57 / 122

第57話

煌鬼は無我夢中で息継ぎをしようと試みた。 口を開く度に流れ込んでくる海水の強烈な味に顔を歪めつつ、それと同時に途徹もない息苦しさに何度も挫けそうになりながらも、途中で逃げ出すことがなかったのは、隣で自らを厳しく叱咤しつつも支えてくれている朱戒がいるおかげだ。 唯一、泳ぎに馴染みのない煌鬼にとって救いなのは此処が広く深い海ではなく所詮は王宮内の池でしかないということだ。 暫く朱戒と共に池の中を散策しているうちに、ふと煌鬼はある場所池の底のある場所に白いものが沈んでいることに気が着いた。 太縄で先端が結ばれている大きな白い麻袋だ。 すぐさま、それを引き上げてみようと試みる。 しかしながら、その大きさはかなりのもので、幾ら朱戒と共に引き上げてみようとしてもおそらくは時間の無駄だろうと判断した煌鬼は王宮から助けを呼ぶべく一度池から浮上すると、そのまま朱戒に池周辺の見守りを託す。 そして、急いで助っ人を求めて王宮へと駆けて行くのだった。 * 本来であれば、権力のためや自らの保身のために平気で他人を貶めるような信頼できない守子達に助けなど求めたくはなかった。しかし、そんな下らないことをほざいている時間などないため、致し方なく煌鬼は日頃の公務を介して比較的に親交のある数人の守子達の寝所を訪れて事情を話した。 むろん、その中には普段から最も親交があり親友ともいえる存在の希閃もあったのだが、煌鬼にとって意外だったのは他の守子達も怪訝そうに顔を歪めつつも誰ひとりとして煌鬼の話を一蹴したり、冷たい言葉を浴びせなかったことだ。 それどころか、まるでこれまでとは別人のように誰も彼もが煌鬼の話を否定することもなく受け入れ、なおかつ夜中だというにも関わらず共に白い麻袋が沈む池へと向かって行ってくれた。 「皆、お前のことを認めたのさ。あの、周防にさえ歯向かったお前を心の底から見直したとまで言った奴もいたぞ。お前の剣幕が凄かったからだとか、そういった下らない理由じゃない。煌鬼、お前の精神的な成長が奴らの汚濁にまみれていた心を揺さぶったんだ。もちろん、元からお前の親友だった此方にしちゃ複雑な気持ちだがな」 「…………」 不思議と、今まで抱くことのなかった暖かい感情が心に染み込んでいく。それと同時に、煌鬼は心の底から反省した。 己の凝り固まった疑心という負の感情が、世の中の他人から受ける好意というものを始めから拒絶していたのだと、煌鬼はここにきてようやく分かったのだ。 しかし、今は感傷に浸っている場合ではない。 「希閃よ、そなたにも助けを求めてもよいだろうか。私にとって実の父のような存在てある世純様を失うことなど――自らが死するよりも辛きことなのだ。どうか、頼む……っ____」 「煌鬼よ、その申し出はもちろん受け入れるが……しかしながら、調理場には向かわなくてもよいのか?ここだけの話、とある守子から、調理場でも大事があったと聞いたのだが……」 希閃が若干慌てた様子で煌鬼へと尋ねてきたため、それに対する言葉を話そうとした時だった。 ふいに、背後から見知った者に声をかけられて、どきりとしつつも振り向いた。 そこには、いつの間にやら音すら立てずに慧蠡が立っていた。そして、まるで異国に存在し人々を恐れさせていると噂されている武男像の如く険しい顔つきで仁王立ちしているのだ。 「今は池に行くのが先決であるのだろう?煌鬼よ、吾が調理殿に向かう故、其方は友であるという希閃殿と共に、そのまま池へと向かうといい。よいな?」 「し、承知した……では、申し訳ないが頼んだぞ」 僅かながら煌鬼の声が上ずっていたのは、何故かは分からないが今しがた姿を現した慧蠡の様子がおかしいと本能的に察知したからだ。 理由までは分からないが、慧蠡は怒りや悲しみといった負の感情を抱いていると――そう、感じたのだ。 確かに慧蠡の言う通り、王族の寝所がある殿と極近い場所にある調理場へ今から向かうの は、かなり時間がかかってしまう。 それすなわち調理場のある殿と、煌鬼ら守子達の居住している殿とでは距離が離れているということであり、幾ら面識のある守子達が池へと向かって沈む麻袋を引き上げるのを助太刀してくれるとはいえ、すぐにでも煌鬼は中庭へ戻りたかったのだ。 故に、煌鬼は調理場で起きた事件の始末を慧蠡へと託し、そのまま希閃と共に中庭へと駆けて行くのだった。 *

ともだちにシェアしよう!