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第92話
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「ですから、何度も申し上げてますでしょう?類い稀なる有能な医官の治療により何とか一命をとりとめたものの、希閃殿は未だ体調が優れないままでございます。そもそも、この《貴吼殿》は貴方様のような低い身分の――おっと、これは大変失礼致しました。貴方様のような一介の守子如きの方が来るような場ではございません。早急に、お引き取りを……」
煌鬼は噂好きな守子達が立ち話をしているのを見かけ、奇遇なことに希閃が治療を受けているのが普段は滅多に使用することのない【南天宮】にて治療を受けているらしいと耳にしたため、信憑性は定かではないものの、とりあえずは其処へ行くべきだと考えた。
しかしながら、《南天宮》へ着くなり出鼻を挫かれてしまう。
扉の前で《貴吼殿》を守護する何十もの警護人のうちの一人である《露葉》が、まるで此方が来るのを察知していたといわんばかりに堂々と立ちはだかっているせいだ。
そもそも露葉は希閃と同じ村の出身であり、つまりは煌鬼とも顔馴染みである。
しかしながら、童子の頃より彼は煌鬼よりも希閃に懐いていて尊敬の眼差しを向けていた。
露葉が己よりも希閃を尊敬しているのは百も承知だったし、要領よく振る舞うことが出来て、この【南天宮】の門番という公務にもつけている。かつて月桜の第二王子だった賢子が王宮から追放され、もはや一介の守子でしかない今の煌鬼よりも遥かに高貴な立場につけている実力もあるというのも理解できてはいるのだが、それにしても――、と煌鬼は疑問を抱いてしまう。
(いくら俺のことをよく思っていないとはいえ……この露葉はこんなにも薄情な者だっただろうか____)
____などと、まるで喉に魚の小骨が刺さってしまったかのような何ともいえないもどかしさを感じ、その場に立ち止まったままでいると露葉が不意に手を叩く。
すると、その直後に示し合わせていたかのよつな絶妙の間で左右の死角から何人もの警護人がぞろぞろと此方へと向かってきた。
その後に煌鬼の体を床に叩きつけるような態勢で捕らえると、懐に隠し持っていたであろう小刀を刃先を容赦なく首筋へと突き付けてくる。
煌鬼の首筋からは、じわりじわりと――まるで用紙の上に垂直に垂らした時にできる墨汁の染みのごとき血が流れていき、床を少しばかり汚した。
それ以降は、何も反論できず――それどころか碌に言葉さえ出せなくなった煌鬼はおそるおそる露葉の方へ視線を向ける。
「わ、分かった……此度は引き上げることとしよう。だが、希閃に一言だけでも……伝えてはくれまいか?」
「ええ、無論のこと伝言であるならば構いませんよ。何せ、貴方様とは同郷のよしみ。それに貴方様は希閃殿の御友人であられるゆえ____さあ、どうぞ?」
口調は極めて穏やかだが、地を這う此方へ向ける両目は、まるで草むらから獲物を狙う蟷螂の如く冷酷極まりない。
「具合が良くなった暁には会いたい、と____それだけ伝えてはくれまいか?」
「畏まりました。では、お前達――煌鬼様は此方からお帰りになるとのこと。そのため、くれぐれも丁重に、門までお連れするように____」
先程とは別人のように、うってかわって穏やかな微笑みを浮かべる露葉を一瞥した後に後ろ髪を引かれる思いで渋々ながら《南天宮》の石門をくぐり、帰路へつく。
そして、その途中で不意に慧蠡の顔が思い浮かぶ。己に関連する様々な事柄が立て続けに起きたせいで心労が堪った今――、本来であれば想い人である朱戒の顔が真っ先に思い浮かぶのが自然なのだろう。
しかも、このところ朱戒とは直接会って話をしていないのだから余計に思い浮かびそうな筈____。
(朱戒にも会いたいが、やはり体調が優れぬままの希閃のことが気にかかる――このまま、慧蠡の元へ向かい、病状がどのようなものか、どのくらいで回復しそうか尋ねてみるとするか____)
こうして、煌鬼は自らの寝所へ帰ろうとしていたのを改め、有能な医官の一人である慧蠡を訪ねるべく医学に携わる者らが集う【北天宮】へと足を進めるのだった。
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