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第88話
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今しがた希閃が口に運ぼうとしているのは、見慣れない肉だと煌鬼は感じたため無意識のうちに、それへと目線を向けてしまう。
だが、直感的に煌鬼はその肉らしきものが苦手だと感じてしまったのは、鼻をつくような独特な生臭い匂いと他の肉にはないようなてらてらとした質感、それに赤黒い強烈な色のせいだ。
肉屋の主人には悪いが、咄嗟に口元を抑えずにはいられない。
「希閃よ……お前は、相変わらず――童子の頃のように独特な匂いや色をした食べ物を好むのだな。悪いが、俺には理解し難い」
「それをいうならば、煌鬼よ……貴様こそ食わず嫌いも甚だしいぞ。こんなにも、美味だというのに。どうだ、一口喰ってみるか?」
口元をほころばせながら、ずいっ____と希閃は何の肉かさえ知らないものを差し出してきたため、煌鬼は躊躇して考え込んでしまった。
だが、しかしながら――やはりというべきか煌鬼にはそれを喰らう勇気などいくらか待っても湧いては来ず、結局はその申し出を心の底から申し訳なさそうに断ることしか出来なかった。
だが、希閃はかつて童子だった頃のような浅はかな煌鬼の態度を、口汚く罵ったりはしない。むしろ、口元に笑みまで浮かべている始末だ。
希閃の目は、まるで夜空に浮かぶ三日月のように形が変わっている。
そして、童子の頃からの親友は煌鬼が今まで目にしたこともなかったような《腸詰め》と若き主人から呼ばれていた赤黒い不思議な肉を箸で掴む。
その刺激のせいか、中から肉汁が僅かに漏れでたものの、煌鬼は自らが食べられるであろう他の肉を若き主人へと頼むと暫しの間――肉屋で安らぎのひとときを過ごしたのだった。
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それから、肉屋を離れた二人は久方ぶりの《娯支店区》をぶらぶらと歩いて回った。
「希閃よ――先刻から、随分と心ここにあらずといった様だが、如何したのだ?」
そうしているうちに、希閃がどことなくそわそわしているように感じた煌鬼は少しばかり怪訝そうに尋ねる。
「____いや、大したことではない。ただ、近々……重大な公務で天子様の御前に姿を現さなければならないのだが、手土産として何を贈ればよいか考えあぐねいている次第だ。普段は、天子様を訪ねる際は黒布で姿を隠しているが、あの御方から今回はしなくともいいと言われた。煌鬼よ――何か良い案はないか?」
煌鬼は、親友の質問に対して珍しく深く思案する。
だが、ふいにそれは間違いなのではないかと感じた。
今までの希閃の様子を見るに、今後一国の未来を背負わなければならない運命であろう《天子》に対して、彼が特別な思いを抱いているのは間違いないように思う。
それが尊敬の念なのか、はたまた身分違いという背徳感を伴う恋慕という感情なのかは、煌鬼には分からないし、それを聞くほど野暮なわけでもない。
しかしながら、いずれにせよ希閃に関わる事柄なのだから傍観者でしかない煌鬼に口を挟む余地などないのだ。
「それは、こちらに聞かれたところで答えようがない。天子様だって、お前に選んでほしいと思う筈だ。何よりも天子様の好みなど、関わりの少ない俺には分からんしな。希閃よ、今や位の高い赤守子として接する機会のあるお前の方が……雲の上におられる天子様が好まれることが分かるのではないか?」
すると、希閃は目尻を下げて軽く微笑みを向けてから辺りを見渡す。
いつの間にやら人々の姿がまばらになっていて、先刻とはうってかわって静寂に支配されているのだが、むしろそれが心地よいとさえ感じる。
そして、人の気配が段々とまばらになっていく細い通路をゆっくりと歩いていくと――ふいに希閃が、ある店の前で足を止めるのだった。
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