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Part.4

「……護さん。少しお話いいですか?」 「はい。何か?」    次の日、昭が珍しく芝崎を個人的に呼んで、客間から連れ出していった。 そして今日も、俺の隣にはやっぱり菜々瀬が座っていて、そんな二人の様子を不思議な目で見つめている。 「菜々瀬のパパ、護お兄ちゃんに何の話があるんだろうね?」  俺がそんな事をちらっと言うと、菜々瀬はにこっと笑ってとんでもない言葉を導き出した。 「パパはゆずるお兄ちゃんが好きなんだよ。だから連れてったの」 「ええ!?」 「ゆうまは?…ゆうまお兄ちゃんは好きな人、いないの?」 「んー、そうだなぁ。…俺は菜々瀬かな?」 「じゃ、ななせもゆうま大好きだから結婚する!!」 「うーん…それは困ったなぁ…。俺と菜々瀬とじゃ、歳が離れすぎてるよ…。」 「…じゃ、ななせがあといくつ大きくなったら結婚する?」 「あといくつって言われてもなぁ…。菜々瀬が大きくなった頃には、結真お兄ちゃんはもう結真お爺ちゃんになっちゃうよ?」 「おじいちゃんじゃないよ。ゆうまはゆうまだよ」 「……あ、そっか。…そりゃそうだ」  菜々瀬のそんな言葉を聞いた瞬間、俺の頭の中で昨夜の芝崎の言葉が響き渡った。 ――『子供は、天真爛漫です。…だがそれ故に、残酷な存在にもなり得る。…大人達の都合なぞいざ知らず、彼らはいつも全力でぶつかってくる。…けどそれが『子供』という存在の持つ、最大の魅力なんですから…』  この言葉が意味するところは、正にこれだった。 菜々瀬の言葉は純粋だが、その裏では俺たちに逆らえない現実を突き付けてくる。  それは…俺と芝崎の関係が普通のものではないという、紛れもない事実を改めて思い知らされたも同然なのだ。 「こら、またそんな事言って…。結真お兄ちゃんを困らせたら駄目でしょ?」 「あーいいよそのくらい。所詮子供の発言なんだしさ。…紗里ちゃん、菜々瀬に俺たちの事を『お兄ちゃん』って呼ぶように教えてるんだね?…俺らの歳じゃもうおじさんって言われてもおかしくない世代なのに」 「ええ。でも、それを教えたのは主人ですよ?」 「へえ、そうなんだ。…これまであまり気にも止めてなかったけど…改めて言われると何か申し訳ない気さえしてくるな」 「でも気持ち的には悪くないですよね?変におじさん扱いされるよりは」 「まあ、確かにそうだけど…」 「主人なりの気遣いなんですよ、きっと。私もですけどね」 「そうなの?…別に気にすることないのに」 「…気にするんだよ、俺だって。まだ結婚すらしてない相手を捕まえて、おじさんなんて言える訳ないだろ?」 「…あちゃー。そう来たか…ってか昭!?お前いつの間に…!?」 「ホントにどうなんだよ。もうそれなりにいい歳してるのにまだ未婚とかさ。…それだけのルックス持っててモテないとか、世の女たちは兄さんのどこをどう見てるんだ?」 「昭…それ、かなり俺の心のエグイ所ついてるけど…」 「そうか?…同性愛者とかでもない限り、その顔なら誰だって振り向くと思うけど?」 「いや、お前ね…。さらりと毒舌かますのやめてくれる?…身内にそこまでけなされまくった俺のハートはもうズタズタよ?」 「…それだけの冗談返せるんならまだブレイクはしてないな?」 「昭君さすが。やはり兄弟だけあって結真君の扱いがすごく上手いですねぇ」 「…ってあんたもかい!…ったく、どいつもこいつも会話にいきなり割り込んできやがって…。それ以上余計なこと言うならお前ら全員今すぐ追い出すぞ」 「…おや。怒られてしまいました…」 「あっ、ゆうまお兄ちゃんが怒った!」 「……菜々瀬…。お前ね…。」  もう何なんだよ俺の周りの奴らは…。 俺の事を気にかけてくれているのは分かるが、どいつもこいつも何でこんなに遠慮というものがないんだ…。そう思った途端、俺は大きなため息をついた。 「……あーあ。…俺ってそんなに信用無いのかね……。」 「…過去の自分を振り返ってからそれを言え。引きこもりのニートだった奴が何を言うか」 「引きこも…っ!?」 「だってそうだろ。…でもまあ、今はそうでもなさそうだけどな」 「……40数年生きてきて、俺は初めてお前を恨めしいと思ったぞ」 「それは良かったな。新しい経験が出来て」 「いや、そういう事じゃないだろ」 「…そんな事より家にばっか籠ってないで、たまには出かけてくれば?…今なら風鈴祭りやってるぞ」 「へえ、どこで?」 「俺と紗里が結婚式を挙げた複合施設。…最近は季節ごとにいろいろやってるからいつ行っても飽きないよ」 「ああ、あそこか。冬のイルミネーションのイメージしかないから気にもしてなかったな」 「どうせ夜の法事までは時間も空いてるし、歩いて行けるんだからたまには行ってきなよ」 「いいですね。結真君、一緒に行きませんか?」 「ななせも行く!」 「菜々瀬はいつでも行けるだろ?お兄ちゃんたちは今しか行けないから、今回は菜々瀬はお留守番。…分かった?」 「うー…わかった…。お兄ちゃんたち、行ってらっしゃい」 「良い子だ。…菜々瀬はまた今度ね」 「…はーい」  そう言うと菜々瀬は俺から離れ、昭の傍に移動した。 このところ、ずっと菜々瀬に懐かれてしまっていたので、芝崎に対して何もしてあげられない自分が申し訳ないと思っていた。  もしかしたら、昭もそんな俺の様子を見ていて少し思う所があったのかも知れない。 こうして芝崎との二人だけの時間を与えてくれた昭に感謝しつつ、俺は二人で近所の複合施設に出かけることにしたのだった。 ◇ ◆ ◇  俺の家から歩いて15分くらいの場所に、その複合施設はある。 俺と芝崎はこっちに戻って来てから初めて、本当に二人だけで過ごす時間を見つける事が出来て、心底安堵していた。  菜々瀬の存在は俺にとって悪い事はないが、その菜々瀬に構いっきりの俺を見ている芝崎の心情を思うと、本当に申し訳ない思いしかなかった。 「……すみません、芝崎さん」 「…何がですか?」 「菜々瀬ですよ。あの子、ずっと俺にべったりだったでしょ?いくら芝崎さんが気にしてないって言ってくれてたとしても、俺は本当に気が気じゃなかったんですよ…。」 「結真君は心配性なんですね。でもいいんですよ。今こうして、二人で歩いているじゃないですか。…僕はそれがとても嬉しいんです。いつもは仕事に追われてて、こんなにゆったりとした時間を過ごす事も無かったでしょう?…だから、ね?」 「……どさくさに紛れて、俺の手握るのやめてもらえません?公衆の面前ですよ」 「……本当はキスしたいんですけどね?」 「…それはもっと嫌です」 「……おや、つれない…。」 「…場所を考えてから言ってくださいよ。いくら恋人とは言え、そういう所の割り切りはしてもらわないと困ります」 「…はいはい、そうですね。…ところで、昭君が結婚式を挙げた場所っていうのは…?」 「この先の奥の方にある建物ですよ。昔はチャペルだったんですけど、今は『桜の礼拝堂』って名称で無料公開してる教会みたいな所です」 「『桜の礼拝堂』ですか…じゃあ、桜がシンボルみたいになってる場所なんですか?」 「まあ、此処のメインが桜並木ですからね。ちなみに、この両脇の木も全部桜なんですよ」 「なるほど。…では桜が咲く季節は、此処もとても綺麗なんでしょうね」 「冬も綺麗ですよ。この一帯が全部イルミネーションで飾られますから。それ目的で全国から観光客が集まる一大スポットになってるんですよ」 「ああ、そうなんですね。…じゃあ今度は冬にまた来ましょうか?」 「……時間が合えば、ですけどね。…ほら、あの建物です。あれが『桜の礼拝堂』ですよ」  そう言って俺は先に見えた小さな建物を指し示した。 そこは本当にこぢんまりとした教会のような建物である。その昔、この場所で結婚式が執り行われていたとは思えないほどにひっそりと佇み、今はまるで人を拒否しているかのように静まり返っていた。入口は開放されているので公開はしているようだが、やはり人気は少ない。 「…芝崎さん。良かったら中に入ってみませんか?」 「此処は…本当に入って大丈夫なんですか?」 「大丈夫ですよ」  俺は自然と芝崎の手を取って、礼拝堂の中へと入っていく。 いつもならそんな事をするはずもないが、目の前の建物がかつてチャペルだったというその感覚が、俺自身の心の奥の扉を開け放ったかのようにその行動に表されたようだ。  物音静かな礼拝堂の中は、夏だというのにその空間だけがひんやりとしていて、どこか厳かで神秘的な雰囲気さえ感じさせる。目の前に見える鮮やかなステンドグラスの装飾と美しいフォルムの十字架が、そこでかつて執り行われていたという結婚式の風景を思い出させるような名残となって、そこに安置されていた。一段上った先の舞台上には、それもやはりかつて使用されていたであろう古いグランドピアノが、俺たち二人を迎えるように置かれていた。 「ピアノ…?こんな所に…。」 「これも触れていいんですよ。…芝崎さん。なんか1曲弾いてみません?」 「…え、僕がですか…?」 「弾けるでしょ?…聞かせて欲しいな。昔みたいに」 「君がそう言うなら…。」  あまり気乗りはしなかったみたいだけど、俺が少しだけ甘えてみたら、芝崎はゆっくりとピアノの前に座って鍵盤の蓋を開けてくれた。  それから芝崎は、最初に鍵盤の調弦を確認するように簡単なコードで音を鳴らしてみる。 何度か試し弾きを繰り返した後に調弦に狂いがない事を確認出来たら、一息だけ深呼吸をしてから姿勢を正し、ゆっくりと最初の音を鳴らし始めた。  ピアノの前に座って演奏している芝崎の姿を隣で見ていて、ああやはりこの人は本当に綺麗な人なんだと思った。……そして俺は、これほどまでに綺麗なその人の傍を離れたくない…と、改めて思い知らされた。……好きだ。俺は絶対に…この人を失いたくはない。      ――そう思って、俺は自然とその身体を…芝崎にもたれかけさせた――。

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