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第83話

「まったく……吾は心の臓が飛び出てしまうかと思ったぞ。よもや、このような夜分に二人の輩が運び込まれてきて、その内の一人は守子ではなくあろうことか第三御子ときた。ましてや、吾はとっくに非番だというのにだ。まあ、其方のような真面目極まりなく他人を容易には信用しない男から頼られるというのは誠に気分善きこととは思うが____」 煌鬼は、先程から耳が痛くなるくらいに慧蠡の小言を聞かされていたものの、決して文句など言えなかったため始終黙り込んでいた。 自分を庇い、負傷した允琥を一旦は中庭に置き去りにして明らかに重症で息も絶え絶えという状態の無子を先に慧蠡の寝所へと預けた後に再び訪れてから、彼はぶつくさと小言を言いつつも手際よく真剣そのものに処置をし続けてくれているからだ。 気持ちよく眠りの世界に誘われているのを妨げたうえに、公務でもないのに重症人達の命を預けるという重すぎる責任を押し付けたというのにだ____。 「煌鬼よ____吾は出来うる限りを尽くした。そして、それを承知の上で聞き入れて欲しいのだが……この允琥という守子の容態に関しては、貴が最低限とはいえ即時に対処をしてくれていたため命に別状はない筈だ。今は異国に伝わる痛みを麻痺させる薬によって眠っているに過ぎない。だが____」 ここで一度、慧蠡は軽くだが、ため息をひとつ吐いた。そして、此方から軽く視線を逸らし、直後に繋がるであろう言葉を呑み込む仕草をする。 言葉を交わしたり、顔を合わせたりといった交流は他の者と比べると決して多くはないとはいえ、王宮で日々を送っていくのに必要な公務中に関わりが皆無だったとは言いきれない間柄の慧蠡であるため、今のようによそよそしい態度を向けられるのは心底意外だった。 そもそも、慧蠡という男は【神経を集中させる必要のある公務中であろうが、煩わしい人間同士の関わり】であろうが、それが得意ではない自分とは違って割と何でも器用にこなせる人間だと認識していたため、他人に対して素っ気ない(ように見える)態度をとること自体が大いに予想外なのだと煌鬼は思ったのだ。 「非常に言い難いことなのだが……この無子様の状態は吾にはどうすることも出来ぬ。そもそも、今の奇っ怪な状態は、吾が今まで目にしてきた多くの患者らには現れたことのない――更に言えば、王宮の書物庫に並べられているどの医学書にも記されていない、未知なる病状だ。そうだな、これを見てみると、医学に通じていない貴でも理解できると思うのだが……」 両目を擦りながら、ひとつため息をついた慧蠡は、どことなく思い詰めたような表情を浮かべながら煌鬼から背を向けて、すぐ右隣の間へと移動する。 そして、少ししてから相変わらず思い詰めた表情を崩さないまま、銀色で楕円形の盆を両手で持ちながら煌鬼が待っている室内へと戻ってきた。 「そ……それは、いったい……何なのだ!?」 「煌鬼よ……貴は、吾の言葉を聞いていたか?ある程度、医学に通ずる吾ですら、これの正体が分からぬと言っている。むしろ、吾が聞きたいくらいだ。だが、もっとも奇っ怪なのは……この得たいの知れぬおぞましいものが、あろうことか無子様の胃から出てきたことと、何者かが無子様がこれを食すか、あるいは飲むように仕向けたことになるということだ」 呆れ顔で、慧蠡は煌鬼が立ち尽くしている方向へと目線を動かす。 しかしながら、もはや煌鬼の目には慧蠡の自分に対する呆れた様など眼中になかった。 驚愕に染まり、見開かれた煌鬼の両目は慧蠡の顔よりも下にある楕円形の盆の中で蠢いている得たいの知れない物に釘付けとなっているせいだ。 人差し指の爪くらいの小さな得たいの知れない物は、まるで植物の種のような形をして左右に行ったりきたり蠢き続けているが、それよりも遥かに奇っ怪なのは無子が何故にそのような物を飲み込んだかという動機だと煌鬼は思わざるを得なかった。 その得たいの知れない黒き物体は、煌鬼が意を決してそれを掬い上げようとした際に敏感に反応して慌てて逃げようとしたことから、明らかに人間のような意思があることが理解できる。 普通であるならば、そんな得たいの知れない不気味な物体を意気揚々と飲み込もうだなどとは思わない筈だ。ましてや、どちらかというと卑屈かつ臆病者であるように育て上げられた第三王子てある無子であるならば、尚更のこと――そのような危険を伴いかねない行為など出来ない筈だと考えた。 (とはいえ……このまま無子様を見捨てるというのか……かつて外界に対して拒絶していた時の俺に瓜二つな、この哀れな王子を____っ…………) ____と、煌鬼が顔をしかめながら苦悶した直後のことだ。 ぐったりと頭を垂れて肩で息をしている無子の口元が小刻みに動いていることに気がついた。 声は発せてはいなかったものの、唇の動きで彼が傍観者である自分達に対して何を必死で伝えたかったのか察知した煌鬼は間髪いれずに行動を起こす。 それは、もちろん弱りきった第三王子を救助するための行動だ。 「煌鬼……貴は、いったい……何を……っ___」 咄嗟に起こした行動を制止しようと、身を乗り出して肩を掴みかけた慧蠡を振り切ると、そのまま煌鬼は半開きとなって小刻みに震えている無子の唇に己の唇を押し当てる。 それは、むろん求愛を伴う口吸いをするためではない。 無子の体内に未だに残っているであろう、得たいの知れない黒き物体の一部を何とかして吸い出そうと試みるためだ。 煌鬼とて、恐怖がなかった訳じゃないが無子をこのまま見殺しにできるほど度胸が座っているわけでもなく、ましてや朱戒や允琥――更に慧蠡や無子といった者達と交流を深める前までの他人を丸っきり信用していなかったろくでなしに戻りたいと思っているわけではない。 口内には、瞬時にして鉄のような苦々しい味が広がっていき、不快感と僅かながらに吐き気までもが込み上げてきたが何とかそれを我慢して、ぐったりと床に仰向けとなっている無子の元まで震える足を引きずってゆくと身を屈めて彼の耳元で囁きかける。 「あなたは、こんなことをするような方じゃない。本来ならば、目上の立場であるあなた様に対して、これから私めが行う無礼な行為を……どうか、お許し下さい……ですが、私は――あなた様を信用したいのと同時に、命をお救いしたいのでございます」 と、伝え終えた直後のことだ____。 ふいに、煌鬼は喉の奥に何か固い物がつっかかっているような妙な違和感を覚えて、咄嗟に咳をしてしまった。 すると、煌鬼の口の中から何かが勢いよく飛び出してきて床に落ちた。 かつん、と落ちた方向から音がしてきたことから、それが布などのような柔らかい物ではなく、ある程度の固さがある物だということが分かる。 「な、何だ……これは____もしや、石……なのか?何故、俺の口から、このような物が……」 今起きた状況が把握しきれず、困惑しつつも、それを拾おうとして身を屈めながら思わず呟いてしまう。 煌鬼の言う通り、それは確かに道端に落ちている石ころと瓜二つな見た目と性質をしているように見える。 だが、妙なのはそれが己の体内から出てきたことだ。 人体から石が飛び出してくるなどという話は、今まで過ごしてきた中で聞いたことがない。 今まで散々というほど目にしてきた王宮に代々伝わる巻物にですら、このように奇怪な現象について記されてはいないというのに。 そもそも、そのように奇怪な現象を誰か一人でも王宮に暮らす者が目の当たりにしていたとするならば、古でも今の時代でも公務以外では暇を持て余す下級民(守子、付き人、調理人といった王族を世話する者達のこと)の人々が揃いも揃って好奇心を抱いた後に周りの者達に対して噂を撒き散らさない筈がない。 それはともかくとして、煌鬼は床に落ちた石のような物体に見入っているうちに段々と何ともいえぬ不気味さを抱き始めてしまう。 胸騒ぎという感覚が一番しっくりくるが、そうなった理由は明確には分からないため、そのことも相まって益々不安が強まる。 そのせいで、それを拾い上げるのに躊躇していた煌鬼だったが、側にいる慧蠡は丸っきり不安や恐怖を感じていないのか用意周到に手袋までして、さっと奇怪な石を拾い上げると目に穴が開いてしまうのではないかと思ってしまうほど夢中でそれを観察し始めるのだった。

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