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第38話

* あれから、気がついた時には既に煌鬼は王宮の中庭に立っている桜の木の下まできていた。 雨が降らないため、桃色の花は咲かずに幹も枝もすっかり萎びてしまっている。 (雨が降れば、この桜の木も活気を取り戻し……見事な花が咲き乱れるのだろうか――それに何故かは分からないが、この桜の木を見る度に……とても懐かしい気分になる……いったい、どうしてなのか……) 今は葉さえも枯れ果ててしまった桜の木の真下で、かつては桜の花が咲き誇っていたであろう箇所を見上げつつ、先程より幾分かは落ち着きを取り戻していた煌鬼は右手を太い幹へぴとりと触れた。 「何故……何故、こんなにも――切なくなるというのか……っ____この木に……特別な思いも記憶とないはずなのに……っ……」 自然と、涙が溢れて止まらない____。 今までこの桜の木を遠くから見つめているだけだった煌鬼には、何故にここまで切ない感情が溢れてくるのか分からなかった。 ふと、背後に人の気配を感じたため煌鬼は慌てて舞福の儀の衣装の裾で涙を乱暴に拭うと怯えを含んだ瞳を背後にいる人物へと向ける。 そこには、橙色に揺らめく提灯を持っている世純が立っていた。薄暗いため、その表情はあまりよく伺えないものの、その声色は普段にも増して一層のこと真面目なものであり煌鬼は涙を流しつつも気を張り詰めてしまう。 「おぬしなら……己の力のみであの非常事態を切り抜けると思っていた。煌鬼よ、おぬしはやはり、あやつによく似ている。それに、もう一人――あやつと仲のよかった別の人物とも。もっとも、その別の人物は……もう、この世にはおらぬがな。さて、煌鬼よ……おぬしは何故にこの桜の木の真下に来たのだ?」 「分かりません……俺には、何も分かりません……ただ、何となくこの桜の木の下に来なければならないような気がしたのです。まるで、誰かに導かれ、呼ばれているような――そんな感覚に……陥ってしまったのでございます。この桜を見る度に切なくて堪らないのです」 雨が降らないせいで、干物の如く渇ききって瑞々しさの欠片もない桜の木の幹に右手を添えつつ、煌鬼は抗いがたい悲しみに襲われ涙をこぼしながら必死に世純へと訴えかける。 煌鬼の狼狽ぶりを目の当たりにして、普通であれば同じように戸惑いの表情を僅かながらでも浮かべそうなものだが、ちらりと横目で確認した世純の様は煌鬼の想像とはかけ離れたものだ。 世純は戸惑いを見せるどころか、煌鬼が切なそうに訴えかけてくる内容を初めから全て見透かしていたかのように余裕そうな表情を浮かべている。 しかも、その余裕そうな表情の反面、どこか哀しみまでもが含まれているようなどっち付かずの微妙ともいえる様なのだ。 「世純様……いったい、どうなさったのですか?普段の、あなた様らしくありません……もしや、俺――いや、私に何か言いたいことでもあるのですか?」 「…………本当ならば、もう暫くのうちは黙っておくつもりだったのだ。お前が完全に成人となり、冷酷な現実を目の当たりにしても受け入れやすくなる時期まで……待っているつもりだった。それが、あいつの願いでもあったのだから……。だが、気が変わった……先程のお前の言葉を聞いて今がその時だと感じた」 世純が気を落ち着かせるべく、一度深く息を吸い吐き終えたのを見計らったかのように、どこからか強い風が吹いてきた。 それは、夜半に吹く風ではあるものの夏に吹くものとは思えない程に鋭く冷たい。 そのため、煌鬼は不思議そうな表情を浮かべつつも身震いしてしまう。僅かな胸騒ぎを感じたものの、とにかく世純の口から告げられる言葉を待っているしかないのだった。

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