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第91話
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少しばかり前のこと____。
何か夢を見ていた気がするのだが、どんな内容なのかということをすっかり忘れており、汗をかきつつ勢いよく体をはねのけるように目ざめた時のことだ。
半分開け放たれた格子戸から燦々と日が振り注ぎ、更には「ちゅん、ちゅん」という小鳥のさえずりが聞こえてきて、煌鬼は我にかえってそちらへと目を向けた。
目覚めてから少しの間は頭が呆としていて、まるで靄に包まれているかのような感覚に陥っていたのだが、雀の鳴き声が煌鬼の目を醒まさせてくれたのだ。
ふと格子戸から一度目を逸らして辺りを見渡してみたが、寝所には己しかいないことに気がついた。
そのため、すぐさま寝衣を脱いで側に畳んでおいた公務衣を羽織そのまま格子戸の方へ向かっていき下駄を履いた。
一介の守子として王宮に仕えてきた【歌栖】が理不尽にも天に召された件を皮切りに、何者かによって毒殺された哀れな【花魁】の件、雨降らしのために捧げられる未来がじわりじわりと迫りくる哀れな第三王子【無子】の件、愛想は悪いものの警護人という公務を日々懸命に全うする心優しき【朱戒】との出会いの件__。
更にいうのならば月桜という国の未来を背負う現国王の【珀王】が父親だと判明した件や、母親は違えども同じように【珀王】の血を分けた息子である【慧蠡】という王専属医との出会いの件など____。
それに、主ともいえた筈の第二王子【賢子様】がある守子と禁断の恋に墜ちてしまい挙げ句の果てには、王宮から追放された時に何もできなかったという己の不甲斐なさを厭が応でも突き付けられた件____。
この数日の間に様々なことが重なり過ぎたせいで、近頃はめっきりとこの寝所の中庭に咲き誇る黄色い花を見て癒されることなどなかった。
様々な事件に悩まされる前には、よく弟切草と呼ばれる黄色い小さな花が見事に咲き誇る中庭で座り込み呆然としながら流れるままに休息の時を過ごしていたものだ。
しかしながら、今は黄色い花そのものが気にかかる訳ではなかった。
どこからか微かに聞こえてくる雀の鳴き声が妙に気にかかったのだ。
(もしや世純様がいらっしゃるのかもしれない――それに、遥かに昔から王宮に仕えてきた彼ならば………何か、この一連の事件に関して知っているやもしれぬ……)
つん、とした檸檬と呼ばれる果物によく似た香りが煌鬼の鼻腔をくすぐる。思わず平穏だった昔のように半ば無意識のうちに目を瞑ると爽やかな香りを吸い込み、久方ぶりにそれを楽しんだ。
その後、ゆっくりと目を開ける。
そして余韻に浸りすぎていたため黄色い花の側から離れるのは名残惜しかったが、ようやく意を決して、再び雀の声が聞こえる方向へと歩みを進めていく。
雀の可愛らしい鳴き声が、すぐ間近から聞こえてきたため、ぴたりと足を止めた。
そして、少しばかり遠慮がちに声をかけた。
「もしや、そこにおられるのは世純様なのではございませんか?」
「…………」
そこにいる筈の雀から、答えはなかった。
無言のまま、可愛らしい仕草で首を何度か左右に振るのみ____。
ふと、そこであることを思い出した。
すぐ目の前にいる雀が世純であるならば、普通のそれとは違って嘴が赤い筈だ。
通常では雀の嘴は黒、もしくは黄色の筈だ。
現に雀と化した世純の嘴は、何故か赤色であるのを以前に確認していた煌鬼は今一度目の前の小さな鳥を観察することにした。
そこで、がっくりと肩をおろす。
半開きとなっている嘴は石榴の如き赤色ではなく、黒色だからだ。まるで、異国に存在するという【コクヨウセキ】なる宝石のよくな見事な色だ。
(思えば、最近は雀と化した世純様のことなど気にもかけていなかった……今更、あの御方に様々な悩みを聞いてほしいなど甘いにも程がある――己の問題は、己自身で解決せねば__そういえば近頃は朱戒とも会話さえしていないな……)
残念に思いながらも、そのように考え直した煌鬼はその場を後にして、今度は希閃の様子を確認するべく王宮の内部に存在し、『王族とその縁者が生活している場』である【貴吼殿】へと向かって歩いて行くのだった。
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