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第90話
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「何故に、その鳥笛なのだ?」
気だるげな主人が商う鳥笛屋を後にした煌鬼は、傍らを歩く友が手に持っている赤い嘴に暗緑色の毛に覆われ濃い黄色の胸元が特徴的な、それに目線を合わせながら何の気なしに尋ねてみる。
「いや……そこまで深い理由があるわけではない。ただ、この異国にいるという相思鳥とやらの生態に興味を抱いたまでだ。煌鬼よ、お前とて先程の若人な肉屋の主人が話してくれた生態を聞いていただろう?」
「ああ、確かにそうだ。あの主人がオスとメスが互いに鳴き交わしをするのが特徴的な生態だと言っていた。だが、他にも何か惹かれた理由があるのではないか?」
すると、それに答える代わりだといわんばかりに希閃は手に持っていた鳥笛を口元へと持っていき、吹き口に何度か息を吹きかける。
それは、鳥笛屋の主人も客引きのためにやっていたことだ。
希閃が軽く何度か息を吹きかけた後に鳥笛の吹き口から『ふぃー……ふぃ……じぇっ……じぇ……じぇっ____』といった特徴的かつ流れるような美しい音色が奏でられる。
「煌鬼よ……見た目も美しく、番同士で互いに鳴き交わしをするといった生態も実に儚げで美しい。更には鳴き声までもが美しいときている。単に、この相思鳥という呼び名の鳥に対して深く興味を抱いたという理由では……不満か?」
長いこと付き合ってきた親友にそう言われてしまっては、海の底に沈む貝の如く口を閉ざすしかない。
そもそも、この相思鳥という名の《鳥笛》は他に並べられている物と比べても目を引くし、故郷である村と王宮しか世界を知らない希閃にとって、海を隔てた異国に生息している本物の相思鳥に興味を抱くというのも何ら不思議なことではない。
(まったく、このままでは堂々巡りにしかならないではないか____理由はどうあれ、希閃が天子様のことを気にかけ、あの方の気持ちを汲み取ろうとしていることは事実なのだから……)
そのように思い直した煌鬼は____、
「いいや、理由など些細なことだったな。これ以上はお前の意図を詮索するつもりなど毛頭ない……そろそろ、此処を離れよう。出来ることならば、今宵のうちに此を、あの御方へ届けたいと考えているのだろう?」
その言葉に答えるかのように希閃は、ゆっくりと頷くのだった。
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「今更だが……このような夜更けには、あの御方は夢の世界に誘われているのではないか?守子達や雑用をこなす働き詰めの者らでさえ、今時分は眠りについているのだぞ?」
ふらふらと王宮内を歩き回っている最中である自らの言動のことなど棚にあげ、煌鬼は雲間から隠れてしまい微々たる光をぼんやりと放つ月を見上げながら、隣を歩く希閃へと話しかける。
「何だ……お前は知らなかったのか。かつて、仮にも賢子様の専属守子として公務していたというのにか。まあいい、煌鬼よ――あの御方は童子の頃から今に至るまで不眠症という病に悩まされているのだ。むろん、これは少数の者しか知らぬことだがな」
確かに希閃は目を伏せながら、そう答えたのだ。
しかしながら、その直後に希閃は突如として足を止めたかと思うと、その場で体を小刻みに震わせながら、がくりと地面へと倒れてしまう。
あろうことか、半開きとなった口から赤黒い血を吐きながら____。
その時、少し前方を歩いてた煌鬼は隣に友がいないとわかるや否や振り返り、慌てて駆け寄っていく。
(まるで氷の如く体が冷たい……唇も先程よりも明らかに色がおかしく青紫色になっている……これは、いったい____)
むろん、煌鬼は血の気がひき真っ青になりながらも懸命に友の名を呼びながら両手を握り無事かどうかの確認を試みる。と君、と君と規則的に脈うってはいるものの、医師という公務に属しているわけではない煌鬼でさえ分かるほどに弱々しい。
煌鬼は医師ではなく、ましてや親友ともよべる希閃がこのような事態に陥ったことで相当な衝撃を受けていたため、咄嗟に本物の医師である慧蠡の存在を思い浮かべることや、王宮にいる者に助けを求めようという考えを思い浮かべることが出来なかった。
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その後、どうしたのかはよく思い出せない。
煌鬼が目を覚ました時には、既に夜が明けていて窓から燦々と日の光が差し込んでいたのだ。
こうして一夜の希閃との久方ぶりであった蓮の戯れの記憶は、煌鬼の脳と目から途絶えてしまい、ほとんど忘れられてしまうのだった。
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