87 / 122
第87話
*
「煌鬼よ……お前は未だに、先程のことが気にかかっているのか?まったく、他人のことが苦手だと言う割には昔と変わらず、お人好しな面があるのだな。だが、時として……そのような面を表に出すと当事者たる相手にも迷惑がかかる場合があるというのを忘れるな」
「それは……いったい、どういうことだ?希閃よ……お前は昔から難しいことばかりを言うな。昔から変わらぬのは、俺だけではなくお前もだ」
あれから、希閃によって肉屋の片隅にある空席にまで半ば強引に連れて来られた煌鬼は割と時間をかけずに運ばれてきた肉料理を食べながら不服そうに尋ねる。
先程のことが未だに気にかかり胸がもやもやしていた煌鬼は、ちらりと決して広いとはいえずどちらかといえば粗末な店の厨房の方へと目線を向ける。
そこには、酔っぱらいに絡まれて助けを求めているかのように見える目線を此方へと向けてきた若き青年が、他の客の注文に追われて、せっせと対応しているのが見えた。
「よいか、こう言うのは気が引けるのだが――先程の若き青年と、酔っぱらっていた黒守子とは立場も住む世界も全てが違うのだ。しょせんこの世は弱肉強食____。もしも、お前があの主人を助けたとする。だが、その後にあの黒守子が彼に対して言いがかりをつけたら如何する?」
と、ここで希閃はお猪口についだ酒をちびりと飲んだ。酔度が強めの酒なのか、僅かしか呑んでいないというのに、既に希閃の頬はほんのりと赤く染まりつつある。
煌鬼は酒が得意とは言い難いが、久々に、かつて同じ村で過ごして幼なじみかつ公務仲間(正確には上司だが)である希閃に誘われて日々の堅苦しい溜まりに溜まりきった疲弊を少しでも癒すべく、酒豪とはいえぬものの酒好きである親友に付き合い少しずつ飲んでいく。
辺り一帯は肉を調理している熱気の独特な生臭さ、そして煌鬼らのように日々の疲弊や不満を発散するために訪れた人々の熱気に満ちている。酔っぱらいが口から漂う何ともいえない、むわんとした酒臭さと混じって日々の規律と尊厳に満ちた王宮内と、この世界とでの違いが否が応でも理解させられてしまう。
そもそも、月桜という一国を束ねる王族であられる天子様らと我々とでは住む世界が違い過ぎるのだ。
きっと、そんなことを自覚せざるを得ない事柄というのは何も【王宮内】と【娯支店区】の間だけのことではなく、この世の中ではそこら中に起きていることなのだろう。
例えば、王宮から少し離れた場所に存在する【貧民街】と【民中街】とを比べても、そこに暮らしている当事者らにとっては《住む世界が違う》と言わざるを得ない。
【貧民街】では食べ物もろくになく、そこら辺に生えている草や固く時には腐った木の実――果ては、必要となればそこらを駆け回る鼠までもを口にすることすらあると聞いた。
片や【民中街】では、決して裕福といえないまでも日々暮らしていくために必要な米や魚等は住人らがせっせと働きさえすれば問題なく確保できて口にできるという。
「確かに、俺の考えは浅はかとしか言い様がない。あの若き主人の気持ちを気遣うこともなく、単に救いたいという此方の思いだけを前面に押し出して考えてしまっていた。人々の立場や身分の違いというのは、そして……互いに住む世界が違うことによって起こる人々の心のすれ違いというのは……まったくもって難しいものだ」
(希閃は……未だ怒っているのだろうか____)
そんなことを心の片隅で心配しながら、親友の堂々たる主張によって反省した煌鬼は手に持っていた酒が半分程入ったままのお猪口を木机の上に静かに置くと、向かいに座っていて未だに肉が運ばれてきていないため酒をひひっきりなしに喉へと運んでいる親友の顔色をやや上目遣いで伺う。
「____とはいえ、だ…………そこが煌鬼の長所ともいえる。必ずしも、弱き者を気遣うのが悪しきこととはいえない。だが、時と場を選び――それと同時に適切な対応を行わければならぬというだけのこと。身を滅ぼすのは、お前とて嫌だろう?」
希閃は、此方へ顔は向けていない____ように思えた。
それは、「へい、お待ちいたしました」と此方の会話に割り込むようにして、先程の若き未熟な主人がほかほかに湯気を立てた旨そうな料理の皿を目の前に置いていったため、煙で親友の顔がよく見えていないせいだった。
「う、うん……肝に命じておくとするよ」
つい、かつて故郷の村で心配事などほとんどなく黄金色すすきに囲まれた畑を駆け回ってはしゃいでいた童子の頃のように、くだけた口調で希閃に答えたのだが、彼はそれに応じることもなく運ばれてきた肉料理に箸をつけようとするのだった。
ともだちにシェアしよう!