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第74話

* 王宮内は、平民が暮らしている世界とは違って、かなり異質な世界だ____。 外界から来訪する一介の薬師見習いの【腥】はともかくとしても月桜の元第二王子であり、つい先日まで守子達は羨望の眼差しを向けて敬い、王の血を引き継ぐ王族達は《血の繋がった家族(親族)》として接してきた筈の【賢子】の存在など元々なかったかのように変わらぬ様子で過ごしている。 涙を浮かべるのはおろか、悲しみの言葉さえ述べようとする者はいない。 ただ、唯一の例外として____と、煌鬼は二人を見送った最後の場面を、ふと思い浮かべる。 むろん、煌鬼の頭にすぐさま思い浮かんだのは第三王子である【無子】の姿だ。 (あの無子は――いや、無子様はとても心優しき者だ……彼だけは俺と同じように賢子様達を信じてくれている) そう思うだけで、心が締め付けられ胸の辺りがじんわりと暖かくなる。 「おい……お前は何を呆然としているのだ!?非番だというのに、またしてもお前に付き込まれる此方の迷惑を考えてみろ」 まるで夢見心地の煌鬼の耳に、もはや聞き慣れつつある朱戒の低い怒り声が響く。とはいえ、今は前のように彼から勉学を教わっている訳ではない。 王宮内は季節の儀式によって日々成り立っているといっても過言ではない。季節が巡る度に執り行う程に古から伝わってきた《神を尊じる儀式》を大事にしているのだ。 今は、夏の盛り真っ只中ゆえ数日後には【 神童魂鎮之儀】が行われる。 これは、古により海が荒れ狂い波に浚われ貴重な命を失ってしまった《水童》の御霊を祀るべく神に祈りを捧げるものだ。 選ばれた守子達が王宮の付近の船着き場から対岸へと泳いでいき、更に対岸にある【水童地蔵】へと食事や菓子を備え、丁寧に祈祷を行った後に王宮へと帰ってくるという重要な儀式だ。 しかしながら、煌鬼は抗いがたい不安を抱いている。それは、泳ぎ――というよりは【水】そのものに対して幼い頃から《恐怖心》を抱いていることだ。 むろん、今や自分よりも上の立場となっており、この世から去った世純(とはいえ今も桜の木の下で時折雀として姿を現すのだが)の跡を引き継ぎ、立派な守子達の纏め役として日々公務している希閃へと儀式の担い手となるのを断ろうとも思った。 何故なら、引き受けた以上は失敗する訳にはいかないからだ。それに、もしも自分の愚かな行動のせいで恐怖心を克服できずに途中で失敗したともなれば周りの守子達に迷惑がかかるし、更に最悪なことになれば――この国の未来に対して【災い】を引き起こしかねない。 【神童魂鎮之儀】を失敗すれば末代にまで祟られ水害により海は荒れ狂い、地には飢餓が蔓延る____。 実際、古くから伝えられてきた巻物に記された言葉どおり、かつて儀式を失敗してしまった代は阿鼻叫喚じみた災害が王宮のみならず平民が暮らす地にまで襲いかかり、地獄絵図さながらの光景だったとのことだ。 (俺ひとりが引き起こした失敗が、王宮のみならず国全体にとっても危険に曝しかねない――本当にできるのか…………) 目に見えずとも、己の身に【未来に対しての不安】が重々しくのしかかるのが分かる。 それは呪縛のように簡単には煌鬼から離れてくれそうにないのも嫌が否でも分かってしまう。 (そもそも――何故に希閃は、このように重要な役割の担い手に俺を選抜したのだろうか………) 考えたところで解決に向かわない、そんな仕様もない疑問が頭を支配してくる。そして、そんな煌鬼の脆弱な心を見透かすかのように鬼のようだと日頃周りから散々言われている朱戒の二つの鋭い瞳が此方をじい、と見据えてくるのだ。 「煌鬼よ――お前は与えられた試練に対してやる気があるのか……それだけを明確にしろ。覚悟を決めるかどうかはお前自身が決めることだ。ごちゃごちゃと心に雑念があるくらいで止めるのならば……好きにするとよい。それもお前自身の選択となる。だが、そんなことではいつまでたっても今の中途半端な心は……変えられないぞ」 「……っ____!!」 まるで、心臓を矢で素早く射ぬかれたような凄まじい衝撃が走った。 その途端に、煌鬼は目の前にいる鬼のような人物と共にこの先もずっと過ごしてゆきたいと改めて思うのだった。 「朱戒は鬼のような人物だ――血も涙もない。あの男は本当に人間なのか」などという周りの輩の言葉など嫉妬という醜い心からくる戯れ言に過ぎないとも____。

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