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第81話

直後に感じたのは、背後から忍び寄ってきた何者かの気配____。 更に、急に首筋へ襲いかかる鋭い痛み____。 「……っ____」 あまりの痛みに咄嗟に両目を瞑ったまま震える手で首筋を抑え、なおかつ歯を食い縛りながらも声にならない悲鳴をあげ襲ってきた謎の人物を睨み付ける。 驚き、怒り、不安といった様々な感情が心中に渦巻いていたが、首筋からの出血量は思っよりも多くはなかったため僅かに安堵しつつも、動揺のせいか逃げ遅れた名も分からぬ下手人の片腕を渾身の力で掴む。 「貴様は……いったい何の目的で、今のような愚かなことをしたのだ?」 「…………っ______」 当然といえば当然なのだが、目の前にいる正体不明な卑怯者は煌鬼の問いかけに対して何も答えない。 いくら、まだ皆が起きてくるような時刻ではない早朝とはいえ其奴の服装は全身が黒い布で覆われていて、更に頭全体が隠れるようにすっぽりと黒頭巾を被っているために容姿からでは何者か特定できずその正体がはっきりとしない。 しかしながら、煌鬼は目の前にいる謎の人物が朱戒だということだけは有り得ないと既に確信していた。 確かに、朱戒は王宮専属の警護人であり、尚且つ何人もの部下を纏めているという有能な人物である。朱戒はこのような卑怯な行為など絶対に行わないと煌鬼は信じているのだ。 それに、朱戒にしては体格が小柄であり、今目の前にいる愚か者は煌鬼と然程体格差がない。 「____何か答えてみろ。それとも、このまま何も言わず……逃げ出そうとしているのか?この、卑怯者め……っ……」 「うわ…………っ……!?」 愚か者な奴の腕を掴む手に力がこもり、遂には己と然程変わらない細身な相手を地へと押し倒してしまう。 憤りに任せて、ついそのまま殴り付けかねない剣幕になって片腕を振り上げていた煌鬼の動きが咄嗟に止まってしまったのは、無意識のうちに驚きの声をあげた愚か者の声に聞き覚えがあったせいだ。 久しく姿を見ていなかった者____。 素早い動きで、地へと組み敷いた相手が被っている黒頭巾を剥ぎ取った。 既にその正体が分かりきっていたとはいえ、現れたのは激しい動揺を隠しきれていないせいで、両目を辺りにさ迷わせている無子の姿。 煌鬼と目を合わせないように必死な様が見てとれる。 「な……っ____何故に、貴方様が……私に襲いかかってきたのでございますか!?」 「……っ…………!?」 思わず、反射的に問いかけざるを得なかったが――既に煌鬼の頭の中には、何故に第三王子である無子が自分の命を狙おうとしていたのか何となくとはいえ理由を察知していた。 「もしや____いいえ、この際……そのように曖昧な言い方など不要でございます。無子様、貴方様は生前に歌栖が遺言を記した、この桜の木に何か危害を加えると思っているか――または、第三者に告げ口をするなどと愚かな誤解をしておられるのでは?」 「…………」 第三王子の無子は、煌鬼の考えに対して肯定ととらえたといわんばかりに固く唇を噛み締めている。 「この桜の木を排除しようなどという愚かな考えを抱くことは……決して許さない。この桜の木は、生前の歌栖との……絆の証なのだ――許さない……」 そこで、ようやく先程までにはなかった異変に気が付いた。 目が虚ろで、尚且つ焦点が定まっていない。 口から涎も垂れているし、体も小刻みに痙攣し始めてしまっている。 もはや、怒りや疑念などという感情を抱いている場合ではない。 このままでは、王族達にとって(望まれぬ存在であり、更に国を救うための雨乞いの生け贄候補である第三王子の無子とはいえ、さすがに命が果てるのを目の前で黙って見過ごすわけにはいかない。 そうなっては、重罪人となり自身の命が果てるまで罪悪感に苛まれるのは目に見えているし、そもそもその選択は絶対に間違っていると煌鬼は判断した。 そもそも、第三王子の言葉の内容が奇妙だということに――はた、と思い至る。 第三王子である無子と、歌栖との間には――ほとんど親交がなかった筈だ。それにも関わらず、今の第三王子は命をも捨てかねない勢いで此方へと襲いかかってきた。 (何か、奇妙だ____まるで小骨が刺さっているかのような……このむずむずとした気持ち悪さ……どうにも符に落ちない……っ……果たして、これは第三王子の意思によってもたらされた結果なのか____) そのように思い至った直後、予想だにしない事態が煌鬼の身に降りかかる。 「…………の……ため……に……っ……____」 呂律が回らなくなっているせいからか、うまくは聞き取れなかったのだが、そう無子が叫んだ後に再び此方へと向かって刃物を持つ右手を振り上げながら襲いかかろうとしてきたのだ。

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