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閑話⑤、⑥

【閑話⑤ 前条視点】 「ちょっと提案なんですけど、昼休憩でシャワー浴びて良いですか!?」  昼飯を片付けるのと同時に、小型の洗面器を片手に抱えたけーちゃんが意を決した様子で言ってきた。  なんかまた変なこと言い出したなこいつ。何故かドヤ顔なところが可愛い。僕すごい名案思いつきましたよ!みたいな顔をしているところが特に可愛い。あと洗面器ダサいね。それ何? その、河童? ペンギン、カラス?みたいな絵のやつ。何? 「……シャワー? なんで?」 「『なんで?』ってそりゃ、お客さんに『この人めちゃめちゃ汗かいてるなあ……』とか『汗臭いなあ……』とか思われたくないからですよ! ていうか汗まみれで応対するのも失礼ですし!」 「ふーん? まあ、最近確かに客多いしな。いいんじゃない? 好きにすれば」  流石はラッキーアイテム。もしかしてお前本当にラッキーアイテムなんじゃないか? 多分本当にラッキーアイテムだよ。すごいな。けーちゃんはまだラッキーアイテム大事にしてんだろうか。もしかしてそのよく分からないキャラクターのやつが今のラッキーアイテムだったりする? 目つき悪いなそいつ。  結局カラスなのかペンギンなのかそれ以外なのか何なのか分からない洗面器を抱えつつ風呂場に向かうけーちゃんを見送る。仕事と呼べることは一切無いんだし、助手をやっていないと居心地が悪いってんなら助手でもいいし、何だっていいから別に好きにすればいい。最近キッチンの配置が勝手に変わってるし。そういうの聞かないじゃんお前。なんでシャワーは許可取ったんだ? まあ、仕事中に突然勝手にシャワー入るけーちゃんはかなり面白いと思うんだけど、あ、振り返った。どうした? 「あとから勝手に入ってくるの無しですからね! 鍵かけますから!」 「なるほど」 「『その手があったか』みたいな顔しないで下さい!」  浴室の扉の鍵なんざ単純極まりないのですぐに開く。外側からでも余裕。ふーん、なるほど。早く行けよと手で示すとけーちゃんは絶対に入ってきたらダメですからね、絶対ですよ! 絶対!などと、ご丁寧にガイドしながら袋小路に飛び込むような物言いをしつつ風呂場に消えた。もしかしなくてもあいつ馬鹿なんじゃないかな。もしかしなくても馬鹿だ。可愛いね。  ただここで素直に後を追って風呂場に行くのも詰まらない。『前条さんが入ってきちゃったらどうしよう』って思いながら全身洗って『入ってこなかったな……』みたいな面で出てくるけーちゃんが見たい。今日はそういう気分だ。さてどうするか。  ん? どうした地蔵、ドライヤーのコード絡まってるぞ。……ドライヤー? 「お前頭良いな」  頭しか無いくせにな。ごろごろと機嫌よく足にまとわりついてくる地蔵を撫でつつドライヤーを手に取り、その後二十分ほどけーちゃんのことを考えて時間を潰した。  二十分後。案の定『前条さん入ってこなかったな……』みたいな面をしつつ出てきたけーちゃんは、ドライヤー片手に現れた俺を見るやいなや、『やっちゃったー、髪まで洗っちゃったよ、汗流すなら必要なかっただろ、もしかして僕は馬鹿なのか?』と顔面で語った。そうだよ、馬鹿だよ。でもそこが好きだから馬鹿でいいぜ。 「ほらけーちゃん、そこ座って」 「い、いいです自分でやります。だ、大体冷風じゃないとどうせ暑いですし前条さん冷風とか浴びたくないでしょ! だから自分で」 「座って?」 「うひょひ」  にっこり微笑んで言えば奇怪な返事と共に素直に頷いた。素直でよろしい。座ったけーちゃんの前に立つ。今の俺程度の容姿でも通用するのは有り難いな。このままなし崩しに致してもいいんだが、もう少し今を楽しみたいとも思う。あたふたしながら『前条さんに迫られちゃうと困るけど満更でもない』って顔面で喋るけーちゃん、かなり面白いからな。いつでも出来るんだからいつだって良いだろ。  出来るだけ時間を短くしようとタオルドライに努めるけーちゃんを見下ろしつつ、スイッチを入れる。温風は嫌だって言うから冷風。あー、直に触りたいけど手袋外せねえな。けーちゃんの髪の毛は割りと硬い。いつもぴょんぴょん跳ねていて、根本が黒くて、旋毛が綺麗に真ん中にある。指を差し入れると分かりやすく肩が跳ねた。 「けーちゃん、染め直しに行かないの?」 「え? あ、ああ、ノリで染めちゃったんで面倒くさくて……まあ、みっともないんで適当に染めに行きますけど」 「そう。残念だな、黒髪のけーちゃん可愛かったのにね」 「かっ、可愛いとかそういう、……ん?」 「でも茶髪も似合ってて好きだよ。そうだ、今度俺が染めてやろうか」 「黒、見、茶っ好ッ、染!?」  情報量過多でショートしたけーちゃんを鑑賞しつつ髪を乾かす。楽しい十五分間だった。 【閑話⑥】  ローテーブルの上にくちゃくちゃの紙が幾つも転がっている。真っ白な紙はどれもこれも『折り目らしきものがついた紙の塊』と化していて、傍から見るとひたすらゴミを量産している人にしか見えなかった。 「……前条さん、まさかとは思いますがそれは折り紙のつもりですか」 「ん? なんだけーちゃん来てたの、丁度いいやそこの紙取って。さっきからこいつどうも調子が悪くて」 「どう見ても調子が悪いのは前条さんの指だと思いますけど」  それともこいつってのはアンタの指のことですか?  示された紙を手に前条さんの対面に座る。紙が合わないんだよ、とぼやく前条さんはくちゃくちゃになった紙を脇に寄せてまた新しい紙を取り出した。  軽く息を吸い、止めた前条さんが黙々と紙を折り始める。横半分に折り、縦半分に折って、袋を作――ろうとして折り曲げたところが斜めにずれ、そもそも最初の半分が綺麗に半分ではないので加速度的に手遅れ感が増し、何をしたいのかも分からない折り目が量産されてくちゃくちゃの紙になった。  成る程、さっきのゴミはこうして量産されたのか。無言の前条さんと共に紙を見下ろしていると、数秒の間の後に舌打ちが響いた。 「あーもういいか、これ贈るわ。めんどくせぇ」 「贈る? えっ、待って下さいこれ人に贈るつもりで折ってたんですか!?」 「しょうがないだろ花恋ちゃんが俺が折った諸願成就符欲しいって言うんだから」 「えっと、あの、あー、まず、花恋ちゃんとは?」 「しおんちゃんの祖母」 「諸願成就符とは?」 「神折符の一種」 「か、かみ、なんです?」  次から次へと疑問が湧き出てくる。前条さんが量産した紙屑と同じ勢いで疑問が量産されていく。何から片付けたものか。……紙屑からかな。  失敗作らしきくちゃくちゃの紙を袋に詰め始めた僕に、前条さんは組んだ足を揺らしながらなんとも詰まらなそうに説明を口にした。 「願い事に効果がある符だよ。アイドルのライブチケット当たりたいんだって。当たってどうすんだよ、行くのか? この間ぎっくり腰やったくせに元気だよな花恋ちゃん」 「は、はあ、なるほど?」  アイドルオタクは祖母譲りなのだろうか。くだらない疑問がまた生まれてしまった。 コンビニの大きめの袋いっぱいくらいになってしまった出来損ないの符とやらをまとめていると、ゴミ箱に捨てようとしたところでストップがかかった。どうやら、手順を踏んで捨てなければならないらしい。よくわからないけどいろいろ面倒な代物のようだ。 「もういいや、けーちゃん代わりに折って。こういう、完成形が決まってる物って独創性が認められないから嫌だ」 「そういう台詞は創造性を少しでも見せてから言って下さいよ……。大体、僕が折って意味があるんですか?」  返答は無言だった。答えたようなものだ。事情はよく分からないが、月下部さんのお婆さんの為だと言うなら少しは協力してもいい。お婆ちゃんは大事にするべきだし。 「分かりました、折り方教えて下さい。そしたら僕が前条さんになんとか折り方を教え直してみせます」  その壊滅的不器用な両手にせめて一枚くらいは成功例を作らせてみせます。親切心と、『前条さんに物を教える』という行為に若干の楽しみを見出しつつ口にした僕は、十分と経たずに後悔する羽目になった。 「な、なんでまともに半分に折れないんですか!? 折り目は真っ直ぐ! 端と端はちゃんとくっつけて――っていうかこの折り方自体前条さんには無理ですって!! 三歳児に箸で小豆を摘めと言ってるようなもんです!」 「小豆摘めるけど」 「黙ってろ二十六歳!!」 「大体対面でやってるから分かりづらいんだよな。こっち来て同じ向きでやってよ」  あまりの出来なさに絶望し怒鳴り始めた僕を前条さんが手招く。仕方がないので憤慨しつつ前条さんの足の間に座り、説明をしようとした僕は肩に顎を乗せて覗き込んでくる前条さんの腕が腹に回ってきた辺りではたと気づいた。  あれ? この体勢不味いんじゃないか? 鴨がネギ背負って土鍋片手にやってきたくらいの勢いなんじゃないか? 「〆の蕎麦までついてるな」  顔色読むのやめてくれます!? 逃げ出そうともがく僕に楽しげに「今は食べないよ」などと囁いてきた前条さんは、言葉通りやたらと距離こそ近いものの真面目に説明を聞いて真面目に折った。本当の本当に真面目だった。  くちゃくちゃの紙が三枚出来上がったので、前条さんは不貞腐れながら花恋さんに断りの電話を入れた。

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