要だ。そのために、逃げ道を絶たなければいけないと思った。
最寄り駅からすぐ近くの自宅マンションに着いて、すぐにシャワーを浴びる。頭をドライヤーで乾かしながらスマホを手に取った。
SNSを見ると返事は来ていないようだ。が、ふと見ると友達の数が一つ減っている。そしてアサギの名前が、一覧から消えていた。
深い溜め息を吐き、ドライヤーを切り枕に頭から突っ込むように横になる。わかっていたけれど、そんなものなのだ。身体で繋いだ関係なんていうものは。
俺が、シゲと無理矢理繋がろうとしたことは、あまりに浅はかだったと思う。結果的に七年も片想いを拗らせてしまったのは、結局最後までしなかったからだろうけれど。中途半端に刺さった棘が、時々痛みを思い出させるのだ。カズが表した「呪い」とは言い得て妙だ。
電気を消して寝ようと立ち上がった時、本棚の上に置かれた古くなって毛玉の目立つ白いうさぎのあみぐるみが目についた。それを手に取り電気を消してベッドに横になる。
「……うさ太、お前の彼氏は元気かな」
七年前、シゲに貰われていったくまのあみぐるみを思い出した。ぞんざいに扱われていたから、流石に捨てたか失くしているだろうが。でも、もし持っていてくれたら――そんなことを考えて自分の愚かな願望に首を振り、枕元にうさ太と名付けたうさぎを置いて布団を被る。
明日も仕事だ。酒を煽ったお陰だろうか、目を瞑るとすぐに意識が遠退いていった。目が覚めたら今日あったことが、全てなかったことにならないかとぼんやりと思いながら、眠りに落ちていった。
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