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第35話

ほどなくして、朱戒が息を切らせつつ戻ってきた。 その手には、白い陶器の水差しを持っているが、何処から拝借してきたかのかは分からない。 「こ、これ……いったい何処から持ってきたんだ?それに、右の頬を怪我してるではないか……しかも、血が出て……っ____」 「良いから、煌鬼よ……お前は、この水で早く丸薬を飲め。面倒ごとは御免だと――先程申しただろう?それに何より、夕膳の儀までは余り時間がない……」 その時、煌鬼の頭の中にある可能性が浮かび上がってきた。中庭の池に水はないが、この衣装部屋から少し離れた厨房には水が入った水差しが置かれている。 おそらく、朱戒は厨房まで行き――そして厨房で働く者に見つかってしまったのだろう。右の頬を怪我したのは、逃げ出した時に出来た傷か____。 「だ、だが……私が飲めば水が減ってしまい……朱戒……あなたに責任がかかってしまう……」 「案ずるでない……我の寝所に蓄えていた水がある。水差しにそれを注ぎ、あとできちんと返しに行く。それに調理には使わなそうな水差しを拝借してきた。今は、お前の……特殊な体質をどうにかする方が、我にとっては大事だ。面倒ごとではあるが、弱き者や困っている者を見捨てるのは我にとって我慢ならぬこと……だから、お前は余計なことなど何も気にせずにこれを飲んでくれ……」 「し、朱戒…………っ____」 じんわり、と心が暖まっていく____。 この気持ちは、いったい何だというのか。 少しの間、互いの目と目で見つめ合っていたが――やがて、じれったいといわんばかりに朱戒が水差しの水を口に含む。そして、此方が手にしている茶色の麻袋から発情を抑える丸薬を奪うと、そのまま呆気にとられている煌鬼の口に丸薬を入れてから唇を押し付けて半ば強引に水を飲ませるのだった。 ひんやりとした水と共に、丸薬が煌鬼の喉奥へと流れ込んでいく。 しかしながら、それを飲み終えても朱戒の唇は中々唇から離れてはくれず、はっと我にかえった煌鬼は真っ赤になりつつも、どんっと朱戒の体を突き飛ばしてようやく離れるのだった。 「い……いきなり何を……して……っ____」 「あまりにも……お前の行動が遅いから、したまでのこと。文句を言いたそうな顔をするくらいなら、さっさと水を飲めば良かったものを……。まあ、何はともあれ……これで世純様から言い付けられた用事は済んだということだ。おい、何をぼうっとしている――早く夕膳の儀が執り行われる広場まで戻るぞ? 」 水を飲ませるためとはいえ、唐突に口吸いまがいのことを朱戒からされた煌鬼は思わず後方へ身を退けてしまう。 そして、その際に廊下の段差に足をひっかけてしまったせいで、その場に尻もちをついてしまったのだ。 すると、呆れ顔の朱戒は口では文句を言いつつも尻もちをついてしまった状態のまま惚けていた煌鬼の手をとり力強く身を退け引き上げると、そのまま有無を言わさずに己の背中へと煌鬼の身をおぶさると夕膳の儀を執り行う王宮の中央広場へと連れて行くのだった。

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