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第32話
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「ようよう、日いずる此国へ御い出いますことなりき。誠、高貴なる御心……感謝致しまする故に天国神なる禍厄天呪、さぞかしや喜びあらんことなりや……さて____」
それから暫くした後に、煌鬼は世純から渡された七冊にもわたる大量な巻物と睨めっこをして夢中で異国の御方々を招き入れる文言を発していた。
冒頭の部分から堅苦しいともいえる言葉が、ずらずらと並び、一冊目を読み終えた辺りから既に煌鬼の疲弊は限界にまで達してしまっている。
何せ、複数の異国から各々何十人もの客人が来訪しているのと王宮に仕える者らを含めれば大体百人近くもの人物がこの場に集まっていて煌鬼の様を見届けているのだ。
しかも、つい先程――あろうことか、この国を統べる王と共に舞福の儀を執り行い踊りを披露したという立場なのだから悪意を込められながら注目されてしまっても何らおかしくなどない。
しかも、最悪なことに――煌鬼が巻物を読み上げている壇上の真正面には《湖雨》という国から来訪した第二王子がいる。蛇のごとき鋭く、そして邪な光を放つかのように執拗な視線を煌鬼の方へと送ってきているのだ。
《湖雨》の第二王子――【阻雀・天音之尊(そじゃく・あまねのみこと)】は幼い頃から粗暴でいずれ国の支配を現王である兄の【真魚・大地之尊(しんぎょ・だいちのみこと)】から奪おうと企みを図っていると周りからいわれている危険人物で異国の人間にも容赦ないと前々から噂にて聞いていた。
もしも、一字でも詰まらせてしまったり――ましてや、すらすらと読み上げることが出来ないとくればあの御方は躊躇なく難癖を付けてくるに違いない。
事実、かつて煌鬼と同じように巻物を読んでいた際にある守子が言葉を詰まらせ運悪く虫の居どころが悪かった彼の怒りを買い、直後に首を切られたと逸話まである。
(気を付けなくては……あの一見冷静そうに見えるが腹の中な粗暴が巣食う王子の気分ひとつで首を切られるなど……恐ろしすぎる……っ____)
と、心の中でいくら思った所で途徹もない緊張感は拭えきれず自然と冷や汗が頬を伝う。
ぽとっ____と巻物の上のある箇所に汗が落ちてしまったのに気付いた時には既に遅かった。頬を伝い落ちた汗のせいで、ある文字が滲んでしまい、はっきりと見えなくなってしまったのだ。
巻物の全ての文字を目にせずとも頭の中に記憶するということなど、学の足りない煌鬼には出来る訳もなく最悪の事態に襲われてしまう。
「…………っ____」
少しの間、辺りに沈黙が流れる。
あれほど恐れていたというのに、煌鬼は言葉を詰まらせてしまったのだ。
すると、ここで予想外のことが起きた____。
少し離れた場所で佇む警護人の朱戒が周りの人々に露見しないように配慮しつつ、こっそりとある文字が書かれた紙を煌鬼に見えるように掲げてくれたのだ。
幸いなことに、異国の御方々や真正面にいる《湖雨》の第二王子らには気付かれていない。それどころか、自国の者らにも気付かれてはいないようで煌鬼はほっとしつつ巻物を読み上げることを再開したのだった。
*
それを読み終えた後、煌鬼を包んだのは周囲からの拍手であった。珀王ら王族のいる手前、ずらりと並びながら無言にて座している守子達は恐れ多く何も言えないのだろう。
巻物の途中にて一度限りとはいえ言葉を詰まらせた煌鬼の失敗を責めることはしたくとも出来ないのだ。
しかしながら、この大勢の地蔵が如く静かな空気を纏う者らの中で一人だけ様子の違う者がいた。
「いやはや、流石は大国の守子ともいうべき――見事なる挨拶でございました。しかし、一度……言葉を詰まらせていましたね。異国から参った我々の前で少なからずとはいえ恥をさらされた、この責任――いったいどのようにとっていただけるのでございましょうか?」
まるで、鈴の音のようにしゃんとしていて透き通った声色ではっきりと物を申したのは《湖雨》の第二王子【阻雀・天音之尊】だ。
煌鬼が恐れていたことが、遂に現実となったのだ。自分は、首を切られ王宮から追放されてしまうのか――それとも、すぐさま絞首刑に処されてしまうのか――と怯えながらゆっくりと口を開く。
「お、恐れながら……私に、どのような罰を所望なされますでしょうか?」
「ああ、そうでございますよね…………うむ、その前に貴男は……先程、この御国の舞福の儀とやらで珀王殿と共に踊った従者――ということで間違いございませんか?」
「は、はい……恐れおおきことながら____貴方様の発言通りで間違いございません」
まるで、針山の上に乗せられている気分だ。
珀王を含む王族や、まして従者でしかない守子達には粗暴極まりないと噂されている異国の王子の一方的ともいえる発言を止める術などなく、ただひたすら時が過ぎ去るのを待っている。
「名は何というのでございましょう?ああ、煌鬼……煌鬼という名ですか――何と、とてもいい名でございましょうか。煌鬼に罰を与えましょう……これより、食善の儀が執り行われるとのこと――故に、煌鬼がこちの酌をするのです。むろん、その際には舞福の儀にて纏っていた美しい衣装を身に着けるのですよ?それが、貴男への罰____」
呆気にとられてしまった____。
てっきり、すぐにでも王宮から出て行けと命令されるか、さもなくば絞首刑とはいわずとも鞭打ち刑くらいはされるのかと怯えていたというのに、その直後――粗暴だと周囲から噂の的である異国の第二王子は悪戯を思いついた童子の如く純粋そうな表情を浮かべながら「一旦は下がっていいですよ」と煌鬼へと命令するのだった。
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