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第56話

* 「慧蠡とかいう医師の申す通りに二手に別れ、此処に来てみたものの――允琥と案内人の男だけで調理場に向かうなど大丈夫なのだろうか……それに、肝心な時にあろうことか慧蠡本人がいなくなるとは____まったく、あの男は何を考えているのか想像もつかん」 「朱戒よ、確かに貴様の言うことも一理ある。しかしながら、もしも慧蠡がいなかったら……我々だけでは世純様と周防がいるであろう場所の見当すらつかなかった――もしも世純様と周防が見つけることが出来ればあの男の評価も変わるやもしれない」 二人の男が行方不明となったというのに、王宮内は不気味さを抱く程に静かだ。 せいぜい、格子窓の隙間から見える外の世界から響く虫の音が煌鬼らの耳を刺激するばかり____。 念には念を入れて周りの者達に気付かれないように桃燈の灯りを消しているため格子窓から覗く月明かりの限られた光しか入ってこない。そのため、朱戒を先頭にして煌鬼――そして最後尾に続く無子は長く続く廊下を歩く。 真っ直ぐな進路とはいえ、三人が一歩踏み出す度にぎしっ、ぎしと軋む床板の音は特に臆病者な無子を異様な程に怯えさせた。 しかしながら、どんなに恐ろしかろうが、ひたすら真っ直ぐに歩くほかに道は開けないのだ。 『貴ら三方は、火の気がある調理場ではなく……水のある場所へと向かってくれ。王室の調理場には火を焚ける道具はあれど、水に関するものは存在しない。それなりに賢い煌鬼、それよりも知恵者である朱戒殿であれば……自ずと答えは導き出されるであろう?』 ふと、行動を離別する前にやり取りされた慧蠡の言葉を思い出した煌鬼は《水》と聞いて真っ先に思い浮かぶ場所を自然と頭の中で思い描いた。 そして、それは隣にいる朱戒も同じなのだろう。戸惑う素振りも見せず、冷静に――かつ堂々とした足取りでその場所へと歩みを進めていく。 「ここだ。ここに、おそらく……世純殿――もしくは周防がいる筈だ。」 ぴたり、と足を止めた____。 眼前には、王宮の庭にある池が広がっていて、尚且つそのすぐ側には本来であれば見事な桃色に咲き誇る筈の桜の木が存在している。 しかし、雨の降らない今は桜の木は枯れ果てて活気を失ってしまっている。 「だが、この池の水は____」 朱戒が怪訝そうな表情を浮かべながら、緩やかに波立つ池の水面を覗き込むと、ぽつりと何事かを呟きかけた。 その、直後のことだ。 煌鬼はどことなく不安をはらんだ彼の言葉を最後まで聞き終わぬうちに、神妙な顔つきをしながら何事かを呟きかけた朱戒はもちろんのこと、二人の傍らに隠れるようにして涙ぐみながら不安をあらわにしている無子でさえも思いがけない行動を取った。 というよりも、無意識のうちに自然とその思いがけない行動を取ってしまっていたのだ。 頭の中であれこれと考えるよりも先に、体が勝手に動いてしまっていた。 煌鬼は朱戒が慌てふためきながら制止する怒鳴り声も聞かず、池の中へ飛び込んだ。 生まれてこの方、水に縁のない王宮でしか過ごしてした経験のみである煌鬼は泳いだことなどない。もちろん、溺れないような泳ぎ方など熟知している訳でもないし、この池に世純(或いは周防)が沈んでいるという確固たる確証などある訳でもない。 しかしながら、それでも煌鬼ががむしゃらに池へ飛び込んだのは――是が非でも、まるで父親の如く今まで接してくれていた尊敬すべき世純を救いたいという強い想いを抱いたのと、今までは他人など碌に信じてこなかったが慧蠡の言葉は信じてみたいという強い想いがあったからだ。 とはいえ、やはり金槌である煌鬼がまともに泳ぐのは難しい。その上、この池は単なる水が溜められているわけではなく海水でできているため、煌鬼が息継ぎのために口を開く度に耐え難い程の苦痛が流れ込んでくる。 とうとう、耐えられないといわんばかりに今度は度重なる警護訓練で泳ぎに長けている朱戒が勢いよく池へと飛び込むのだった。 沈みかけている煌鬼を救うために____。

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