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第19話

◆ ◆ ◆ 「____で、何故に其方は此処にいるのだ?賢子様専属の守子である其方が……何用だ?奇妙なる歌栖殿の自害の件については探り中だと……」 「既に、この世にはおらぬ歌栖の件ではない。允琥よ……俺はお前に別の用があって、わざわざ寝所にまで来たのだ――頼む、俺に 婀慈耶の言語を教えてくれ。時間がないのだ」 允琥が今宵の分の公務を終えた、と他の守子から聞き出した煌鬼はその直後に彼の寝所へと向かった。しかしながら、αやβである守子達の寝所と違って錠など備え付けられていないとはいえ、主のいない寝所の中へ勝手に足を踏み入れる訳にもいかず悶々と部屋の前を行ったりきたりしていた。 暫く経って、煌鬼は訝しげな視線をぶつけてくる允琥と対面できた。 だが、最初のうちは話すら碌に聞かず何処か別の場所にいようとしていた允琥だったが煌鬼の説得により、ようやく彼の寝所の中に入ることができたのだ。 様々な書物に囲まれているものの、どことなく冷たいと感じる寝所だ。 「何故、こんなにも質素で冷たい感じがするのだろうか」と思わず声に出してしまいそうになったが、少しの間とはいえ允琥の寝所の中を観察してみて気付いたことがある。 (そうか……公務に関する物――例えば難しげな書物はあっても……他の守子達とは違って娯楽に関する物が此処にはない……だからこそ無機質に感じたのか――) と、ここにきて__ようやく允琥がΩであり劣等種だと周りから疎まれていることを――はた、と思い出した。優等種だと持て囃されるαや、αに比べて多少は劣るものの特に何の非難も受けずに蔑まれることのないβである知り合いの守子達の寝所の中へ通された時に目にした様は公務関連の物もあるが、それと同等に娯楽に関する物もあった。 例えば、今や友人ともいえる希閃の寝所には沢山の金魚が飼われていたし、壁には絵画とやらが掛けられていた。 「この金魚は誰彼から譲り受けて可愛くて可愛くて堪らぬ」だの「この絵画は福呪乃神である禍厄天寿が描かれていて……」だのと、その内容はともかくとしても生き生きと水を得た魚の如く語る希閃の顔はそれはそれは喜びに満ちていたものだ。 だが、この允琥という男の寝所は違う____。 人間が喜びに満ち、自然と笑みが溢れるような娯楽に関する物など一切なく、このまま中にいると窒息してしまいそうだ。 「允琥よ…………お前は――其れ程までに公務が好きなのか?お前は今まで、心の底から沸き上がる笑みを溢したことがあるか?」 思わず尋ねてしまったところ、 がちゃん、と音がした____。 一応は客人である煌鬼を招こうと思い、台所にて香茶を淹れていた允琥が慌てふためき落としてしまったからだ。 「____当たり前だ。今まで笑みを浮かべたことがないなど、身分の低い奴隷人ではあるまいし……そんな訳がないではないか」 茶っ葉が床へと零れてしまったため、允琥は近づいてきた煌鬼に背を向けて、膝まずきながらそれを拾う形となる。 「允琥よ、此方を向いて話せ。俺は、此処にいる……それ故に、きちんとお前の心を吐露しろ」 「で、でも……茶っ葉が____」 「そんなものは、後でも拾える。それに、俺は今――お前のことを聞いているのだ。何故、お前は俺を含めて他の奴等から離れようとする?俺は……お前のことが……っ____」 と、煌鬼が言い掛けていた最中だった。 怒りと悲しみの混じった複雑な表情を浮かべた允琥が、既に拾い上げて手中におさめていた茶っ葉の束を煌鬼の顔を目がけて勢いよく投げつけてきたのだった。 「なっ、何を……っ____!?」 「勝手なことを申すな……っ……!!我を――いや、我々Ωを避けているのは、喜びを感じる娯楽でさえ奪ったのは……貴様たちαやβではないか。お前だって……我が王宮に仕えるにふさわしい優秀さでなければ、我の存在を無視していただろう?歌栖殿の死が無ければ……以前のように我を避けていたままだっただろう?」 まくし立てるように、早口で允琥に問いかけられ――情けないことに煌鬼は口ごもってしまった。 確かに、允琥の言葉通りだった____。 優等種のαである煌鬼には、劣等種のΩだと周りから囁かれ蔑まれてきた允琥の心の内など完全には理解できない。迂闊な言葉を言ってしまえば、余計に允琥を傷つけてしまうかもしれない。 それだからこそ、 「な……っ…………!?」 煌鬼は何も言わずに、唖然とする允琥の細い体を強く抱き締めると、そのまま固い床へと彼を押し倒すのだった。

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