50 / 122
第50話
「…………」
国の次期王となる運命を背負っている天子の契魂相手である《亞喰 光子》は、かねてより己を忌み嫌っていると理解しきっていた煌鬼は咄嗟にどのような反応を見せればよいか判断できずに黙っているしかなかった。
先程、天子の腕を傷つけた矢の如き鋭い眼力が煌鬼の怯え困惑する目を射ぬく。
「いくら公務とはいえ、貴人は、天子殿と――距離が近すぎやしませんか?貴人は、一介の守子であり世話人でしかない……今宵は早急に下がられよ」
矢の如き鋭い眼力に、氷の如き素っ気ない声____。
「申し訳ありません。亞喰光子様……一介の守子である私めは……これにて失礼致しますゆえ、天子様の看病をお願い致します」
「貴人にわざわざ言われずとも、分かっております。くれぐれも、御自分の立場を考え……お気をつけくだされ」
先程とは打ってかわって此方に目もくれず、真剣な目付きで契魂相手である天子を見つめ続けながら素っ気なく言い放った《亞喰 光子》に頭を下げると煌鬼は息の詰まりそうな二人の寝所を去るのだった。
*
(今宵は何故だか、すんなりと寝所へ戻る気がしない……かといって希閃を誘い酒を飲み交わすという気にもなれない――このような時はどうすべきか……)
眉間に皺を寄せ、無意識のうちに重苦しそうな表情を浮かべつつ煌鬼は一人廊下を歩いていた。
このように物思いに更け、尚且つ下らないことを自問自答しながら自室に戻るのを拒絶するのには理由があった。
つい先程、《亞喰 光子》から冷たい眼光を向けられたのも要因のひとつだけれども、それよりも煌鬼の心を深く抉ったのは《天子》から言われた言葉のせいだ。
『何故、お前はそのような嘘をつくのだ?』
たった一言が、何よりも煌鬼の心を抉ったのだ。
(あの時、天子様に嘘をついたのは……母の存在を――未だに受け入れきれていないからだ……あのような立場の母の存在を恥じて、それを知られまいと咄嗟に天子様に嘘をついた私は何という親不幸者なのだ――母は……何も悪くないというのに……)
そんなことを悶々と思い悩んだせいなのだろうか____。
いつの間にか、煌鬼は王宮内から外へと足を運んでいた。
しかも、その場所は中庭であろうことか枯れかけている生気のない桜の木の前だった。
夜の月の光に誘われるかのように、立ちはだかる桜の木の真下には蹲り、嗚咽を漏らしている人物がいる。
襤褸を身に纏うみすぼらしい格好、それに片腕に彫られた彼岸花の刺青を目の当たりにした煌鬼は思い悩むのを止めて、慌ててそちらへと駆けていく。
「無子様……このような夜更けに、いったい何事……っ____」
桜の木の真下にて蹲り嗚咽を漏らしている者の正体を知っている煌鬼は、いくら王宮内で存在をないものとされている無子なる王子の問題とはいえ、万が一のことを考えて顔面蒼白になりながら尋ねかけた。
王宮内で存在をない者とされて生を拒絶されている無子が悲しげな顔をして泣き声をあげている様を見るのは、今の煌鬼にとって、まるで自分のことのように心が痛む。
すると、
「____純……が……」
「……はい?」
「せ……っ……世純が……いないのだ……っ____どこにも……あやつの寝所にも……いない……王宮内を駆けずり回ったが……どこにもいない……それに、ここにも……っ……」
顔をぐしゃぐしゃにしつつ嗚咽を漏らしている無子は必死で煌鬼へと訴える。
更に、煌鬼はなりふり構わず泣き続けている無子の手に白い何かが握られていることに気付いたのだった。
ともだちにシェアしよう!