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第55話

「これは……このように奇怪な紙を――いつ、何処で手に入れたというのだ?これは、単なる文ではない。仕掛け文と呼ばれるもので、主に異国にて使用されていることが多いのだが……」 慧蠡は怪訝そうな表情を浮かべつつ、ぶつぶつと呟きながらも異国では《仕掛け文》と呼ばれているという二枚の紙を朱戒と案内人の男から受け取ると、そのまま真剣な目付きでそれを眺め続けた。 そして____、 「煌鬼よ……悪いが、吾にそれを貸してくれないだろうか?」 ふと、慧蠡の目が《仕掛け文》から煌鬼が持つ炎の灯る蝋燭へと向けられる。あまりにも唐突に言われたため、今度は煌鬼の方が怪訝そうに眉をひそめたが、とにかく今は世純と周防が行方不明となった理由を明らかにするべく僅かな刻さえも惜しいため何も言わずに彼の言葉に従った。 おもむろに、炎の灯る蝋燭を紙に近付ける。 このまま紙が燃えて灰になってしまったら如何しよう――などと内心焦り気味の煌鬼ら一行とは裏腹に、当の本人である慧蠡は動揺などあらわにせずに至って真顔のまま暫くそのようにしていた。 だが、その異変は唐突に起きる。 「これは……先程までは何もなかった筈の紙に……文字、いや……何かしらの動物の絵が浮き出てきただと……いったい……何故に____」 公務に明け暮れていて気を引き締めきっている普段は、他人に対して自身の動揺など滅多にあらわにしない朱戒でさえも、驚愕の表情を浮かべつつ何処となく興味深そうに、何もなかった筈の紙上に徐々に絵が浮かび上がってくる光景を熱心に覗き込み目に焼き付けている。 「____これは、炙り出しという手法だ。この国では使われてはいないようだが、とある異国では頻繁に使われているそうだ。もっとも吾は書物でそれを知り得たゆえにこの目で見るのは初めてなのだが――なるほど、実際に手にしてみると普通の紙と違ってざらざらとした手触りだ……それに、不気味な動物の絵、これは……」 どうやら、慧蠡は炙り出しという手法のことは知り得ていたようだが、浮かび上がってきた絵の動物に関してまでは知らないらしく先程の煌鬼らと同様に怪訝な表情で紙を睨み付けつつ思案し始めた。 「そ……それは、その動物は……鐚鼠では?ち、ちょっとそれをよく見せてください」 ふと、震える声で湖雨からの案内人が言ってきた。 「鐚鼠……!?」 案内人の男が青ざめながら確認している間、この国で生まれ落ちた煌鬼達は【鐚鼠】という動物についての話をしあったのだが、やはり誰しもがその存在を知らないと口々に言う。それは、博識であり王族御用達の専門医師で ある慧蠡でさえも同じなのだ。 「見たところ、やはり鐚鼠で間違いないでしょう……この鼠は普通の鼠よりも体躯が大きく、またじめじめとした湿気のある水場を好む……湖雨にしか存在しないのだから貴らが知り得ないのも無理はない。また……ぎぃ、ぎぃという不快な鳴き声が特徴的なのです」 案内人の男が真剣な眼差しで炙り出しを終えた紙上を眺めながら、煌鬼らにとって聞き慣れない【鐚鼠】についての説明をし終えた途端に今まで借りた猫のように大人しく黙っていたばかりで煌鬼の側に隠れていた無子が服の裾をぎゅうと引っ張りあげた。 それとほぼ同じくして、今度は慧蠡ではなく朱戒がある行動をとった。腰にぶら下げていた水筒を手にして、蓋をとると――あろうことか炙り出しの紙ではなく、もう一枚の紙上へと水を少量垂らしたのだ。 その結果も気になった煌鬼だったが、恐らく少しばかり時間がかかりそうだと踏んだ煌鬼は先に無子へと向き直ると、先程の行動の意味を尋ねた。 「こ……煌鬼と会う前、さ迷い続けていた時――ぎぃ、ぎぃという鳴き声を……聞いた……と思う」 「そ、それは……いったい____」 煌鬼が弱々しい王子の告白を耳にして、驚きをあらわにした直後のことだった。 「煌鬼よ、それに無力なる王子よ――またしても……絵が浮かび上がったぞ。今度は、虫の絵……この国にも存在する、灯盗蛾のものだ」 慧蠡は、それを目の当たりにして再び眉間に皺を寄せつつ何事かを思案している。 しかしながら、二枚の仕掛け文と呼ばれる紙に描かれた【鐚鼠】、【灯盗蛾】が何故に案内人の男と朱戒の手に渡り、世純と周防が行方不明になってしまったのかという意味が未だに見出だせない煌鬼は無子と允琥と共に身を寄せつつ強烈な不安に押し潰されそうになってしまうのだった。

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