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狸、あるいは地蔵の話

「────そういえば、迎えに行くとは言いましたけど、普通に行って会えるものなんですか?」  対岸町に戻り、事務所近くの駐車場で軽トラックに乗り込んだところで、ふと疑問が浮かんだ。  あの何だかよく分からない世界で出会った司は、首のない狸の姿をしていた。僕の顔を摸した地蔵の首は、恐らく身代わりとなった時に失われでもしたんだろう。喜久子さんの人形を作った時も、使ったあとは跡形も残っていなかった。  そうなると、僕らは姿を持たない何かを迎えに行こうとしていることになる。あいつはトンネルから地蔵としてついてきた訳だけど、今回は一体何になってついてくるつもりなんだ? 「迎えに来いって言ってる以上は大丈夫だろ。まあ、何も無かったら俺がまた身体作ってやるよ」  今ひとつイメージが湧かずに首を傾げる僕に、運転席に座る前条さんが粘土を捏ねるように片手を動かした。どう考えても上手くいくとは思えない提案に、知らず眉を寄せてしまう。 「やめてください、また泣きますよあいつ」 「心配すんなよ、可愛く作るから。あのあと粘土の本も買ったし、ライオンだって上手く作れてただろ?」 「ああ……あのイガグリの妖怪みたいなやつライオンだったんですか……」  事務所のローテーブルに転がっていた謎の塊たちが脳裏を過り、転がるそれらが何一つまともな形をしていなかったことまで思い出す。眉間の皺が増えるのが自分でも分かった。  あの無駄にとげとげしていた部分はもしかしたらたてがみだったのかもしれない。マーブルオレンジのイガグリにしか見えなかったけれど。  絵の具の混ぜ方からして下手くそなんだよな……なんて、不気味なオブジェに思いを馳せていた僕の記憶の中で、ライオンの隣に転がっていた粘土がやや存在を主張し始める。 「昂さん、ライオンの隣にあったやつって何だったのか聞いてもいいですか?」 「ライオンの隣?」 「ほら、あったでしょ、なんか…………長いやつ」 「ああ、あれね。キリン」 「キリン!?」  あの黄色いちんこみたいなやつが!? キリン!? ──と声に出さなかった自分を褒めたいと思った。  この人なんで粘土でディルド作ってるんだ……とか思って触れずにおいたのは正解だったようだ。なんでちんこ作ってるんですか?なんて聞いた日には事務所内の暖房が無意味なくらいに冷え切った空気になっていたに違いない。  可愛かっただろ?なんて聞いてくる前条さんに引きつった笑みを返しつつ、適当に相槌を打つ。どうみても黄色いちんこだったが、一生指摘しないぞ、と決めた。もしまた作っちゃった時には僕が適当に直そう。  妙な決意を胸に抱きつつ、流れる景色に目をやる。進む道を眺めていると、初めての依頼の時が思い浮かんだ。  クビナシトンネルに肝試しにいった挙げ句、首を奪われてしまった依頼主。共に行った友人が首を吊った、と怯える彼女から呪いをよいしょっと移されたせいで僕が向かう羽目になった訳だ。あの頃の僕は前条さんに対して不信感の塊だったな。  ……いや、今も手放しで全面的に信用しているのか、と言われればなんとも難しい顔をしてしまうのだけれど。  好きだとは言える。愛しているとも言える。絶対に幸せにしたいとも言える。ただ、『全面的に信用している』かと言えば、なんというか、やはり、唸った上で首を傾げてしまう気がした。だって普通に嘘を吐くし。別に僕を気遣ってとか、思いやってとか、そういうこと以外にも普通に嘘吐くし。あとすぐに知らんおっさんと寝るし。あれ本当、どうにかならないのか?  一体僕の何が不満なんだろう、と思いかけて、不満を抱かせない行為が出来ているなどとは口が裂けても言えないな、と我にかえってしまった。畜生、性行為の達人になるしかないのだろうか。 「どしたよけーちゃん、なんか難しい顔して」 「いや……達人って、どうすればなれるんですかね……」 「はあ、何の達人?」 「性行為の…………何でも無いです、聞かなかったことにしてください」  思考の波に沈んでいたせいか口が非常に緩くなってしまった。理性の関門を通さない言葉が舌に乗る。音になった時には既に遅かったが、僕は前方を注視し、極めて真面目な顔を作ることでなんとか誤魔化した。 「とりあえず一万時間やってみる? あの法則、嘘らしいけど」  全然誤魔化せてはいなかった。笑い混じりに投げられた問いかけに、気恥ずかしい思いで唇を噛む。法則がどうこうとかはさておき、とりあえずしたかったので頷いておいた。するのかよ、と更に笑われてしまった。なんで笑ったんですか。前条さんが言ったんでしょうが。やってくださいよ。なんで笑ったんですか! 畜生!  一回一時間だとしたら、とりあえず一万回出来る。一日一回だったら二十七年くらいは出来る。まあ一回じゃないとしても、とりあえず十年くらいは保証される筈だ。十年後、って考えると流石に僕も達人とはいかないまでもちゃんと満足させられるようになってるんじゃないのか? どうなんだ。どうだろう。十年後の僕。頼むからそうであってくれ。  十年後の僕が前条さんをめちゃくちゃに満足させていますように、なんて祈っている内に、見覚えのあるトンネルが視界に入った。  例の空間で見た光景と殆ど同じだ。季節が違うのか、山の景色が若干違うようにも見えるが、日のある内でも何処か薄暗く見えるトンネルの景色は然程変わりがない。  トンネルの少し手前で車を停め、降りる。扉を閉め、運転席の前条さんが降りてくるのを待っているところで、後方から小さな足音が聞こえてきた。四つ足の軽い足音が、アスファルトの地面を掻いて走ってくる。 『けちゃ!! あおぐ!!』 「おっ、おう!?」  振り返ると、丁度首のない狸が僕の腹に飛び込んでくる所だった。結構な衝撃が来るだろう、と身構える僕の腹を、飛び込んだ司がすり抜ける。  予想と異なり固まって数秒、はっとして後方へ視線を向ける。勢いが余ったらしい司はそのまま地面を何度か転がると、尻を天辺に向けて止まった。丁度首の切断面が接地しているので、地面から狸が生えているみたいになっている。率直に言って、ちょっと不気味だ。  四肢をばたつかせた司は、ころりと尻と地面に落ち着けると、真っ黒い首の断面を僕の方へと向けた。見つめていると妙に視界がぐらつくので、慌てて目を逸らす。  あの時と同じく僕の周りを回っている司は、度々僕に触れようとしてはすり抜ける自分の身体を確かめると、少し項垂れた様子で呟いた。 『けちゃには さわれないみたい ざんねん』 「そ、そうなのか……まあ、その、無事で良かったよ。えーと、このまま連れて帰ればいいのか?」 『あちに あたらしいくび つくった』 「新しい首?」 『もてくる!』  そんな簡単に作れるものなのか、首って。そもそも新しい首ってなんだ。何が何だか分からない。とにかく元気そうなのは良かった。  走ってきた時と同じく元気に駆けていった司は、やがて石で出来た狸の首を持って戻ってきた。ごとんごとん、と歪に転がる首を下手なドリブルみたいに転がしている司が、僕の足下に狸の首を置く。  つんと尖った鼻と丸い耳のついた地蔵の首は、やや歪ながらも充分に狸と分かる造りだった。手作り感あふれるそれを持ち上げつつ、もしや、と思って尋ねる。 「これ、お前が自分で作ったのか?」 『がんばた』 「ふーん、よく出来てるな。前条さんのより余程上手いじゃんか」  口にしてから、しまった、と思った。完全に失言だった。気まずい思いで隣を見やる。走り回る司を興味深そうに眺めていた前条さんは、僕の視線に気づくと、特に気に留めていない顔で首を傾げた。 「ん? どうかした?」 「い、いえ……その、……下手に比べるようなこと言っちゃったな、と」 「ああ、別にいいよ。ほら、芸術への感性は人それぞれだし」 「…………ソウデスネ」  ハンドボールサイズの首を抱えつつ司を見下ろすと、首がないのに僕と同じことを思っているのが分かる顔をしていた。顔、という概念がぼんやりと意識に働きかけてくる気がする。やはり見ていると目眩に似た症状があるので、早々に同意の頷きを返しつつ目を逸らした。 「ところで、これって何のために作ったんだ? 連れて帰るだけならその身体でもいいんじゃないのか?」 『けちゃだけなら いいけど あおぐがいると ちょとつらい』 「……ふうん?」  辛い、の意味が分からずやや不明瞭な声色で返した僕に、前条さんが説明を付け足す。 「それが無いとどうしても剥き出しのまま俺の側に居る羽目になるからな。そうだなあ、常に肌に鑢でもかけられてるようなもんだと思えばいいよ」 「なるほど、確かに辛いですね……」 「あと飯が食えないしな。なんだっけ、ハーゲンダッツ? 食べたいならあった方がいいよ」 『はげんだつ!!』  ぴょんっ、と跳ねた狸の身体が、僕の腕の中にある地蔵の首に飛び込む。瞬きの間に姿が消えたかと思えば、見慣れた地蔵スタイルの司が僕の手の中で元気に笑顔を作っていた。石なのに表情が分かることに、そろそろ違和感がなくなってきた。 『けちゃ! はやくかえろ! はげんだつ!』 「分かってるよ、途中で買ってやるから! とりあえず、昼食でどっか寄るぞ」 『つかさも たべてい?』 「……んん、そうだな……あー、……怪しまれないようにしろよ。前条さん、ファミレスとかでもいいですか?」  運転席に戻る前条さんの後を追い、司を抱えたまま助手席に乗り込む。途中、道路沿いにファミレスがあった覚えがあったので確認を取れば、前条さんからは軽い調子で了承が返ってきた。 「別にどこでも良いよ。夜はたこ飯ね」 『たこめし! たのしみ』 「サバの味噌煮もあるよ」 『みそしる? ある? おくら』 「豚汁にしてもらうから、オクラは入れない」 『つかさは とんじるも おくらがはいって いいとおもう』 「俺は良くないと思うから入れない」 『けちゃ』 「あー……今日は前条さんのリクエスト優先なんだよ。明日でいいか?」  返事は満面の笑みだった。車をUターンさせる前条さんからはお麩のリクエストが来たので、とりあえず両方入れることに決める。他の献立に悩んでいるうちに「鮭がいい」だの『たまごやき』だの飛び交い始めたので、徐々に妙な方向に走るメニュー合戦からまともなものを広うことにした。流石に朝から天ぷらは作りたくない。  賑やかな車内の会話を聞きながら、帰ってきたんだなあ、と安堵の息を吐く。色々あったが、無事に帰れて良かった。家に帰るまでが遠足です、とはよく言うし、今日が終わるまで気を抜くのはよくないかもしれないが、それでも僕の口には気の緩んだ笑みが浮かんでいた。  あとで月下部さんにもお礼を言わないとな、なんて思いながら、いつの間にかバレンタインにまで及んでいる会話に加わる。手作りのチョコやるからな、などと上機嫌に言う前条さんに、後生ですから一緒に作りましょうね、と返しつつ、胸に湧く幸福感を静かに噛み締めた。

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