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第79話

* 翌朝のこと____。 白み始めたばかりで橙の絵具を滲ませたかのような地平線が遠くに見え、濃灰色の雲が浮かぶ暁に染まるのを見上げながら、目的地へとそそくさと歩いていく。 雀のちゅんちゅんという囀りが聞こえるだけの静けさに包まれた中庭の桜の木の真下に訪れた煌鬼。 人の目に触れない早朝であるならば、他界し(何故かは明確に分からないが)雀と成り変わった世純がいると考えたからだ。 とはいえ、いくら人から雀へと成り変わったという不可解な事象に見舞われた特別な存在というべき世純だが、流石に生前の如く人語を話せる訳ではない。 つまり、煌鬼よりも遥か昔から王宮に仕えていた世純に《王宮にかけられたという桜の木の呪い》について聞いたとしても徒労におわるということを意味している。 そもそも、普段は早朝であり人がさほどいない今時分であれば雀となった世純は必ずといっていいほどに枯れた桜の木の真下にいて調理担当の守子が撒いた籾殻をつついている。 しかしながら、今日は姿を見せていない。 古から王宮に植わっている桜の木の呪いに対する疑問を除いても、その他にも煌鬼には彼に聞いてほしい話が幾つもあるのだ。 今となっては人間ではなく雀である世純は煌鬼がどんなに悩みを話したとしても答えを返してくれるわけではないし、生前のように叱咤激励するわけでもない。 (しかし、それでも――世純様の存在は俺にとっての希望であり、心の拠り所だ……それにしても、今朝は何故に姿を見せないのだろうか___) 仕方なしに、煌鬼は桜の木の幹に背中をつけつつ座り込んだ。 そういえば、と――ずっと心の奥深くに留まっており、すっかり忘れてしまっていた、ある事を思い出す。雀となった世純を待つ間にそのことについて自分なりに整理して考えてみようと決意した。 懐にずっと忍ばせておいた【偲渡花】____。 それは、今はこの世に存在しない周防の形見といえる遺花だ。 しかも、それは既に異国である湖雨へと帰っていった使節団のうちの一人であり、尚且つ周防の付き人だった男からわざわざ譲り受けた物だ。 憎むべき相手であり、尚且つ互いに快く思っていなかった筈の周防が何故にこの【偲渡花】を自分へと遺したか____。 この【偲渡花】に込められた周防の本当の思いは何なのか____。 いくら頭の中で考えても、依然として答えなど出てこない。 そのため、呆然と【偲渡花】を観察していたが、ふいに目線を動かして見る角度を真上から真横からへと変えてみたのだ。 煌鬼としては、ほんの気紛れのつもりだった。 花柄と呼ばれる支柱の根元――真上から見ても美しく開く透明な花片に隠されてしまい、見えなかった花床という部分に何かが巻きついていることに気付いた。 しかし、気がついた後にその正体を確認しようと手を伸ばしかけた時――思わぬ事態が煌鬼を襲った。 いつの間にか、桜の木の枝に集っていた鴉の群れが一斉に飛び立ったのだ。 情けないとしか言い様がないが、幼い童子の頃から鴉に対して苦手意識を抱いていた煌鬼は【偲渡花】の些細な謎なんて頭の中から瞬時にして消えてしまい再び懐に仕舞うと盛大に後退りしてしまった。 そのせいで、思いきり背中を桜の木の枝にぶつけてしまう。すると、今度は鴉の群れの方が驚いたのか辺り一面に響き渡るくらいに騒がしく、なおかつ聞いた者を呪わんばかりに不気味な鳴き声をあげながら桜の木から離れていった。 ようやく、辺りに静寂が戻る。 すると、再び桜の木に寄りかかり【偲渡花】の謎について思考し直そうとする煌鬼の目に、新たな謎を引き寄せるかのように奇妙な光景が映り込んでくるのだった。

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