96 / 122

第96話

本来であるならば、かつて慧蠡が公務の場としていた【南天宮】に允琥がわざわざ赴く筈がないと思っていたか____。 それは允琥が(王宮に仕えた時から)極度の高所恐怖症であり【北天宮】と比べて数倍もある高所に建てられている、この【南天宮】へ頑として寄り付こうとしなかったからだ。 允琥が高所恐怖症であるということは、それとなく周りの守子達の噂話を耳にして覚えていたし、何よりも彼が尊敬する歌栖から生前その話を聞いたことがあったため煌鬼は彼の弱点ともいえるそれを知っていたのだ。 その時は允琥とは今ほど交流してなどいなかったし、正直に言って何故に歌栖が自分に対して、そのようなことを教えてくれたのかは幾ら考えてみても分からなかった。 だが、今になってみると歌栖が何故にそのようなことをしたのか――なんとなくとはいえ、僅かばかりならば理解できる。 ____というよりは、今は亡き歌栖の立場になって考えてみると『恐らくあの時はこういう風なことを考えていたのではないか』ということくらいは想像出来る。かつて煌鬼は允琥や歌栖のことなど興味なかったが故に今よりは確実に彼らの存在を邪険に扱っていた。 (おそらく、歌栖は勘づいていたんだ……自らが近々、この世から消え去ってしまうことを。更には自らがこの世から去った後に俺と允琥が今のように交流することになるという不思議な予感めいた考えを、あの頃から既に抱いていたんだ___) 「……い、おい____其の君は中々珍しいのう。此の拙が両の腕に、この童子を抱えておることを疑問に思わぬか?」 ふと、堊喰光子に話しかけられた煌鬼は今は過ぎ去りし過去のひとときにすっかりと思いを馳せていたことに気付いて我にかえる。 今はとにかく、允琥の身の安全確保することを最優先に考えるべきなのだ。 「堊喰光子殿……。誠に失礼ながら、何故に貴殿はこの場におられ、それだけでなく傷ついた允琥を抱えておられるのですか?」 「うむ、うむ……此の拙は、再び其の君がそのように尋ねるのを待っておった。しかしながら、答えは実に単純明快。実に些細なことだが、此の拙は普段と変わらず夢遊の時に入った天子を探して何ともなしに此処に来た。そして、この童子が倒れているのを見つけた、と___簡単に説明すると、そういうことかのう。この童子がしきりに其の君の名を呟いているが故、息をひそめて待っておったというだけのことよ……ああ、そういえば____」 煌鬼の問いかけに答えてから、ここにきてようやく思い出したといわんばかりに、何事かを言いかける。 これまで飄々としている様を此方へと見せつけてきた堊喰光子だったが、その後に、まるで人が変わったかのような真面目な目付きで目の前の煌鬼を見据えてきたため意表をつかれてしまう。 そんな煌鬼の様などお構い無しに、懐からある物を取り出すと確認してくれといわんばかりに差し出してきた。 襤褸布でこさえられた、童子を型どられた人形___。 二体あるが、どちらとも汚れが酷く更にのっぺらぼうのように顔の部位が縫い付けられていないため、不気味に思えてしまう。 しかし、何故に允琥がそれらを持っているのか。それに童子を型どられた布人形には、どのような意味があるのか____。 煌鬼には、分かりようがない。 (允琥は何故に、このような物を手にしていたのだろうか____いや、それよりも……俺にはやらなければならないことがある……) 改めてここにきた目的を思い出し、はっと我にかえった煌鬼は謎の布人形らから目線を離すと、再び堊喰光子の方を見つめ直す。 「堊喰光子殿、実は私は訳あってこの南天宮へと参りました。故に、その目的を果たすべく……炊事場へ行かなくてはならないのです。誠に無礼ながら、私が戻ってくるまで、この弱りきった允琥をここでかくまっていただけないでしょうか?」 すると堊喰光子は露骨に眉をひそめながら、訝しげな表情で煌鬼を見据える。 流石に月桜の第一王子である天子の婚約者で、尚且つ異国の王族でもある彼に対して失礼な申し出をしてしまったか____と思った煌鬼は途端に萎縮してしまい、目線をさ迷わせてしまう。 しかし____、 「なんとも、なんとも……詰まらぬことを気にする男よな、其の君は。何故に、二手に別れる必要があるというのか。その答えは、至極単純。王宮の者らが来るか警戒しつつ炊事場とやらに三人で向かえばよいだけの話しではないかと此の拙は思うのだが、それは愚の問いかけでおろうか?」 そのようなことを、涼しげな顔で一切動揺せずに飄々とした態度で尋ねてきたため、今度は煌鬼が面食らってしまうのだった。

ともだちにシェアしよう!