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第62話

じゃり、じゃり____。 ゆっくりとその身を起こした無子が玉砂利を踏みしめつつ、此方へと近づく音のみが聞こえてくる。 だが、両手を地につかせ更に額までもを擦りつけ土下座したままの煌鬼には彼の表情が伺い知れない。 おそらくは、幾ら王族の端くれという存在である無子とはいえ先程までの無礼に怒りを抱いているであろうことから般若の如く険しい顔をしているに違いないと、内心怯え先刻までの行動を反省しながらも足音が止んだ後におそるおそる顔を上げる。 しかしながら、予想に反して無子は怒っている素振りなど微塵も見せずに、何故か罰が悪そうに笑みを浮かべている。 「も……申し訳ありませんでした。王子であられる貴方様に対して愚かにも怒りに身を任せ、感情的になり声を荒げるなど……誠に無礼な振る舞いをしてしまい……己が情けのうございます。どうか、愚かなる私を死罪にて罰して下さいませ。さすれば____」 咄嗟に、声が詰まる。 だが、既に煌鬼の頭の中で次に発する言葉は決まっていた。 『さすれば、世純様がおられるあの世に召され――彼の魂と共に天に召されます』 そう、煌鬼は次の言葉を続けようとしていた。 しかし、だ____。 結果的に、言葉を詰まらせ僅かながら無言となった煌鬼がその言葉を発することはなかった。 その代わりといわんばかりに、しん、としていた周囲に渇いた音が響く。煌鬼は、ただひたすらに呆然として咄嗟に怒りの言葉すら出てこない。 今まで弱々しく、【国に雨を降らせるための生け贄】と認識し、哀れで健気な存在としか感じていなかった無子によって頬を手打ちされたのだ。 あの、生気を失い枯れて老人の腕のようになった桜とほぼ変わらない白く細長い腕から想像できぬくらいに力強く手打ちされたため、頬は赤くなり更にひりひりとした痛みのせいで煌鬼はそれを和らげるために片手でおさえる。 「済まない……だが、たとえ貴を死罪に処するなどということをしたとして……世純の魂が――安らぐと思うたか?そもそも、余にそのような力はなし。全ては禍厄天寿の呪いせいと、それを利用し……世純の肉体を奪い去った罪人のせいだ。そして、煌鬼よ――その忌々しい罪人を明らかにして正当な方法で罪を償わせるのは……貴の役目じゃ。ゆえに、死罪による極刑を望むなどというふざけた戯れ言を申してこの現実から逃げている暇などないのじゃ」 真剣な眼差しで説教じみた言葉を言う無子の瞳を見つめつつ、ふいに煌鬼は真っ白になりかけていた頭の中で世純でも、ましてや朱戒らといった仲間のことでもなく、何故か歌栖の笑顔を思い出す。 何を思ったか、無子は煌鬼から顔を逸らすと、そのまま背を向けて桜の方へと歩いていき、牛蒡かはたまた老人の腕のようにしわくちゃで水気も生気もない桜の幹を優しい手つきで撫であげる。 「無子様――もしや、一番初めに起きた歌栖の謎の死も、その禍厄天寿の呪いとやらに関わりがあるのでございますか?つまりは、世純様と周防を手にかけた忌々しき者の仕業だと____」 「正直、それについては真相が分からぬ以上、今のところは何とも申せぬのじゃ。故にまだ呪いについては深きは話せぬ。むろん、時が来たら話すがな。そもそも、それも含め、調べあげるのが貴の役目。幸いにも貴には、近頃、頼りになる仲間ができたようだしな……とにかく、だ。頼むぞ____煌鬼よ。余も、頼りにしておるのじゃ……では、良き夜を過ごせ」 煌鬼の問いかけを聞くと、困ったような顔をした後に、穏やかに頬笑みながら今まで背を向けていた無子はゆっくりと此方へ振りかえった。 まるで、最初に出会った頃とは別人のように凛とした態度を見せる無子に対して、どのように接していいのか分からずに煌鬼は慌てて目線を下へと移した。 すると、その直後____王宮の屋敷へと戻ろうとしていた無子に思わぬことが起きた。 「ああっ…………!?」 (詳しい事情は分からぬが)容姿が変わってしまったことを気にかけているせいなのか今まで被っていた黒布が突如として吹いた風によって飛ばされ、あろうことか老人の腕の如き見目をした桜の木の枝へと引っかかってしまうのだった。 よほど周りの目を気にしているのか困った顔を浮かべる無子。そして、そんな彼に対して同情の気持ちを抱いた煌鬼は桜の幹に手をかけて強めに揺すってみたものの、高い所に引っかかってしまった黒布が落ちてきそうな気配はない。 はて、どうしたものだろうか――と煌鬼が考え込んでいた最中のこと、唐突に無子が予想だにしない行動をとったため、そちらへと慌てて駆けて行くのだった。

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