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第37話

* 遠くから人々の賑わう声が否が応でも聞こえてくる。 煌鬼が周防によって嵌められ、半ば強引に入れられた牢は、正方形型の木の格子となっているため外界の音が聞こえる仕組みとなっているのだ。 とはいえ、格子の隙間から出ることなど到底出来やしない。そもそも、そんな気力さえ湧いてこないのだ。 (朱戒……あの時は公務だったし致し方ないとはいえ――私を見る目は、まるで鬼のような冷たい瞳だった……せっかく打ち解けてきたと思っていたのに…………) これ程までに、自分を惨めだと感じたことはなかった。 それは決して、つい先刻に頬を周防という異国の付き人から叩かれて痛むせいだけではなかった。あれほどに理不尽かつ酷いことをされたというのに、碌に声を荒げて抗議することすらままならなかったのだ。 いくら、《湖雨》の第二王子――粗雀・天音之尊が粗暴ゆえ怒らせてはならない存在だったからとはいえ煌鬼は自分自身の情けなさを自覚し頬を涙で濡らさずにはいられず声を押し殺しながら嗚咽した。 『ああ……泣くんじゃない。愛おしい煌鬼よ、お前は俺に似て心も体も強い筈だ……いずれこの王宮に吹き荒れる嵐にさえも悠然としている筈だ。__も __も……そう言ってくれていた』 ふと、煌鬼の頭の片隅に誰かの声が過る。 どことなく懐かしいとは感じるものの、明確には思い出すことの出来ない低めの男の声だ。 ふいに思い出すのは、謎の男の懐かしき声だけではない。まるで、朧気な記憶の中にしか存在しない筈だというのに、今目の前にいるかのように――男は煌鬼へと真剣な眼差しを向けてくるのだ。 「……は、……うえ……っ____」 母と父の存在など、とうに忘れ去った筈だというのに目に大粒の涙を溢れさせながら煌鬼は自然と呟く。 どうせ、牢の中には煌鬼の他に誰もいないのだ____。 正確には、牢の外に皆が賑わいを見せる夕膳の儀に出られず、明らかにやる気なさげにこっくり、こっくりと頭を垂れている志のない牢主しかいない。 (何だかんだ面倒だといって俺を助けてくれる者などここにはいないし、だいいち頼もしい朱戒も希閃もここにはいない訳だから自身で何とか打開策を見つけるしかない――何か、何か……策はないのか……) 夕膳の儀が終わり、墨汁を垂らしたかのように星ひとつない夜空に打ち上がる花火の音を耳にしながらも煌鬼は狭い牢を見渡して策を張り巡らせる。 牢の中には碌なものがない____。 よくよく見ていく内に、使い古された農具の残骸やら、おそらく何かに使う筈だったが放置されているであろう細長い木の棒があるのに気付いたものの農具は肝心の部分が錆びていて今は使えそうもない。 (何とかこの細長い木の板を使って……どうにかならないものか……) と、普段は碌に使わない頭を捻りながら再び牢がどのような状態になっているのか観察する。 すると、目の前を阻む木の格子は両端が二本の木の支柱によって土に埋められていることに気付いた。 中央部分の地面の土を掘り進めていき細長い木の板をそこへと挟み込み、少し離れた箇所から自身が力を加えて細長い木の板を押し込むことによって木の格子が外れるのではないかと考えたのだ。 『異国では、時たまこのようにして罪人が逃れることがあると聞いた――しかし、実践した訳ではないし上手くいくとは限らない。それでも何もしない籠の中にいる鳥のような状態よりは、ましだろう…………』 そのような懐かしい声が再び己の頭の中から聞こえてくるよりも前に、既に煌鬼は行動に移していた。 (こんな場所で泣いていて、堪るか……俺を嵌めたあの周防とかいう奴と、公務だからとはいえ見捨てた朱戒に何としてでも文句を言わないとむしゃくしゃして寝れやしないからな……っ……) 土を掘り進め、後は細長い木の棒を間の隙間へ嵌め込み力を加えるだけだと思った煌鬼が、地面に放置されたままの細長い木の板を取ろうと身を屈めそれを拾い上げようとしたところで、ふと――あることに気付いた。 「ひ……っ____」 地面に赤黒い血の跡が広がっていることに気付いてしまった煌鬼は思わず出てしまった悲鳴を漏らすまいと咄嗟に口元を抑える。暫くは動悸が抑まらなかったものの、すぐにでもこんな忌々しい場所から脱出したかった煌鬼は気持ち悪さをぐっと堪えつつ作業を再開した。 煌鬼の目論見は上手くいった____。 少なくとも、牢の中から出るまではそう思っていた。 しかし____、 「おい……貴様、いったい何をしている!?」 「……っ____!?」 後は、このやる気のなさそうな牢主を起こさないように、なるべく足音を立てずに脱出するのみだと思ったのも束の間運の悪いことに先程まで眠っていた筈の牢主の目が開いてしまい、その目線は自然と此方へと鋭く突き刺さってきたのだ。 (くそ……っ____せっかく上手くいってたのに……ここ、までか――いや、まだだ……) と、再び牢に戻されるという最悪の事態を思い浮かべつつも煌鬼の視線は右手へと自然と向いていた。 右手には、脱出するために使用した細長い木の板がある。 今までは、忘れ去られたかのように牢の地面に放置されていた木の棒____。 これを利用しない手はない、と瞬時にして悟った煌鬼は今まで誰に教わった試しもないというのに、素早く木の板を持ち直して構えるとそれを槍をように勢いよく牢主の胸元めがけて突き付けた。 その後、今度は体制を崩した牢主の腹へ向けて、蹴りをお見舞いした煌鬼は地面にうつ伏せに倒れた牢主が気絶したのを瞬時に確認してから脱兎の如く牢から逃げ出した。 (いつか……あの夜空に浮かび上がる美しい花火を――今のように逃げている最中ではなく堂々と胸をはって……己が愛する人々と共に見てみたい……っ……) と、心に誓いつつ涙のせいでぼやけてしまっている夜空に浮かび上がる花を見つめながらも煌鬼は追っ手に捕まらないように必死で駆けていくのだった。

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