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Part.2

 ――昭から連絡のあった翌日。 俺と芝崎は、亜咲の居る2号店へと足を運んできていた。  亜咲は月末に開催される技術認定試験の最終調整の為に、サロンの閉店後に残業しながら実践作業を続ける日々を繰り返していた。  ちなみに以前、1号店でヘルプに入った時にたまたま行っていた作業中に、亜咲は突然意識を失って、そのまま倒れそうになった事がある。その事があってから、俺も芝崎も亜咲の一連の仕事ぶりに多少の不安を抱えていた。  当の亜咲は、あの時は仕事に集中し過ぎただけだと笑っていたが、そこから詳しく話を聞いていくと、どうやら今の仕事に就く前からこういった突発的な発作のようなものが起こる事は稀にあったという。だがそのきっかけも原因も、本人には未だに分からないというのだ。  俺はそんな亜咲の症状に少し思い当たるものがあるとは思ったのだが、当の本人が特に心配する事でもないと言うので、俺も今はその意見を尊重して見守るだけにしているのだが…。 「…と、いう訳なので…。僕たち二人は明日から1週間ほど静岡の方に行くことになったんですけど…亜咲君は大丈夫ですか?」 「大丈夫ですよ。…あれ以来、前ほどゾーンに入る的な発作も出なくなってきてるし、この認定試験さえ通れば、俺も晴れて一人前になれるんですから。…けど、それでも何かあった時にはとりあえず航太にお願いしてるんで…当日まで何とか頑張ります」 「…そうですか。……それなら良いんですが。…でも本当に気になるようなら、一度お医者様にも相談してみてくださいね?」 「…ま、その前にみわ子さんが飛びつきそうだけどな?」 「ああ、確かに。彼女はプロですからね」 「社長。それに結真さんも…俺の事は心配しなくていいですから、二人ともゆっくり休んできてくださいね?」 「……そうですね。…お言葉に甘えさせてもらいます」 ◇ ◆ ◇ 「…しかしどうなんですかね。亜咲の奴あんなこと言ってたけど…俺は何だか危なっかしい感じがしますよ。…しかも最近になってからは特に」 「やはり結真君もそう思いますか?」 「うん。…何だろうな…ああ、ほら。前に利苑がサロンに来た事があったでしょ。あの頃くらいから、どうも以前と様子が変わってきてるような気がするって言うか…。あいつ昔はけっこうあっけらかんとしたような所があったけど、最近は少し弱さが見えてきてるって言うか…航太の影響もあるのかな?」 「さあ…どうなんでしょう。ただ僕が思っているのは、今の亜咲君には明確な目標があるって事ですかね?」 「え、どういうこと?」 「これまで結真君には言ってなかったんですけど、亜咲君はいずれ実家を継がなければいけない立場なんですよ。…実は、彼の家と言うのが所謂『旧家』でしてね。…関西方面で藤原家と言えば、誰もがよく知る地位の高い名家じゃないですか。亜咲君は、その藤原家の直系にあたるらしいんですよ。…なので、このサロンでの修業が一段落したらそのまま実家に戻って、個人で今の仕事を続けていくつもりみたいなんですよね」 「…へえ、そうなのか…って、いや待てよ。なら、航太はどうなるんですか。あいつ、亜咲にベタ惚れしてるでしょ?…亜咲が実家に戻ったら今みたいな関係もなくなるじゃないですか」 「そうですね。…だから亜咲君も悩んでいるみたいなんですよ。…今の彼にとって航太は、自分の心も身体も全て捧げられる唯一無二のパートナーですからね」 「その事は航太も知ってるんですか?」 「それが…言ってないみたいなんですよね。…自分がその事でずっと悩んでいるから、なかなか言い出せないのかも知れませんけど…。」 「……うわ、可哀そう……」 「…どっちがですか?」 「二人共でしょ。どっちにしてもいつかは別れなくちゃいけない関係なんて…そんなのただの悲恋物語じゃん…」 「ある意味、身分違いの恋とも言えますかね?」 「そんなかぐや姫みたいな…って、例えが可笑しいだろそれ」 「言い出したのは君ですよ、結真君」  まさかと思った。あの亜咲に、そんなバックボーンがあったとは。 俺は芝崎の運転する車の助手席で、最近の亜咲の変化について話をしていた。  亜咲と初めて会ったばかりの頃は、あっけらかんとした彼を見て、こいつは何も悩みがなくてお気楽な奴だなくらいしか思っていなかったが、仕事上の付き合いが長くなるにつれ、ただ明るいだけじゃないという事も分かるようになった。だがそんな亜咲に、それほどの重い足枷があったのかと知った俺の衝撃は弱くなかった。…それからのあの利苑との一件だ。 「しかし利苑も利苑だよな。…あいつ昔、うちのサロンで働いてたんですよね?…与那覇さんの事があったとは言え、何で今になって戻ってきたりしたんだろう…」 「確かに不思議ではありますよね。…彼は今、独立して自分で会社を興して経営しているとは聞いていますけど…その仕事が少し、ね…。」 「え、そうなんですか?何の仕事?」 「確か…モデル事務所か何かだったと思います」 「モデル事務所!?…すげぇじゃん、どんな?」 「彼が言うには、ユニセックス専門のモデル事務所と言う事らしいんですが…彼のあの特殊な性格から考えると…少々気になってしまうんですよね…」 「……ああ、なるほど。……そういう事か」 「…僕も時々、彼のあの性格には翻弄されましたからね…。」 「そうなんですか!?…芝崎さんああいうの、けっこう簡単にあしらえそうなのに…」 「…どういう意味ですか」 「…ごめん、何でもない」 「結真君は僕をどんな人間だと思ってるんですか」 「…さあね?…あ、ほらもうすぐ着きますよ」 「逃げましたね。……後で覚えていなさい?」  俺はもうすぐ着きますよ、と目の前に見える実家を指さして、芝崎の車を誘導する。 その先には、出かける前に連絡をつけておいた弟の昭の姿が見えた。  俺は芝崎に適当な所へ駐車するように促し、車から降りてきた俺たちをわざわざ出迎えてくれた昭に声をかける。 「…昭。連絡ありがとう」 「こっちこそ。急な申し出だったのに来てくれてありがとう。…さあ、入って」 「…ああ。それから…」 「ええ、覚えてます。お久しぶりです、護さん」 「どうも。すっかり大人の顔になりましたね。…結婚されたんですよね?」 「はい。もうすぐ二人目の子供も生まれますよ」 「ええ!?そうなのか?…何だよ、水臭ぇなぁ。教えてくれればお祝いとか買ってきたのに」 「そこまで気を遣わなくていいんだよ。兄さんが元気なら、俺はそれだけで十分なんだから」 「いや、でもなぁ…。お前に家の事全て押し付けてるの、自分なりに悪いと思ってんだからさ…そういう時くらい兄貴らしい事もさせてくれないと…」 「だったら、お袋に元気な顔を見せてやってくれよ。護さんと一緒に」 「…ああ、そうだ。母ちゃんの様子はどうなんだ?…この前倒れたとか聞いたけど」 「…大した事じゃなかったよ、今はすっかり元気だから。…ほら、早く入れって。護さんも一緒だって聞いてるからそわそわして待ってるぞ」 「…相変わらずだな。じゃ、行きますか。芝崎さん」 「そうですね」  昭がそう言ってくれたので、俺は芝崎と二人で数年ぶりに戻った実家に足を踏み入れた。 どこか懐かしい香りのする我が家は、そんな俺たちを快く受け入れてくれる。  かつてはこの家から早く離れたくて出ていったはずなのに、改めて帰ってくるとやっぱり此処は俺の生まれ育った場所なのだと強く思い知らされた。 「…ただいま、俺の家…。」  その言葉は自然と俺の口から発せられた。 そんな俺の様子に芝崎が気が付いたかどうかは分からなかったが、俺の隣にいる彼はにこやかに笑って、ぐるりとこの家を見回していた。 「…本当に懐かしいですね、結真君。あの頃からずっと変わってない…」 「あ、そうか。…護がこの家に来るのは20年ぶりだったっけ。いや、もっとか?」 「君のお父さんの葬儀以来ですから…軽く四半世紀は超えてますよね…。よくこの家に来て、君と一緒に遊んでいた幼い頃の自分を思い出しますよ」 「……そうだな」 「……結真か?……よく戻ってきたなぁ」 「…ああ、母ちゃん。…ただいま」 「うん、元気そうで何よりだ。…それから…。」 「……こんにちは、季美枝さん。お久しぶりですね」 「護君、だっけね。まあ…しばらく見ないうちにイイ男になって……これはまた、いい冥土の土産が出来たってもんだ」 「…もう……。馬鹿な事ばっか言ってんなよ、母ちゃん。あれからどうなんだ?」 「おかげさまで元気だよ。…ま、少々腰は曲がってるけどな」 「…それでも元気なら、それが一番良い事ですよね?」 「おお、そうだよ。歳は取っても心は若いつもりだからね?」 「またそういう事ばっか言う。…口だけは達者だな、相変わらず」 「あたしゃまだまだ死ぬつもりはないからね。…あんたの子供の顔を見るまでは」 「…母ちゃん……」  ここで鋭く痛い一言をかけられてしまった俺は、思わず隣に居る芝崎の顔をまじまじと見返してしまった。……だがそれは芝崎にしても同じだったようで、その顔が緩やかに引きつっているのが分かってしまって、俺は必死に笑いをこらえるしかなかった。 「……ゆうまーー!!」  そんなピリついた空気を打ち破ったのは、突如俺の足元にぴったりと絡みついてきた小さな子供の姿だった。 「…おお、菜々瀬か?…どれどれ。……うん、また大きくなったなぁ」  そう言って俺がその子供を抱き上げると、その子はキャッキャと笑って喜んでいた。 すると芝崎が不思議な顔で俺に聞いてくる。 「結真君、その子は?」 「あ、この子?…昭の子供の菜々瀬です。可愛いでしょ?」 「ゆうま、お帰りー!」 「ああ、ただいま。…菜々瀬はいくつになったの?」 「…ななせ?…3歳!」 「そうか、3歳かぁ。…それは確かに重くもなるねー」 「ななせ、重くないもん!」 「そうか、それはごめんね。…そんな菜々瀬には、お兄ちゃんのお友達を紹介してあげようね。…俺の隣に居るお兄ちゃんはね、護っていう名前なんだよ。カッコイイでしょ?」 「ゆずる…お兄ちゃん?」 「そう、護お兄ちゃん。結真お兄ちゃんの昔からのお友達だよ。仲良くしてあげてね?」 「うん、分かった!ゆずるお兄ちゃん、よろしくお願いします」 「……!」  たった3歳ほどの小さな子供からぺこりと挨拶されてしまった芝崎は、その姿を見て心底驚いていたようだった。普段あまり表情の変わらない彼の、どこか戸惑ったような顔を見るのはとても新鮮で、だが面白さもあった。 「…おい、護。挨拶してやれよ」 「…ああ、そうですね…。こんにちは、菜々瀬ちゃん。僕の名前は芝崎護です。よろしくね」 「はい、よろしくおねがいします!」 「……はい、よく出来ました。偉いね、菜々瀬?」  そう言って、俺はきちんと挨拶のできた菜々瀬の頭を撫でてあげた。 そんな俺たちの姿を見ていたのか、菜々瀬の母親である昭の妻の紗里がこちらへやって来て、俺たち二人の前で謝ってきた。 「ああ、すみません。娘がご迷惑をおかけしてしまって。…ほら菜々瀬、お兄ちゃんたちにごめんなさいしなさい」 「紗里ちゃん、大丈夫だよ。菜々瀬は何も悪いことしてないから。…しかしこの子は本当にしっかりしてるな。この歳でこれだけの挨拶がきちんと出来る子ってそんなに居ないよね」 「そうですか?…私は少し大人びてしまっているかなと思ってますが…」 「そんな事ないよ?…全然可愛いじゃない。きっと君たち夫婦のしつけがしっかりしてるからなんだよ。…俺は別に気にしてないから、安心して」 「すみません、お義兄さん。お相手の方へのご挨拶が遅れてしまって。…初めまして、昭の妻の紗里と申します。お話は主人から伺っております」 「初めまして、芝崎護と申します。結真君にはいつもお世話になってます」 「こちらこそ、本日はわざわざお越し頂いてありがとうございます。…お義兄さん。向こうにお茶菓子がありますから、どうぞお召し上がりになってください」 「ありがとう。…護さん。それじゃ、行きましょうか」    そんな紗里の促しに応え、俺たち二人は菜々瀬にバイバイ、と手を振りながら奥にある客間へと歩いて行ったのだった。      

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