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第43話

* 翻儒という男性を母と知りながらもその存在を認めようとしていなかった先刻までは、予想すらしていなかった、久方ぶりの母子水いらずの一晩を過ごした。 既に、これなら何をすべきか腹をくくっていた煌鬼は小窓から聞こえてくる名前すら知らない鳥のけたたましい鳴き声で目を覚ましてから少し経っていたというのに未だに隣で眠っている童子のような母――翻儒の寝顔をぼんやりと眺める。 しかし、再び閑古鳥のけたたましい声が聞こえてきて「このままではいけない」と思い直した煌鬼は後ろ髪を引かれる思いで翻儒がかけているはがれかけた布団をなおすと一人小部屋に残したまま、自分が戻るべき場所へ向かうためになるべく音を立てないように忍び足で小部屋から出て行く。 その際、いつの間にか戻ってきていて眠りについている世純を起こさぬように気を引き締めながら彼の寝所を後にすると、そのまま自分の寝所ではなく半強制的に入れられていた牢へと戻った。 幸いにも、昨夜傷つけてしまった牢屋番の姿はまだないようで、とりあえずは胸を撫で下ろした。 しかしながら、それも無意味なことで結局は後で会うことになるだろうと少し憂鬱な気分になったが、それでも煌鬼は一言だけでも彼に謝りの言葉をかけたかったのだ。 (あの牢屋番の男は悪くない……悪いのは謂れなき罪でこの牢に入れられたというのに、あの湖雨の第二王子にも、ましてや謂れなき罪を俺に押し付けてきた張本人である王子の付き人の周防という男にも反論せずに余計な波風を立てるまいと逃げた俺の卑屈さと臆病さのせいだ____) その後、暫くした後に体に包帯を巻いた牢屋番の男が現れた。そして自ら、のこのこと戻ってきて牢の真ん中に座る煌鬼の姿を見るなり、お化けか妖怪でも見たかの如く凄まじい驚愕の表情を浮かべた。 「急に逃げ出してしまって済まなかった。しかも、怪我まで負わせてしまった。罰は受ける……たとえそれが堪えがたい痛みを伴う鞭打ちでも何なりと受けよう」 土下座しながら、煌鬼は己が怪我をさせてしまった牢屋番の男へと謝罪し続ける。 牢屋番の男は、面食らった様をあらわにしつつも煌鬼を責めることはせずに静かにこう告げた。 「それは……おいらの仕事じゃねえ。今日の昼間……湖雨の国の周防様や彼方の第二王子がオメエを迎えにくる……それまでこん中で待っとけ」 その時が来るまで、煌鬼は両膝を抱えて孤独に耐えながら、ひたすらに待ち続けた。 * 所変わって、此処は王宮の広間____。 中央の玉座には王が座り、その両脇には王族が控えている。 病に伏せっている王妃の尹儒と雨乞いの儀式の生け贄候補であり、もはや王子とみなされていない末子の【無子】以外の【天子】や【賢子】が椅子に座している。 そして、玉座から少し離れた場所の両脇には数多くの守子や警護人、また異国の湖雨から来た客人達が控えており、もちろん第二王子である【粗雀・天音之尊】とその付き人である【周防】という謂われなき罪を擦り付け強引に牢に入れるように仕組んだ煌鬼にとって最も忌々しい男もいるのだ。 「罪人は、此方へ……」 異国の詩鴉という国の王族が寝食以外の時に被っているという【白表の面】と呼ばれる仮面の如く無表情のまま罪人詰問を取り仕切る者の凛と引き締まった声が辺りに一斉に届く。 その後に罪人詰問の始まりを告げる銅鑼の音が鳴り響き、先程までは皆が罪人である煌鬼に注目し好き勝手に噂話を囁き合っていたがそれが鳴り響いたと分かった途端に、しぃんと静寂に包まれる。 少し前まで、木に止まっていた烏の群れの鳴き声も今はめっきり聞こえなくなった。 何のことはない――銅鑼の大きな音のせいで驚いたため何処かへと飛び去って行ってしまったのだ。 両手首が麻縄できつく絞められているため、煌鬼は命じられた場所まで歩いていく度に苦痛の表情を浮かべる。 所々ほどけかけた麻縄の先端が刺のごとく鋭くなっているため、少しの刺激でも柔肌に突き刺さる。 それに、じりじりと真上から照りつけてくる日差しのせいで額はおろか全身が汗まみれとなってしまい、その生理的な不快感も煌鬼に苦痛の表情を浮かべさせるには充分すぎるほどだ。 皆の目が、それこそ針の如く険しく突き刺さるが再び逃げ出す訳にはいくまいと唇を噛みしめながら前へ――というよりも、父である珀王が鎮座している玉座の方へと歩き続けるしかないのだった。

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