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第9話
最初は 、ただ単に臥せっているかのように見えた歌栖の遺体は近づいて目を凝らしながら観察してみると、とても奇妙なものだった。
果てしない恐怖に見舞われたのか目をかっと見開き、口からは数十本はあろうかという何か細長いものがはみ出ており、尚且つ涎まで垂れている。先ほどの花魁と同じく、ぱっと見たところ外傷は見当たらない。
(もしや、あの花魁だけでなく――歌栖までもが何者かによって……殺害されたというのか……っ___しかも、おそらくは毒によって…………)
元々、普段からの素行の悪さや色恋沙汰で度々騒ぎを起こしていた歌栖に対しては良い印象を抱かず最低限の付き合いしかしていなかった煌鬼だけれども先ほどの哀れなる花魁同様にここまで惨たらしく命を奪われるような輩ではなかった。
詩歌を好み、弱き者を助けるという__尊敬すべき面もあった。そのことを思い出し、僅かながら胸を痛めつつ床へと視線を移した煌鬼の目にある光景が飛び込んできた。
【王よ、愛しき御方 よ__われ の あひ を うけいれぬ なら 御魂 を うけいれられ よ __われ 、さすれば、今生 の 悔ひ なし …… 】
所謂、遺書というものなのだろうか____。
血の如く赤く染まる文字でそのように書いてある紙が何十枚も彼方こちらに散らばっているのだ。
そういえば、生前に一度だけ歌栖が【われは、詩歌を書く時は《い》を《ひ》にかえる癖があるのだ】という会話を交わしたことがあった。
その時はさほど興味などなかったのだが、こうなってしまったのならば少しくらいは真剣に聞いてやればよかった、と後悔がじわり、じわりと煌鬼の胸に押し寄せてくる。確かに色恋沙汰に関してはだらしなかったとはいえ、その実は歌や詩といった芸術を好む夢想家じみた男でもあったものの、永遠に対面出来なくなってしまった今に思えば極悪人ではなかったからだ。
『こりゃあ……歌栖のやつ__自害したってことで間違いねえだろうな。ただでさえ、最近は満月に現れる夜の鳥がどうとか__訳の判らねえ件で精神を病んでやがったんだ。この遺書に書いてある通り王への愛が報われず、自害――ってとこだろうよ』
隣にいる希閃の囁き通りとするならば、床に散らばる遺書と同様、赤く染まっていて尚且つ毛先が大量に引きちぎられ、ばらばらになって散ってしまっている筆(元はおそらく白筆だった)が落ちているのは死が迫りくる直前に、それ以前から精神を病み錯乱状態だった歌栖自身が行ったせいだからなのか____。
心に何ともいえぬ妙な引っかかりを覚えつつ、煌鬼は周りにいる野次馬ともいえる守子たちの目を盗み__今は返事さえもしない歌栖の間近に歩み寄る。
ふと、ひとつ気になることを見つけた。
胸の前で、きちんと置かれた手のうち、左手だけが何かを握りしめているかのような不自然な状態となっているのだ。周りの守子たちや、隣にいる希閃は床に散らばった遺書(筆)――はたまた、口元からはみ出ている細長いものにしか関心を抱かなかったが、煌鬼はその左手がやけに気になり何とか左手の状態をもっと見れないか__と遺体と化してしまった歌栖に両手を合わせて心の内で無礼を詫びてから左手に触れてから、そっと持ち上げるのだった。
幸いなことに周りの守子たちや希閃は会話に夢中で、死者に対しては無礼ともいえる煌鬼の行動には気付いていないようだ。
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