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閑話⑭、⑮

【閑話⑭】  それはただの、ちょっとした好奇心と疑問だった。 「霊能力みたいなのって、鍛えたりとか出来ないんですか?」 「鍛える? ん? けーちゃんが?」 「ええ、まあ。助手やってるなら少しは役に立った方が良いのかなって思って……」  洗い終えた皿の泡を流しながら呟く。何をするでもなく僕を眺めていた前条さんは、壁に寄り掛かったまま不思議そうに首を傾げた。 「けーちゃんが役に立つ必要なんて微塵も無いけど。まあ、鍛えたいってんなら試してやっても良いよ」 「え、なんか方法あるんですか?」  別に本気で霊能力者になりたい訳ではない。作業の単調さに退屈して、口からついて出ただけの話題だ。だが、それでも鍛える方法があると聞かされると興味は湧いた。  目を向けた僕に、前条さんは顎に手を当て暫く考え込む素振りを見せる。 「皿洗い終わったら、ちょっと上に行こうか」  前条異能相談事務所は、十階建てのビルの四階にある。エレベーター未設置の古びたビルには事務所以外何も入っていないが、所々使われていた痕跡は残っていた。六階に位置するガラス張りの店舗もそうだ。洋風の内装は全体的に埃っぽく、靴の裏にはざりざりとした砂のような感触が伝わる。窓ガラスにはヒビが入り、壁紙と床は大半が剥がされていて、寄せ集められたテーブル席やソファは脚の折れた物や生地が裂けている物もあった。その全てを、薄暗い明かりがぼんやりと照らしている。 「さてけーちゃん、問題です」 「はい?」 「此処に女の子が一人隠れています。どこでしょう?」 「…………はい?」  唐突な問題にきょとりと目を瞬かせた僕の前で、前条さんはやけに楽しげににやにやと唇の端を吊り上げた。嫌な笑みだ。僕をからかって遊ぼうとしている時の歪み方である。こういう顔をしている時は、大抵碌な事が無い。鍛える方法とか言うのも嘘かも知れない。胡乱げな視線を向けると、前条さんは心外だと言いたげに肩を竦めた。 「まあ、霊能力がどうとかってより、霊感――みたいなもんを上げる方法だな。今までけーちゃんが見てきたのはわざわざこっちの感覚に干渉してきた輩ばっかな訳だけど、見せる気も力も無いような輩も見つけやすくなる。避けやすくなる、と言い換えても良い。変なのに障って巻き込まれることも減るかもな」 「……なるほど?」  何だか納得が行かないながらも、それ以上説明してくれる気配も帰してくれる気も無さそうな前条さんに、諦めて探索を開始する。こういう時は諦めが肝心だ。  とりあえず近場から確かめることにする。入り口付近に寄せられたテーブルの下をびくつきながら覗き、さほど広くも無い店内をぐるりと回る。調理場らしきカウンターの奥へ目をやり、放置されたレジの下の戸棚を開け、中から落ちてきた筆記用具に小さく悲鳴を上げた。前条さんの笑い声が聞こえてきて、何だか恥ずかしい気持ちになる。しょうがないじゃないですか、こんなん自前の心霊スポットみたいなもんですよ。扉の壊れたトイレを半分ほどのぞき込み、前条さんを振り返る。「つ、ついてきてくれます?」「女子かよ」「だって怖いんですもん」けたけた笑う前条さんと一緒にトイレを覗き込み、何も居ないことを確かめる。調理場に残された戸棚の一つ一つまで、時間をかけて開けていった。 「前条さん。これ、そもそも霊感が無いと見つからないってオチじゃないでしょうね。だとしたら怒りますよ」  三十分後。どこを探しても姿の無い『女の子』とやらに徐々に恐怖よりも苛立ちを覚え始めた僕は、壊れたソファに腰掛ける前条さんへと棘の混じる声を投げていた。霊感を得るための霊感が無い、みたいな話じゃないでしょうね。  そうだとしたら僕は丸々三十分無駄にしたことになる。げんなりながら溜息を吐いた僕に、前条さんは相も変わらず薄気味悪い鼻歌を響かせながらすっと人差し指を立てた。 「けーちゃん、一つ聞いて良い?」 「はあ、なんですか」 「なんで天井は確かめないんだ?」  前条さんの言葉に、僕は何故かぎくりとして息を詰めた。笑みの形に歪む唇を見つめる目が、僕の意思に関係なくあちこちに泳ぐ。知らず、所在なさげに掴んだ肘の辺りに爪を立てていた。  僕は三十分間、ただの一度も天井を見上げなかった。何故だろう。そりゃ、天井なんかに居るわけないからだ、と答えることは出来る。出来るが、それは答えでは無い。僕の本能が、天井を見ることを拒絶しているのだ。それ以外に理由などない。 「見なよ。見えない物を捉えるには、見たくない物を見る必要がある」  絶対に嫌だった。絶対に嫌だと言うのが顔に出ていた。兎に角絶対に嫌だった。しまいには目を閉じ始めた僕を見て、前条さんはまたけらけらと笑った。笑って、「けーちゃんが役に立つ必要なんて無いんだよ」と上機嫌に僕の手を引いて店を後にした。 【閑話⑮】  彼氏がバスに呑み込まれた。  事務所の扉を叩き、泣きじゃくりながら依頼してきた女子高生の話を聞いて、僕らはとあるバス停の前へと来ていた。駐車場の脇にぽつりと立った案内板は、灯の少ない通りでは確かに不気味に見えなくもないが、それでも至って普通の代だ。  二つ返事で依頼を受けた前条さんと、強制連行された女子高生と、怯える彼女が可哀想でついて来た僕の三人が、深夜二時のバス停に並ぶ。彼女の話の通りならば、時刻表にない路線バスがやってくる筈だ。中に沢山の乗客が詰まった、見慣れない路線バスが。  街灯の少ない道の奥を覗く先の方に交差点があるが、車が通る気配はない。その内に十分が経過するも何も起こらない。寒さを紛らわすように鼻先を手袋で覆う。  一月の深夜二時だ、突っ立っているだけで末端から冷えていく。いつもなら依頼内容の時点で追い返すだろうに、前条さんは気味の悪い鼻唄を響かせながら今か今かとバスを待っていた。その隣では、依頼人が震えながら両手を組んで俯いている。やはり帰らせた方が良いんじゃないだろうか、なんて思って口を開きかけた時、僕の耳に大型車の走行音が届いた。振り返る。  黒く塗り潰された道の奥に、小さな灯りが現れた。それがバスのヘッドライトだと気づく頃には、行き先表示が読み取れる程の距離に近づいていた。いや、見て取れる距離、だ。表示は判読可能な文字列では無かった。  吸い寄せられるようにして見つめる僕の前で、バスは緩やかに速度を落とし、停車する。前条さんがご機嫌な口笛を鳴らした。何だってこんなに機嫌が良いのか。かたかたと奥歯を鳴らす依頼人に寄り添いつつ、僕は此方を見下ろす乗客から出来る限り目を逸らした。  バスには『一塊になった乗客』が乗っている。そう事前に聞いていなければ、僕は泣きながら後ろのフェンスにしがみついていただろう。老若男女が一緒くたに捏ね混せられた、粘土の塊のような物体が、車外へ逃れようと窓にへばりつき、助けを求めて腕を伸ばしていた。 「おおいて、おおいてくああい」 「おろして、おおいて」 「おおろしいてえ」 「オオ、オオ、オ、オロイテ」  開かれた乗車口から、すり潰された悲鳴が聞こえてくる。前条さんは引きずり込もうと伸びてくる手を軽くあしらいながら、隣で震える依頼人へ極明るい声で尋ねた。 「どれが彼氏です?」  彼女は答えなかった。ただ強く両手を握りしめ、俯き、噛み締めた唇の奥から嗚咽を漏らすだけだった。扉はまだ開いている。伸びてくる腕は、前条さんに触れられそうになる度、逃げ惑うように距離を取った。しかし、車内に戻る気配は無い。 「まあ、どれも彼氏と言えなくもないですね。今じゃ一つですから」  ひくりと細い肩が揺れた。 「彼氏だけを持ってくるってのは無理ですよ、どうします?」  本当に、一体何が面白いのか。前条さんは殊更に笑みを深くしつつ、乗客を見上げて言った。啜り泣くように唸り続ける彼らは、たた一言を繰り返す。  酷く不明瞭で、しかし必死に求め続けるその声に、恐怖と憐れみが同居した奇妙な感覚が生じる。聞いていられない。両手で耳を覆いかけたその時、場違いなまでに軽やかな声が鼓膜を震わせた。 「ねえ、こいつらなんて言ってると思います?」  楽しげな前条さんの声に、脳内で反射的に答えを返す。降ろして、でしょう? 答えられそうもない依頼人に変わって口にしかけた僕は、しかしそこで何とも言えない気味の悪さに唇を引き結んだ。違う。降ろして、じゃない。  顏を上げた僕の視線の先で、前条さんは機嫌よく目を細める。何故だろう、新発売のコーヒーゼリーを買ってあげた時のことを思い出した。 「何と驚き。こいつら、また全員生きてるんですよ。この状態で」  殺して、だ。殺してくたさい。乗客は全員、口々にそれを繰り返している。  弾かれたように顏を上げた依頼人に、前条さんは上機嫌に続けた。 「貴方についていたのが生霊たったのでもしやとは思ったんですが、まさかこんな代物が見れるとは思いませんでしたよ。これはかなり珍しい、滅多に見れるもんじゃない。まあ、価値があるかと言えば別ですがね。一度見れば充分と言ったところです。で、どうします? これ」  これ、と示された一塊の乗客を見上げ、依頼人は白い吐息を混ぜながら、辿々しく問いかけた。 「……助けられないんですか?」 「出来ますよ。この籠から引きずり出せばそれでおしまいです。みんな元気に、五体どころか百体満足で過ごせるでしようね」  にっこりと告げた前条さんの言葉を正しく受け止めた依頼人が、込み上げた涙を手の甲で拭う。乗客は末た救いを求め続けている。彼女はそれを見上げると、掠れるような声でそっと、彼らの言葉を繰り返した。  走り去るバスを見送る。前条さんは、いやあ良い物を見た、と満足げに呟き、依頼料を受け取ることなく彼女を帰した。

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