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第78話
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煌鬼が困惑する朱戒を振り切って急いで【世純の隠し部屋】へと向かうと、前に会った時と全く変わらない態勢で両膝を抱えながらうずくまる翻儒がいた。
手入れをしていないせいで、ぼさぼさの髪は無遠慮に伸び、床についてしまう程だ。とはいえ、これ程に長いことこの隠し部屋にいるにも関わらず何故か体臭はほとんどしない。更に、髪は伸び放題になってはいるものの身に纏っている衣は以前と比べて綺麗なものになっている。
(もしや、誰か……世純様と俺以外に――母の存在を知る者がいるのか____)
と、疑問に思ったものの煌鬼はそれを無理やり頭の隅へと追いやった。確かに気になるが、煌鬼には皆の目から存在を隠された哀れな母に対して、それよりももっと問いかけたい事柄があるからだ。
「あなたは……いや、母上は____中庭にある枯れた桜の木に――何か特別な思い入れでもあるのですか?信じてもらえないかもしれむせんが、ある場所で一時気を失った際に……満開の桜の木のてっぺんで幼い頃の母上と二人の少年が木登りしている光景を見ました。夢と言われればそれまでですが――その光景が目に焼き付いて離れないのです。それに、その光景を思い出すたびに胸が締め付けられるのです……最後に、母上――あなたが苦しそうな顔をしていたから。いったい、何をそんなに気に病んでいるのですか?」
地蔵のように微動だにしない物言わぬ母に向かって歩いていく。
そして、今まで決してしようとはしなかったこと――氷のように冷たい母の手を取り、それを固く握り締める。
「私の思い違いならば謝ります。でも、もしも今話した内容に心当たりがあるのなら――何か胸に突っ掛かっている思いがあるのなら……息子である俺に教えてください。世間一般では疎まれるような関係とはいえ……俺達は血の通う親子なのだから。今まで意地を張って、あなたを母と認めずに酷いことを言ってご免なさい。そして、どうか……息子である俺に心を開いて……っ____」
途中で言葉が詰まったのは、今まで母だと認めたくなどないと頑なに心を閉ざしていて気を張っていたのが、ここにきて一気に緩み――まるで洪水の如く涙が止めどなく溢れてきたからだ。
「____い……っ……ごめ……なさ……」
その直後に聞こえてきたのは、自分と同じように無意識のうちに涙を流しながら謝り続ける母の声。
しかしながら、煌鬼は思いもよらない母の反応に対して安堵感を抱くと同時にその一方である疑問を抱いてしまう。
「何故、あなたが謝るのですか?俺があなたに対して謝ったのは……血の繋がりのある母だという事実を頑なに認めずに逃避ばかりしていたという理由があるからです……ですが、あなたには謝る理由がない。それなのに……何故――」
謝るのですか、という言葉を煌鬼は途中で飲み込んだ。とはいえ、疑問がなくなった訳ではない。
ただ、母である翻儒があまりにも大粒の涙をこぼしながら息子である自分じゃない見えない誰かに向けて必死に謝るものだから、そうせざるを得なくなっただけだ。
「ご……めん……なさい……王花様――おれの、おれのせいで……あなたは……っ___おれが……魄を手放したく……なかったから……あんな……あんなことに……っ____あの時の呪いのせい……桜の木があんな風になったのは……おれの醜い罪のせい……」
母の翻儒は謝っている。
けれど、それが誰に対して謝っているのかは――煌鬼には分かりようがない。
分かったのは、母である翻儒が過去に何か罪を犯したということ。
それと、その呪いのせいで桜の木が年中枯れてしまっているということ。
そして、これは煌鬼の頭にふっと浮かんだ考えなのだけれども――その呪いがまだ終わらずに歌栖の不審な死に始まり尚も続いているかもしれないということだ。
まず、桜の木の謎について調べなくては――と煌鬼は童子の如く泣きじゃくっている母を抱きしめながら固く心に誓うのだった。
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