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第97話
「誠に失礼ながら三人で向かうということは、貴殿にまで危険が及び兼ねないということでございます」
煌鬼は動揺を隠せずに震えた声で、無礼を及ばぬように頭の中で必死に言葉を選びながら説得を試みる。
しかしながら、考えを改めるどころか堊喰光子はまるで童子のように純粋かつ恐れ知らずな態度をあらわにしながら意気揚々と先立って歩き始める。
むろん、正気を失っている守子達に見つからないように慎重に足を運んでいるものの彼が一歩足を前に踏み出していく度に肝を冷やしてしまう。
「私は守子として仕えてきた故に玄人である警護人という公務に就いてはおらぬため充分にとはいえないまでも多少なりとも護衛の術は身に付けております。ですが___貴殿は王族の方。ましてや、異国の第二王子であられます」
煌鬼は、どのような忠告をすれば堊喰光子の興が削がれ、己と共に危険な場へと向かうという無謀たる行為を止めさせられるか考えた上で慎重に言葉を述べたのだが、いくら追い掛けてみようとも彼が足を止めようとする気配がない。
そのため煌鬼は、あえて取り繕った上辺だけの忠告ではなく、ふいに思い浮かべた本心からの言葉を彼に述べるべく、一度深呼吸してから足を止める。
「堊喰光子殿。万が一、御命に関わりかねない事があれば、貴殿が愛しておられる天子様が、嘆き悲しむこととなります。天子様が嘆き悲しむ様を……御覧になりたいのでございますか?」
本心からくる問いかけの言葉を堊喰光子へと言った直後、彼はふと足を止めて、此方へと振り向く。
それが何とも悲しげな様で、問いかけた煌鬼の方が面食らってしまった。
だが、それから然程時が経たぬうちに堊喰光子は先程と同じように飄々とした態度で口を開く。
「そう、よの……確かに其の君が言うように、此の拙が愛する天子は硝子細工のように儚く美しい容姿と心を持つ繊細な存在である。うむ、確かに天子の悲しむ顔は見とうないわ。よし、では……此の拙は借りた猫の如く大人しゅう寝所へ戻るとしよう。だが、その前に煌鬼よ――真実の愛とは何をもっていえると思うか尋ねてもよいかのう?」
うわべでは飄々とし、普段のように張り付けたような笑みを浮かべてはいるものの、声色だけは真剣な響きを感じとった煌鬼は僅かばかり考え込んでから真摯な目で堊喰光子の顔を真っ直ぐに見据えて口を開く。
軽く閉じた瞼の裏に、今は隣にいない想い人の――ぶっきらぼうだが決して此方に対して冷たい訳ではない笑顔を思い浮かべる。
「真実の愛といえるのは……互いに嘘偽りなく向き合うことができること。尚且つ、互いを思いやり信頼することができるかということ。そして、もしも何事か過ちを犯しそうになった時に、それをきっぱりと否定することができ、断罪するように相手へ促すという関係を築くことができるかどうか……だと、私は思います」
「____ほう。なるほど、よの。そういった捉え方もあるというのか。うむ、実に良い勉学になったよのう。というのも、此の拙の故郷では今しがた聞いたような考えを、自ら堂々と主張できる者などないに等しいため、其の君の思いは誠に興味深いと感じずにはいられない。煌鬼よ、今宵は実りある時を過ごせるとよいな。何せ、明日から暫く会えぬことになるのだから。では……これにて、失礼致す」
そう言って、まるで突如として玩具を取り上げられた童子の心を現すかのように名残惜しそうな表情を浮かべつつ、どことなく清らかな笑みを浮かべながら煌鬼に向けて、ひらひらと軽く手を振ると堊喰光子はそのまま去って行くのだった。
(さて、こうしてはいられない……このままもたもたしていれば、いずれ日が暮れてしまうゆえ、またたく間に闇夜となり警護人らが此処へ見回りに来るだろう――早急に蝋燭を手に入れ、安全な我が寝所へ戻らなくては____それに慧蠡を救う為の計画を成す為にも心身を休め英気を養わなくてはならないのだから…………)
計画を起こすのは、明日の昼間だ。
不安はあれど、今一度覚悟を決めなくては。
身の危険を犯してまで、此方に協力してくれるという允琥や無子様、それに――堊喰光子殿の思いを無駄にしないためにも、決して失敗は許されないのだから____。
*
それから、煌鬼は周りに気を配りつつ炊事場へと向かうと、人気のないその場から火打石を数個くすねることに対して罪悪感を抱きながらも目的を果たすことに成功した。
とはいえ、自らが【罪人】となってしまったことに後ろ髪を引かれるような心地よくない負の感情を抱いてしまう。いくら、無実の罪で王宮から追い出されてしまった慧蠡を救うためとはいえ、【盗みは罪】____。
最悪の場合、命に関わりかねない罰を受けてもおかしくなどない。しかしながら、既に後戻りなどできなくなった煌鬼はもうひとつの目的を遂行するべく《南天宮》を後にして己の寝所へと向かって歩いていく。
己の寝所へと戻ってくると、冷たい床へ腰を降ろして碌に一息つくことすらせずに火打石を擦り合わせて火がついたのを確認してから蝋燭を近づける。
蝋燭の炎が紙に燃え移らないように細心の注意を払いながら、丁度よい距離で、かざすと少し経ってから白の紙上に文字が徐々に浮かんでくる。
文字だけでなく、簡易的な地図のような絵文字まで浮かんできた紙上には、
【逆ノ口鉱山へ____】
【あの医官は、そこに____】
このように、記されているのだった。
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