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第10話
煌鬼の予想とは裏腹に、歌栖の左手には何も握られてはいなかった。
しかし、それとは別にまたしても煌鬼の頭には疑問が浮かぶ。
歌栖の左手は何かを固く握りしめたかのような形となっていたが実際にはそのような物体は何もなく、手のひら一面が赤い顔料によって塗られているのだ。ただし、右手のひらには何も塗られていない。
(いったい、何のために……愚かな犯人はこのようなことをしたというのだ……っ……よもや、この行為に何か意味があるとでも……っ__)
希閃を含めた周囲の守子達の目が向けられていないのを良いことに、まじまじと事切れてしまった歌栖の遺体の状況を確認する煌鬼____。
しかし、それも――ある乱入者たちの存在によって唐突に終わりを告げる。
「おい、歌栖殿の遺体に――手を触れるな……っ……さっさと、その汚らわしい手を離してくれ!!」
「……っ____!?」
急に背後から怒鳴り付けられ、びくっと身を振るわせて振り替える。そこには、凄まじい怒りをあらわにしていて、まるで般若の面にそっくりな表情を浮かべる允琥が堂々と立っていたのだ。両脇には警護人数名をはべらかしている。
その怒鳴り声のせいで、周りにいた守子達の視線が一斉に此方に向いてしまった。左の手のひらのみが赤い顔料で塗られ、尚且つ口から赤く染まった細長い物がはみ出ているという歌栖の奇異に満ちた遺体の状況が妙に気になり、もっと観察していたかったのだけれどそれは叶いそうにもなく慌ててその場から退いた。
そして、そんな煌鬼をじろりと睨み付けた後に未だに怒り心頭な允琥が警護人を引き連れて、物いわぬ歌栖の遺体を観察する。
「允琥殿…………これは何ゆえに口からはみ出しているのか分かりますか?そもそも、これは……床に散らばった筆の毛ということで間違いないんですかね?」
「ざっとしか見ていないため……何ゆえに歌栖殿の口にこれが突っ込まれているかは、はっきりはしない。ただ、おいらには……これが筆の毛とは思えぬ」
そこで警護人だけでなく、周りにいる守子達までもが、ほぼ同様にざわめきたった。希閃だけでなく、煌鬼ですら允琥の突拍子もない意見を聞いて言葉を失ってしまう。
そこにいる誰もが歌栖の口からはみ出している細長くて尚且つ赤く染まっている物が、床にばらばらに散らばった筆の毛先だと思っていたからだ。
それ以外に、いったい何があるというのか____。
「そ、そのように申す根拠は__あるのでございますか?」
「根拠だって!?貴殿の目には――これが筆の毛に見えるというのか?明らかに筆の太さよりも太いではないか。それに、顔料の独特な香りもしない。これが顔料で染まった筆の毛ならば微弱だろうと微かに香るはずだ__それに、ここを見てみろ……先端に楕円形に似たものが付いているであろう?」
おそらく、周りの警護人らは允琥の勿体ぶった態度が気にくわないのであろう。ずいっ__と彼の前に出てきたのは警護人の纏め役であり性悪だとも噂されている男だった。
「允琥殿――結局は……これは何だというのですか?此方は王のご命令であなたにこの件を解決するべく助言を受けよ、と言われているだけであって……あなたの知識を聞くためにいるわけではないのですぞ?」
「____っ……これは、彼岸花のおしべだ。おそらくはその毒が全身に回り……歌栖殿は……っ……」
にやり、と警護人の纏め役の男が笑った___。
待ってました、といわんばかりに声を張り上げてこう言うのだ。
「死人に口無しである色恋狂いの歌栖ごとき男の無念など、もうどうでもいいさ。我々が、これから為すべきことはただひとつ__犯人であり、王宮のお荷物となっている無子を捕らえることだ。よし、貴様ら……ここにもう用などない!!さっさと犯人を捕らえに__いや、職務をまっとうしに行くぞ」
警護人の男が言いたいことは、煌鬼にも何となく理解できた。腕に彼岸花の刺青が彫られている無子が王宮に復讐するべく彼岸花の毒を使用して歌栖を手にかけた__と彼の中では導き出したのだ。
警護人だけでなく周りの守子達ですら、そう思っているはずだ。ひそ、ひそと愉快そうに囁き合っている様がそれを物語っている。
しかし、允琥だけは違う___。
允琥だけは、目に大粒の涙を浮かべながら今は物言えぬ歌栖の遺体を真っ直ぐに見据えていたのだ。
そんな彼が無性に哀れになり、先ほど怒鳴り付けられたことなど忘れ去った煌鬼は寂しげに佇む允琥の元へと近づいて行くのだった。
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